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「あきらめる」と「寄り添う」【訪問看護ステーション開設51日目】

一昨日、雨上がり決死隊の解散報告会をネットで見ました。

今年のテーマ「あきらめると寄り添う」にヒントをもらえる体験だったので訪問看護関係ないけどメモ


「がんこで一徹」なほとはらさんが、みやさこさん復帰を誰よりも願って信じていたほとはらさんが、自分から解散を言い出し合意に至ったと聞いて、「自分が今あるのはみやさこさんのおかげ」と言って憚らないほとはらさんが、誰よりもみやさこさんがいないところで頭を下げて番組を彼が帰ってくる場所を守ろうと頑張ったほとはらさん自身が、解散を言い出したと聞いて、、、、涙がとまらなかった。自分はなんであんなに泣いてたんだろう?^^;

番組最後でふじもんさんが号泣してるときに「俺も1年半毎日泣いてたのよ」とほとはらさん。やはり、と(勝手に)思う。

コンビのお二人の芸人としての「パートナーシップ」(=絆・信頼関係・共同創業・仲間意識・共同体意識のようなもの)が終わりになったプロセスに想いを巡らせました。


誰よりも愛して、誰よりも大切にしたい2人の関係や仕事を超えたパートナーシップを
「どちらかというと引っ張ってもらった側」=メインよりサブ、リーダーよりフォロワー、信じてもらう側より信じてついていく側、依存されるより依存してるという思いが強い側のほとちゃんが
自分たちのコンビ名や番組ブランドの便益(お金や名声やお仕事や仲間)は自分1人で享受しては行けない、と強く思っていたがんこなほとちゃんが
1年半考えて、(アメトークの番組も降りる、と言って聞かないほとちゃんに)周囲の人からの強い説得があって番組に残ること(番組を維持すること)をやっと決めたくらい、一徹なほとちゃんが


自分から解散を決めてみやさこさんを説得した、ということに


大いなるあきらめの物語があったのだろう


と想像すると、「あきらめる」ということを1つのテーマに進んでいる今の自分にとって、年齢少し先輩の、男のあきらめの美学(実例?)、のようなものを見せてもらった思いがして、(勝手に)感極まるのでした。


「あきらめ」って、「あきらかな目」という語源があるそうで、

あきらめる、って(あきらかにしてきめる、あきらかに理解して決める・見極める)みたいな意味を持つように感じて、何かを無責任にゼロにする、何かを放り投げる、という他責な感じの語感とは異なる、本来のより主体的で意欲的な意味があると感じています、、、

ものすごく積極的で主体的で想いのこもったプロセスになり得るのだなあと最近、認識しているので、そのドラマの具体を、ディテールを、人間模様をリアルに見せてもらった気がして、、、感動せざるを得ないのでした。


ほとちゃんにはきっと、自分の気持ちに寄り添い続けた時間があり、みやさこさんへの憧れ、尊敬、依存、信仰、コンプレックス、怒り、愛情、全てがない混ぜになった感情を抱えながら、1年半の間、向き合い続けたプロセスがあったのではないでしょうか。

それだけの思い、それだけの気持ち、それだけの人生の時間と情熱。


その圧倒的な熱量とその後の決断に、あきらめることを覚え始めた年代の自分も、勝手にシンクロして共感してしまうのでした。


もうひとつ。

ゲスト(応援団)の芸人さんたちも口ぐちに、お二人に見出され、引き上げてもらったことを「今の自分があるのは、みやさこさんのおかげ、雨上がりさんのおかげ、アメトークのおかげ」と言ってました。

お二人の共助の精神、後輩への面倒見の良さや芸人としてまだ見出されていない面白い芸人さんのプロデューサーとしての姿勢や「愛情」ゆえのあの場の成立なんだなあと尊敬とだからこその喪失感を強くしましたが、その思い「いまの俺があるのはみやさこさんのおかげ、雨上がり決死隊のおかげ」が1番強いのはほとちゃん自身だったのだろうと想像します。

その1番思いが強い人が、「関係(パートナーシップ)を終わりにする」ということを自分で決めた、という引き裂かれる感じに、これが本当の「あきらめる」の一つの具体なのかもなあ〜、と感じ入った次第です。


ある年齢を過ぎると、あるステージを過ぎると、誰にでも何かを「あきらめる」フェーズがやってくると思います。49歳となり、体力的・「未来を夢見る具体」的に可能性的に、「降りていく生き方」に入った自分も同様です。日々少しずつ何かをあきらめ、それに抗い、試行錯誤や悪戦苦闘してそれでも何かの成長や改善を追い求めます。


だからこそ、

「あきらめる」についてもっと深く知りたい。もっと熟達したい。


と感じてます。その感覚は、「生活」がゴールの在宅ケアの現場でもとても大切で意味があると感じているのでした。まだ言語化できてないですが、「あきらめる」とタイトルのもう一方の「寄り添う」のは、なんだか大切なことの裏表のようにも予感しているのでした。こちらはまた別の機会に気づきをシェアしたり考察したりしたいと思います。


良い体験・良い番組をありがとうございました。企画・制作・公開に関わった全ての方に感謝を。そして新しい人生をスタートさせるお二人に1人のファンとして心からのエールを。



そして探求はつづく。

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こちらは創業日に近くの園芸屋さんで出会った「びわの木」(お隣はアーモンドの木)。長い沈黙期間を経て、やっと新しく芽吹き始めました。お花が咲いて実がなるまで、訪問看護事業と同じく日々時間と愛を注ぎ、寄り添いお世話したいと思います^^。




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