見出し画像

レティシア 書房店長日誌

小川洋子「アンネ・フランクの記憶」(古書1150円)

 中学一年の時に、初めて読んだ「アンネの日記」に衝撃を受けて、著者はアンネの真似をして日記を書き始めました。
「わたしの日記帳にはやがて、気に入った詩の一節を書き写したページが登場するようになり、そのうち創作まがいのものも出現し、ついにはそれが小説へとつながっていった。そしてわたしはずっと書き続けている。気がつくといつの間にか、彼女の死んだ歳を倍以上追い越し、お母さんの歳に近づこうとしていた。」
そんなアンネへの思いを持つ彼女が、アンネの隠れ家のあるアムステルダムへ飛び、さらにアンネをよく知る人物に会い、ポーランドへ向かいアウシュビッツを訪問する旅を描いたのが本書です。

 1942年7月6日に始まり、1944年8月4日に終わったアンネの隠れ家生活。自由に外の世界を見る自由を奪われ、いつナチス警察が踏み込んでくるかわからない恐怖に怯えながら、日記を書き続けたアンネに寄り添うように、彼女はアンネの短かった青春を見つめます。
 プリンセングラハト263番地にある「アンネ・フランク・ハウス」。ここで著者は、アンネの逃避生活の一端を知ることになります。
「これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは  この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、決して不幸にならないわ」という日記の一節を紹介して、異常な逃避生活の中でも、自然だけがアンネを裏切ることなく、彼女もその素晴らしさを感じとっていたことから、こう思うのです。
「息をひそめ、死の恐怖と闘いながら、言葉を書きつけることで唯一自分の存在を確かめようとした少女が去ったあと、何事もなかったように、風景が残るのは自然の成り行きなのに、改めてその真理を見せつけられると、いったいアンネはどこへ行ってしまったのだろう。自分はこれからどこへ行くのだろう、というつかみ所のない問いにとらわれる。」アンネを思う旅が、作家自身の心の有り様を見つめる旅へとなっていきます。
 「特別に大事な古い友人、例えば長年文通を続けてきた才能豊かなペンフレンドの、若すぎる死を悼み、彼女のためにただ祈ろうと願うような思いで出発するのだ。彼女が書き付けることを願いながらかなわなかった言葉の残像を、自分の肌で感じてみたいのだ」という旅立ちの思いが、最後まで溢れています。小川洋子という作家のアンネへの深い気持ちが最後のページまで行き届いた本でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?