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レティシア書房店長日誌

村田喜代子「新古事記」
 
 
「新古事記」というタイトルなので、「古事記」の本かなと思われるかもしれませんが、これ、アメリカの原爆開発に関わった科学者たちとその妻たちの物語です。
 著者は、あとがきでこう書いています。
「もうだいぶ以前になるが私は一冊の古い本を入手した。『ロスアラモスからヒロシマへ』というタイトルからも察しがつくように、アメリカの原爆開発の手記だった。著者であるフィリス・K・フィッシャーという女性は、科学者の夫と共に二年間暮らしたニューメキシコ州の辺境が原爆開発の研究所とは知らなかった。」完全に世界と隔離された辺境の土地で、夫の仕事も知らされず、秘密裏に開発されてゆく原爆の間近で、家事と子育てに明け暮れる妻たちの日々を、著者は小説として蘇らせました。

 主人公は日系三世の女性アデラです。彼女が愛するベンジャミンは、若き物理学者。ある日、彼がニューメキシコの奥地にある研究施設に転勤になります。アデラも共に行き、そこでの暮らしを始めます。この秘密めいた場所で、当然息苦しい生活を強いられて生きる若い女性たちの日々が、リアルでまるで映画を見ているようです。アデラはここにある動物病院で働きながら、それなりに平穏な日々を送ります。
 描かれるのは家族愛に動物愛、科学者同志の友情です。往年のアメリカのホームドラマのように牧歌調なのですが、こんな環境下で、最悪の戦争兵器を造ることが可能な人間とは何なのでしょうか?
 開発の責任者オッペンハイマーの指揮下、過酷な労働を続ける科学者たち。一方で原爆開発という文明の真逆の立場で、この土地で生きてきたネイティブ・アメリカンたちの精神性が浮かび上がってきます。動物医院を手伝う先住民のアーイダという女性を通して、領土拡大、植民地支配というような戦争とは反対のものを信条にしている姿です。
 犬の散歩やら、楽しいティータイムやパーティで、素敵な時間を過ごしていたアデラですが、戦争が進むに連れて内面は複雑なものとなっていきます。彼女のいる場所では、正体の知れない爆発音が、毎日のように響いてきくるのです。また新聞には祖父の国、日本の兵士たちの「玉砕」が報じられるようになります。
 やがて、アデラは身ごもります。そして1945年7月15日、核実験が成功を収めます。やがてヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されて終戦すると、この地に用がなくなった科学者たちは、各地へと散らばっていきます。核の時代を歩んでいかざるを得ないアデラや、ベンジャミン、そして生まれてくる子供たち。著者は、彼らが戦争への道を歩まないことを祈るようにして、物語を終わらせます。
 動物病院のオッタヴィアン先生は、「原爆開発が文明なら、文化って何でしょう」というアデラの質問に、こう答えます。
「そうだな....…文明は開発にカネがかかる。だがそのぶんカネも生んでくれる。その点、文化にはカネがかからない。したがってカネを生むこともない。」
 特異な環境で生きた女性たちを通して、原爆開発の恐ろしさと、日々平和に生きる喜びを描いた小説です。あとがきに、『ロスアラモスからヒロシマへ』の著者フィッシャーは戦後広島を訪れ、原爆慰霊碑の前で、「人間の人間に対する非道」をアメリカ人の女性として忘れまい、と念じたとありました。
 

●レティシア書房ギャラリー案内
1/24(水)〜2/4(日) 「地下街への招待パネル展」
2/7(水)〜2/18(日) 「まるぞう工房」(陶芸)
2/28(水)〜3/10(日) 水口日和個展(植物画)
3/13(水)〜3/24(日)北岡広子銅版画展


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