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とりとめのないこと2021/12/02

妄想力の問題(エーリッヒ・ひろム)「ある朝の日記」から引用

権力欲は強さでなく弱さに根ざしている。
エーリッヒ・フロム


権力欲とは何だろう。
権力と言えば、ニーチェの「権力への意志」がある。
人間を動かす根源的な動機である達成、野心、「生きている間に、できるかぎり最も良い所へ昇りつめよう」とする努力、これらはすべて力への意志の表れである。「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」とニーチェは考えた。

ニーチェ流に冒頭のフロムの言葉を逆手に取ると

弱さは強くなる為の糧でもあり、ある程度、そうした欲があると、「打たれ強い」、「バイタリティがある」ことに繋がる余地も生まれる。

誰と争うのか、何について争うのか?それは他者なのか?自分自身なのか?

自分自身と向き合って孤独の内で自分自身とふたりで対話しながら物事を洞察することが、思考停止に陥らないひとつの条件だと俺は思う。
他人と争うばかりが争いではなく、自分自身と争う=葛藤という争いもある。

そして、孤立すると孤独になれず思考停止や判断が鈍るといった思考の硬直化が起こりやすい。
例えば、群衆の中、孤独になりずらい。何故なら、他者からの中断が生じたり、また、そこで孤立すると、様々な負のスパイラルに陥る。

ハンナ・アレントは孤の様態を3パターンにしており、孤独、孤立、孤絶とそれぞれかなり違うとしている。

孤絶は完全に他者との関係性を断ち切ってしまった状態であり、それを克服するのは孤独しかない。

なんのはなしですか


葛藤力は身に付けるのに一昼夜ではできない。
けれども、それをつけることで寛容さはかなり変わる。

他人からしてみたらどうだって良い話かもしれない。
神戸で大工見習いしていた10代の頃、色んな葛藤をした。
その前の子どもの頃も差別や経済的な問題などで葛藤した。
特に日本は自分と異質な他者に対しての決めつけやシャットアウトが半端ない。
少なくとも俺は子どもの頃そう感じたし今もごく稀にそう感じる。
ある程度の負けず嫌いや反抗心はかなり生きる力=バイタリティに繋がる力の要素にもなり得る。

他者と関わる上で寛容さを持ち、孤絶に陥らず、時には孤独に自分自身と向き合う時間を取り、忍耐、葛藤力、寛容さを伸ばし、思考の硬直化を回避したい。

当たり前すぎると言えばそうだけれど。

思考、煩悩

なんとなく昨日、争うってなんだろうなと考えていたら自己と向き合うこともひとつの争いとも言えるなと思った。筋トレだって自分との向き合いでしかない。そもそも俺はあまり筋トレする時間がない、あるいは、年がら年中筋トレ状態かもしれない。それでもニーチェ的な意味での権力の意志のひとつとして、大胸筋が欲しいです。

おはようございます

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