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映画テネットTENET観て認知症の父のことを考える息子の自分と、自分の息子から父の日の手紙を受け取った父親の自分【訪問看護ステーション開設4日目】

おはようございます。

今更ながらネトフリで観ました映画TENET(大体の流行り物から1周遅れ^^)。頭混乱しながら、でも久しぶりの映画を楽しめました。

一方で、先日も書きました、病院入院中の認知症の父とつい最近、電話で話したのですが、自分で「家族と話したい」と看護師さんに希望したのに(もう携帯電話を自力で使えないので)、病棟の看護師さんから電話もらって、多分1時間後くらいにかけたのですが、「そんな希望はしていない」とのお返事。「そんなこと(=自分が電話をリクエストしたこと)生まれて初めて聞きました」とかなんとか。。。

まあ、そう言わずに^^、、、と世間話をしていたら、どうも自分(息子)のことを認識はできてるみたいだけど、大学生の頃の僕と思ってるみたいで、当時よく言われてた「がんばれよ、期待してるぞ」というセリフが何度か。。。

ははああ、父ちゃん、いまあなたの中で俺は大学生の頃なんだね(30年近く前)ついこの前、東北大震災のことが彼の記憶から失われ、勝手にショックを受けていたのだけど、見事に時間が”逆行”して、どんどん昔の記憶、昔の時間に戻って行っているんだね。独自な時間感覚の中で暮らしているのだなあと思うと、悲しいというより、不思議な感覚に囚われていたのですが、、、

その体験からのTENET。”時間の不思議”について考えます。

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僕ら世代の時間の逆行の原点と言えばこちらですねえ^^。


認知症の父の時間の「逆行」について体験し考えていた頭でこの映画TENETを見ると、時間の逆行の残酷さに似た何か圧倒的な暴力性も一つの要素なのですが、同時になんだか手品の種明かしを観たような、不思議な安堵感というか、幸福感にも似た、「原点に還る」感じがするのでした。

時間が逆行するのにもいい点があるような。辛いばかりでないような。。。父のように記憶が不本意に失われていく実体験してない(いや、物忘れは日常体験してるか、、、^^;)自分からは”予感”のようなものに過ぎないのですが。。。

そう感じてるのは、僕が息子たちからもらった父の日の手紙の影響かもしれません。中2の次男は同居してるので当日にもらい、離れて暮らす長男からは学校からのお便りに乗って、つい先日届きました。

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10年くらい前の彼ら^^。

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10年前の彼ら2

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10年前の彼ら3


ありがたいことに自分の人生の答え合わせというか、通信簿をもらった心持ちで、手紙を読ませてもらいました。自分のこれまでのプロセスを、色々が上手にできずに、下手くそに、のたうちまわった道のりを、彼らが全肯定しているような、そんな内容でした。彼らの存在には感謝しかありません。彼らとの生活とともに遊び・歩んだ時間によって僕は自分の子ども時代に失ったものを取り戻せたのだと感じています。

彼らとの父親・息子関係、家族としてのパートナーシップを考えると、父との時間を超えた対話は、なんだか噛み合わなくても幸せな時間に思えるのでした。

これまでの関わり、これまでの記憶。たとえ父の中から失われても、僕の中から失われたわけじゃない。僕の中からいつか(父の歳なら後30年程度ののち)息子たちとの幸せな記憶が、父のように徐々に(新しい順に)失われて行っても、息子たちの記憶には残るでしょう。

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その当時の桜島見ながら皆で海水浴@鹿児島の磯海水浴場


いやいや、そんな映画じゃないから!という映画評は置いておいて。今日は父と息子の連環について考えたことを書きました^^;映画評期待した人ゴメンナサイ。これでも映画学校のOBなので、映画やストーリーテリングはマニアックに見ちゃう方なので、映画についてもあれこれ書きたいなあ〜(遠い目:日々の圧倒的な実務の前に遠い目)


2021はなぜか「あきらめる」「寄り添う」というのがテーマになりそうだなあと感じていました。利用者さんやご家族の在宅ケアに「寄り添う」存在としての訪問看護師としての自分と同時に、自分自身の中でのさまざまなことを「あきらめていく」プロセスに入る予感がしてこの言葉に注目した気がしてますが、あきらめるの語源の「あきらむ」は「あきらかに見る」(はっきり理解する)みたいな意味合いが最初らしく、ちゃんと見る、ちゃんと理解するっていう点がピンと来た気がします。

そういう意味で、今の自分には「あきらめる」ことがそんなにネガティブじゃない概念として存在してます。時間という圧倒的な存在を前に、あきらめる知恵を持ち、残った記憶や未来への予感とともに、日々を生きていきます。

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ウィル江戸川に研修に行ったときに見た、新小岩の空に浮かぶ太陽と「ハロ(日暈)」。変わらぬお月さまやおひさまを見ると「役に立っても立たなくても、そこにいていいよ」と語りかけているように感じます。生産性を超えた人の存在について自然との対話から考えています。


そして探究は続く。


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