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自分の運命を生きる

恥の多い生涯を送って来ました。


そんな言葉がふと、頭に浮かんだ。


昔から、僕が仲良くなる同年代には、結構苦労人が多いのだ。

だからこそ、特に大きな挫折も苦労もなく生きてきてしまった自分を、今年になって半年間ほど恥じていた。


自分が真人間になるために、もっと苦労を、苦しむような経験を、と焦っていたら本当に苦しくなったので、これでやっと!と思ったがそれはどうやら苦労じゃなかったらしい。

若いうちの苦労は買ってでもしろ、とは言うが苦労は買えないし売ってない。

流行りのスキルを身につけるみたいに望んで手に入れようとした自分が恥ずかしいし、友人たちにも失礼だなと思った。


結論、自分で自分の道を、運命を、精一杯生きるしかないなと思い直した矢先にタイムリーに出会ったのがこの本だった。

執行草舟著『草舟言行録 II  人間の運命』

氏の講演をまとめたので、比較的読みやすい本になっている。

今まで執行草舟氏の本はたくさん読んできたが、氏の中心思想を理解するという上では、この本が一番良かった。

氏がよく口にする「体当たり」「死に狂い」の意味が具体的でわかりやすく書かれている。
自分がやらなくてはならないことに、その場その場で命を懸けてベストを尽くすというような意味だが、それが、今年の今というタイミングで、やっと実感を伴って理解できた。

これを理解するために今年の上半期があったのだと言っても過言ではないくらい、今一番好きな本だ。きっとこの先も何度も読み返す。


最近ずっと、「自分の好きなことで仕事にも場所にも縛られず生きる」みたいな本を読んでは、面白いし好きだけど、どこか苦しくなっていた部分がある。
最終的にやってみたいと思いながらも、現状とのギャップが読めば読むほど開くのだ。
好きなこと、やりたいことに思いを馳せながら、決してそうじゃない今に目を向けては、勝手に嫌な気持ちになっていた。

最終的にそれを志向したとしても、今すぐ追いかけるのは得策じゃない。そんなことを気づき始めた時にこの本を読んだ。


先日、自分の専門分野の認定医試験というものがあって、国家試験以来久々にテスト勉強というものをした。

それが結構、僕にとっては楽しかったのだ。

学生時代とは異なり、自分の仕事などもあり、いくらか参加しなくてはならないミーティングなど容赦してもらって時間を捻出したりはしていたが、問題を解きながら、一つ一つ知識を確実にしていくそのステップは、その都度明確に自分の成長を実感することができて心がとても穏やかだった。
社会人になってから、経験の総量がある程度のジャンルをカバーするまで、自分の成長を可視化できるタイミングは案外少ないことがわかった。
一つ覚えてもまた違うことを注意されるのが何年か続く。ある程度できるようになって、人のカバーまでできることでやっと自信が持てたりするが、そこまで行くのには結構傷つくことが多いのだ。

だからこそ、テストは簡単に一つ一つの問題を処理できて、結果をすぐに確認できるので、非常に自尊心に優しいシステムになっていて、それが好きなのだと思う。

試験を同時に受ける同期や後輩たちと一緒に勉強できたのも大きい。
一旦他のことを忘れて取り組めたのもありがたかった。
そして思いの外、職場の先輩や後輩が応援してくれたのが嬉しかった。

そんな恵まれた環境もあり、自分は勉強、とりわけテスト勉強というものが結構好きなのだということをあらためて理解した。

物心つく前に自分が手にしていたのが鉛筆で、2歳で公文式を始めてから30歳の今に至るまで、とても長い間勉強の世界にいることを思えば、僕が培ってきたものは、好きなものを極めることの反対で、たまたま手渡されたものを好きになるまで徹底的にやり込み、結果的に楽しいと思える境地まで到達する能力だった。

2歳から勉強させられて、と言えば「子供の頃から可哀想」と悲劇じみた響きになるが、その環境のおかげで今はどんなことにも興味があるし、やって上達を感じられるものならなんでも好きな性分になったのだから、これは運命が僕に授けた才能なんだろうと思う。

本をただ読んで、字面を理解するだけでは、自分の人生に生きてこない。
ものを知っているだけの人の言葉は、恐ろしいほど軽く、悲しくなるほど響かない。

何冊読んでもわからなかった「運命を受け入れる」という言葉も、卑近な例で、自分の人生に置き換えて考えることで、やっと体で理解することができたのだ。

自分の人生にこれといった不幸がまだ無くても、今後何が起きても大体面白く解決できてしまったとしても、それは僕の運命に他ならない。

king gnuが何度も歌っているように「他の誰かになれやしない」のだから、自分に起きたことを真っ直ぐに乗り越えていく以外に生きる術なんてないのだ、と何度も繰り返しているような気がする気づきを、改めてもう一度重ねた次第である。

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