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レクイエム①追憶の夕暮れ、散歩

夢が全てを表していようがいまいが、文学は自由に夢を描く。
ある物語は悲痛な叫びを、ある物語はどうということのない1日を、ある物語は灯台へいくまでの10年を、ある物語は一族の百年を、ある物語は老いを、歴史を、抵抗や革命を、あるいは、太陽やヴェスビオ山に向けて情熱が爆発し、溶け合う夜の哲学のことを。たくさんの異名者たちの幻影のことを。

どれも愛が根底に流れていると、僕はいとも簡単にあちら側の世界の住人たちと話たい衝動にかられる。

イタリア人のタブッキはレクイエムをポルトガル語で、厳かすぎない、親しみと愛を込めて書いたのかもしれない。
タブッキの愛する不在のひとたちにイタリア語で愛していることを書いたら抑制も取れないし、照れ臭いのかもしれない。

照れ臭かったんだと思う。客観的になりたかったなんて、後づけでしかない気がする。

とにかく、レクイエムをポルトガル語でイタリア人のタブッキが書いた。
死んだひとたちと同じ世界で話したり聞いたり、食事するために。

───

僕の母国語はひとつじゃない。
母親とは英語で話すこともあれば日本語で話すこともある。母親の母国語はタガログ語と英語だ。
父親とおばあちゃんとは日本語とスペイン語だ。
そんなにしゃべって混乱しないのか?と昔誰かに聞かれた。
混乱したことがない。
多分対象によって完全に頭が切り替わっている。
考える手続きも違う。
妻とは英語がほとんどかもしれない。
娘と妻は英語とロシア語だ。
親戚が一同に集まるとスペイン語と日本語だ。
つまるところ日系スペイン語圏のようなものかもしれない。

外では日本語だ。

日本語の僕と他の言語の僕は別人だ。
考える手続きが違うから導き出されていく意見も感情も別の人だ。

何語が1番自然?と聞かれたら、どれも異国に感じる。
多分僕だけの感覚じゃなくて、似たり寄ったりな複雑な環境だとわかってもらえるかもしれない。

愛するひとたちに対して何かを赤裸々に語るとしたら英語だろう。
だから、英語では語らず、別の馴染み深い言語で語る。
いま、僕がしているように。
日本語で僕は創作したり、とるにたらない稚拙な思索のスケッチメモや、こうして本のことに家族の惚気を織りこんだり。

日本語は曖昧な色の表現がしやすい。
沢山の色彩をもつ言語だ。

別にガイ・ドイッチャーの話がしたい訳じゃない。

これは、夢見るとき、死ぬとき、何語でそうするか?ということ。
つまり、愛するひとを考えながら無意識を意識するとき、何語ですか?

英語?スペイン語?日本語?

無意味を意識して、さらに解像度をあげて見るためには外向きの僕が適任者だ。

外では日本語だから、この場合日本語だ。

愛するひとが先にアヴァロンの島へ向かうとする。
単純な恋愛感情だけの愛ではなく、ありとあらゆる愛。

アヴァロンの島は地図には掲載されていないだけで、この「僕の世界」に同時に存在し続ける。
僕が愛している限りにおいて。

同じひとつの世界に彼らはいるのだ。
アヴァロンの住人たちを思い起こすとき、僕は彼らの声ではなく、まず、彼らのぼんやりとした姿を思い浮かべる。

夕暮れの砂浜を歩く。
僕の隣に不在者たちが僕を時々気遣いながらめいめいに歩く。

時々、僕に素敵な気付きをくれるエクリチュールの翼を伸ばす天使が通る。
天使は同じ砂浜を歩く。
僕のいつも前に出て颯爽と裸足で駆けて、気まぐれにナイチンゲールみたいに鳴く。
泣いてるときもある。
彼女も僕も凍てつく大地を知らないのは幸いである。
5月の砂浜の風は湿気を吸い込んで、青々しい草の匂いがところどころ混じっている。

天使はある日、僕に尋ねた。アントニオ・タブッキ風に言うなれば、僕の耳鳴りの領域、立ち入り禁止区域で、だ。
死者たちの幻覚と幻聴の話、感じたことをお話ししてみて、と。

僕は一生懸命に十代後半のころ失ったひとたちのことを書こうとした。

心が音を立てて悲鳴をあげ始め、僕は書くのをやっぱりやめた。
またおかしくなるわけにはいかないのだ。

彼らとは日本語でやり取りしていた。
だから彼らへの愛のために、彼らに愛してもらえていることを誇りにする気持ちを文章にするには、日本語じゃ無理なのだ。

日本語でも英語でも、何語でも、今は無理だ。

時間が必要なんだと今更ながら思う。
その間に彼らと分かち合った体験の記憶が曖昧になったら書けなくなるではないか。記憶が曖昧に少しずつなる。忘却は人には時として必要。前に進むために。

アヴァロンの島の住人たちの魂や精神は、僕や他の彼らを愛している人びとの中に生きている。
生は連続性を見せるが死は分断だ。
けれどその分断は一過性のものであり、愛が流れて記憶を辿る、思い出す、ということで、また、生の緩やかなカーブを描く線上にぼんやりと浮かび上がる。

魂や精神はこのようにして、連続性を保つのだ。

アヴァロンの住人たちの好きだったものや共有した体験を追憶の中で見つける。

古いバンドのくじら12号という曲が好きな女友達がいた。僕らは同志だった。病棟で友達になった。
その子は僕の顔をたくさんスケッチしてくれた。
白い病棟の中、僕が話せるようになるまで辛抱強く、話しかけてくれた。

大抵の子たちはアヴァロンに自ら出かけて行って、行かないでいるのは僕ぐらいだ。書いてるのがしんどい。

退院後、女友達は結婚して子どもも産まれた。
ドライブすると、いつもくじら12号をかけ始める。
僕に女友達は子どものことや旦那さんのことをぽつりと言う。

車の中で、患っていた喘息のことを愚痴ってくれたりもした。喘息のくせに煙草をバカスカ吸っていた。

「この曲いいでしょ?」

毎回聴かされた。

最後、僕に電話してきた。
僕は出れなかった。

なんの話がしたかったの?
ドライブ行く話?

僕も子どもができたよ。

夕暮れの稲村ヶ崎で僕はイヤホンの音量を上げた。


歩き疲れたあたしを 待ってる
物語りへ 急ごう

太陽が目覚めたら あの海へ行こう
よりそって 雪解けを泳ぐ くじらみたいな
まだ誰も知らない あの空の果ては
きっと 眩しすぎて 見えない
太陽が目覚めたら あの船で行こう Uh Yeah!
…波を越えて
くじら12号

生々しく何もかもが残ったままだと思い出すと過去を準えて生きようとしてしまう。
そんなことは馬鹿げていて、しちゃだめなのに。

心の痛みは自分でなんとかするしかないし僕は太陽なのだ。なんとかするために書いてるひとりぼっちのサリンジャーみたいだ。サリンジャーみたいな才能もないのに。

ちゃんとかおるんたちや僕が干からびたミミズだったころの物語を書いたら、そこでかおるんと会おうと思う。

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