2019/07/05

大学生の頃。所属していた軽音サークルでよくバンドを組んでArctic Monkeys(アクモン)をやっていた彼は、よく女の子に振られていた。しかも毎回「なんでそうなる?」みたいな、まったくもって彼に非はないし、かつなかなか類を見ない振られかたをしていて、なんだかもう笑えてくる、いやもちろん彼は毎回悲しみと切なみをコップになみなみと注がれてしまっているのだけど、彼がそうやってわけわからん振られかたをするのは高校時代からのならわしのようなものらしく、大学生になる頃には彼のなかでうまく「消化」できるイベントになっていたのかもしれない。

だからかもしれないが、アクモンをやるときには(そしてなぜか毎回のようにその直前に振られていた)必ずといっていいほど曲間のMCで「報告」をしていて、もはや「アクモンをやるときは彼が振られたとき」という逆転した認識すらサークル員のなかでは存在していたかもしれない。

もう何回目のアクモンだったかは忘れてしまったけど、例によって「報告」があると練習中のスタジオで言われ、バンドメンバーの僕らは待ってましたとばかりに彼の話を聴いていた。じゃあ今回もやりますか、いつもの。ということになり、そして本番の日を迎え、僕は「ちょっと今回は趣向を凝らしたい」と思い、本番直前のリハのときにPA係の後輩に「MCがはじまったらこれを流してほしい」と秘密裏に頼んでおいた。

数曲の演奏を終え、例によって「報告」がはじまり、というか彼がマイクに向かうとはやくも聴衆が少し沸き立った(僕がギターボーカルで彼はリードギターだから「あ、喋るぞ」というのがわかりやすいのだ)。そこに微かに流れるレミオロメンの「粉雪」に、どれだけのひとが気づいていたのだろうか。そんななか「報告」はつづき、彼がいかようにして別れを告げられたのか、それを報告した彼と、その情景と情動に共感した聴衆のバイブスが最高潮となったとき、「粉雪」はサビを迎えたのだった。

いや、正確にはフロアの感情の高まりにリンクするようにサビ前のあの部分、「むなしぃぃいいいいいいい」のところに差し掛かっていて、PA係の後輩もやはりバイブスがアガっていたのかボリュームをそこで爆上げし、「だぁぁあああけぇえええ」のところで「報告」をつづける彼を含めたフロアのすべての人間が気づいたのだった。

いま、だということに。

いま、私たちは「こなあああああああああああゆきいいいいいいいいいいい」と叫ばなくてはならない、ということに。


すでに記憶が風化しつつあり、そして記憶の風化とセットの「都合のいいように記憶しなおす」が発動している可能性はあるものの、たしか僕はそのとき、つまり「粉雪」を流してほしいとPA係の後輩に頼んだとき、「いいタイミングでサビに入ってくれたら最高だな」と思っていたような気がする。そしてこのことは「報告」をする彼=主役にはあえて言わないほうが、面白い画がとれるような直感があったのだろう。

結果、彼はやってくれた。奇跡的なタイミングで「報告」をまとめ、フロアの全員が「むなしさ」や「かなしさ」や「せつなさ」に心まで白く染められたときに、彼はサビを絶唱したのである。これはひとえに大学受験期に「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」をバイブルとして笑いのセンスを磨いてきた彼の人生の勝利と言ってもいいのだが、とにかく彼は最高の結果を残したのだった。

そしてもうひとつ、高校時代にアメリカへの長期留学を経験してバイブスとはなんたるかを肌で知っていたであろうPA係の後輩の果たした役割も大きい。フロアのバイブスの高まりに呼応するかのようなボリュームコントロール。「むなしぃぃいいい」のところでぐわっと上がってきたボリュームで、僕はもう「キマッた」と感じていた。数秒後にパーティーがはじまる、と。

これが何の話につながるかというと、本屋である。僕は軽音サークルでPAやローディーの係をよくやっていて、つまり主役である演者が気持ちよく演奏をすることと、さらにもう片方の主役である聴衆が気持ちよくそれを聴くことの、お手伝いをする仕事をしていたのだった(だからその後輩くんが最高の仕事をしてくれたことがとても嬉しかった)。

そしてそれが僕は非常に心地よかった。生きる道はこれだと思った。もちろん主役としてステージに立ったりフロアで音に浸ったりするのも楽しかった。最高だった。でもいちばんは、アシストをするほうだった。そういえば高校時代までやっていたサッカーでもそういう役割を担っているときのほうが輝いていた。そのことに気づいたのだった。

本の世界における主役は書き手と読み手だ。だから僕はその間で、ふたりの主役が最高に気持ちよくなれる環境を作る役割を果たそうと思った。いまもそう思っている。それが「本屋」という場所で、あるいは「本屋」という概念で、どのようにして果たせるのか、それはまだわからないのだけど。

ちなみに例の彼は大学卒業後にステキな彼女を見つけ、いまもその関係はつづいているらしい。僕の将来の目標のひとつは、彼の家族と僕の家族でマリンスタジアムに野球を観に行くことだ。この先どうなるかはわからないけれど、できればその「ステキな彼女」と家族になっていてくれたらいいと思う。彼がその「報告」をするときはどの曲を流せばいいだろうか。きっとそのときになれば、直感が正解を教えてくれると思うけど。

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