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田舎で~本屋営業日記④

「悪い時に開業したもんだねぇ」
そんな風に声をかけてくれるお客様が何人もおられました。
勿論、気遣いからの励ましのお言葉です。

「本当にそうですねぇ」と照れ笑いで答え乍ら、さほど気にしていない私がいたりします。

(お客様の善意で寄せられた軒下無料古本)

それは、私の書店員人生は決して順風でなかった事に起因します。酸いも甘いもあざなえる縄のごとしと思っているのです。
会社主導で出店した初管理者としての店は当初から売上が厳しく、複数社員を予定された配置は初年度から一人きりの運営となりました。一年以上もの間、広い店の管理を私とアルバイトさんだけで担う事になりました。
早朝から22時の閉店時間を過ぎて深夜まで、毎日働きました。今ならブラックだよと言われても仕方のない状況に身を投じました。それでも、メンタルやフィジカルの辛さ以上に本屋で働けることが楽しかったし、自己実現の為にも、少しでも店舗を向上させる為にも一時として手を抜くことは出来ませんでした。
その当時から、いつかの独立を夢見て、管理者として味わえる苦労は買ってでもしなければいけないと、純に思う28歳の新人店長がいました。
この一年がその後の書店員としてのアイデンティティを形成するに必要な時期であった事は間違いありません。

掛川に赴任したのは、今から16年も前になります。
とても広いSC型の店舗でしたが、売上は最悪で、実質一年半のうちに損益分岐点を超えるような店に変貌出来なければ閉店有りきと告げられての赴任でした。死に物狂いの立て直しでした。前任が引いたレールを少なくとも90度から180度曲げ乍ら、時に否定し、スタッフとは沢山ぶつかり合っての改革となりました。
掛川に腰を据え、地域に溶け込んだ商いをしなければこの店を変える事は出来ないと思ったのが、掛川移住を決めたきっかけです。
その後直営本部に招かれ、良い時も悪い時も重要ポストを担わせて頂きました。

高久書店も同じです。2月にオープンした店は、3月、4月と前月に比べて来店人数も売上も落としています。けれども最初から利益が出るような本屋作りなんて気はさらさら無くて、地域の皆さんに認めて貰うには最低でも2年はかかるであろうと思っての独立でした。

確かに、コロナ禍がなければ市や県を跨いで来店してくれるお客さんは沢山いたでしょうし、町には活気が溢れていたでしょう。最初からもっと良い運営が出来たであろうことは容易に想像出来ます。
ただ、人生に「たられば」は無いのです。

(お客様の善意で寄せられた無料マスク)

誤解を恐れずに書けば、人類の歩みは歴史的にみても常に自然災害と隣り合わせであって、いつ何時平穏が失われるか分からない危険との共存でもありました。
事業に関しても、そんな不測の事態を含めた全てを自身が決めた道であって、誰かに救いを求めようなどとは思ったことはありません。
大好きなこの道で、細々とでも家族を養っていこうと思っているのです。
ですが懸命に努力して駄目なのなら、諦める日がやって来るのかもしれない事も想定しています。
斜陽産業といわれる本屋の起業に身を投じることを認めてくれた家族に、無理をしてまで迷惑はかけたくないのです。
人間至る処青山あり。
待てば海路の日和あり。
ピンチの今こそ、知恵を振り絞って、将来への備えと心の涵養をしたいと思っています。
本屋バカです。こんな状況でも、明るい本屋の未来を夢見ています。
小を積んで大を為す。積小為大の心で、今後も歩みます。

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