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二分の一還暦

現在、過去、未来という言葉の羅列を見ると、頭の中でメロディが流れる。

渡辺真知子の「迷い道」である。知らない人はYoutubeで検索して聞いて欲しい。名曲です。

そんな現在、過去、未来に思いを馳せるイベントが来る。誕生日である。

この世に生を受けてから、早いもので今月末で30歳になる。

30歳とは、父の元に僕が第一子として生まれた年だったりする。一方僕には未だ相手もいない。

時代の背景も異なっているし、年齢は同じでも立場は違うので焦るつもりはないけれど、ただ、そういった事実が目の前にはちゃんと、ある。

父は今年の頭、一月に誕生日を迎え還暦になった。60歳と30歳、30歳差なのだから当たり前なのだが、ちょうど折り返しの位置に自分がいることが不思議である。

20歳を迎えた時にも感じた、昔自分が思っていたほどには大人になれていない姿を顧みても、未だ直せないどうしようもない部分がいくつかあり、そんなごちゃごちゃしたもの達を30を目前にしてもいくつも抱え、身の回りの環境を整理することでなんとか乗り越えようとしながら、毎日を生きている。人間存在としてはまだ工事中なのだ。サグラダ・ファミリアといい勝負である。

大学時代、当時所属していた医療系学生団体(医療系のインカレサークルのようなものだ。IFMSAという名前である。)で、自分が何歳でどういう死を迎えるかというワークショップがあった。

当時の自分は、自分の寿命を120歳で、畳の上での大往生を宣言した。
本によると、その昔、「120歳」など未だ人類が実現したかしていないかわからないくらいの長寿は古来の教えにより大還暦と呼ばれた。なんだかよく知らないけれど、自分はそこまで生きるつもりだったらしい。

そんな自分の寿命までは、あと90年ある。(多分そんなにはない)
だが、還暦まではあとたったの30年である。

これまで生きてきた時間と同じだけの時間をかけて、僕は赤いちゃんちゃんこへと向かっていく。

来た時間と同じだけの折り返しと考えると、思ったより時間がないのだな。というのを痛感する。

30年という時間を、未来に進めると実感が湧きにくいが、僕が生まれた年からさらに遡って考えてみると1963年になる。時は東京オリンピック前年、高度経済成長期真っ只中である。

流行った曲で言うと、昭和歌謡好きの自分でも歌えるものとしては
「いつでも夢を」、「恋のバカンス」、「見上げてごらん夜の星を」くらいなもので、思ったより古いのだなという感がある。
だけど自分の幼少期から今までは、同じだけの時間と考えても、意外とあっという間だった。

そんな30年を、これから生きて還暦に向かうのだ。

二十路という言葉を聞いたことはないが、三十路や四十路という言葉ならある。

三十を超えると、人の人生は路となっていくのだ、きっと。いよいよ責任が増してくるのを、いかに鈍感な自分としても肌でビリビリと感じざるを得ない。

僕の後に続く轍は果たして人を良い方向に導くのか、それとも破滅へと誘うのか、自分でもわからない。ただ、これからは、誠意と吟味を持って、自分の通った後に生まれる世界に責任を持って生きていたいものだなと思う。

まだまだ未熟ではあるけれど、もう稚くはないのだから。

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