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コーンフレークのイデア

お笑いのフォーマット以上の何かに笑わされてしまった

昨年のM-1チャンピオン「ミルクボーイ」の漫才は正直びっくりした。最初見たときは、何だかわからないけど見たことない新しいヤツにぐわーっと持っていかれたという感触だった。よくできたテンプレート以上の凄みを感じた。グランプリをとってから露出が一気に増え、テレビでよく見るようになったけれど、見かけるたびにこの人たちの新しさって何なのかとチクっと考えるのだけどすぐに流れていってしまうんですよね。ミルクボーイについて深く考える、ってまではいかないんですよ、日常生活においては。だってミルクボーイってそういうもんやから。う〜ん。

面白さをひもとく前に、この漫才のプロセスがどこか懐かしい感じがするのに気づいた。あれだ、大学のゼミでやってたアレだ。たとえば、三角形って何ですか?という問いに辞書的な、あるいは数学の定義としての説明はできるだろう。また、三角形ってこういう感じだよ、と紙に書いて伝えることもできるだろう。そのざっくり手書きの三角形は厳密な定義上の三角形ではないかもしれない。曲がったり、角が丸かったりしているかもしれない。

ただみんなが何となく「こんな感じのが三角形」「これは三角形ではない」と区別できる三角形の本質、三角形たらしめる要素、みたいなのがあってプラトンはそれをイデアとよんだのだよ。モノや考えには何でもその本質そのもの、ご本尊のような意味の純粋な結晶としてイデアがあるという話であった。ラディカルですよね。で、その辺に転がっている言葉でイデアを言い表してみるワークなどもした。三角形もそうだが、当たり前っぽいやつも案外言葉にするのは難しい。大命題である「真」「善」「美」みたいなやつは当然果てしなく深いが、単純にブツでも「机に腰掛けたらそれは椅子だろう」みたいな色々がとめどなく出てきてキリがない。そりゃそうだ、厳密には「それ以外」のものをあげ尽くさなければ完璧なイデアの像は浮かび上がらないわけだから。けどざっくり、少なくともここにいるみんなの中では共通認識としてその言葉がもっている「イデア的なもの」が思い浮かぶからそんな膨大な説明をしなくてもコミュニケーションが成り立つわけで。そう、イデアのおかけで多少ニュアンスのズレやら何やらがあってもやっていけてるし、逆にそのズレがストレスになったりもしているわけです。

コーンフレークのイデアを煎じつめる哲学的思考

ミルクボーイに戻ると、コーンフレークなんてものをよく見つけてきたなあ、と思うのです。コーンフレークですよ。全員が知っていて全員が食べたことがあってけれども特に思い入れもないであろう、あれです。好きな朝ごはんが思い出せないという左の人に対して右の角刈りの人が「俺がおかんの好きな朝ごはんを一緒に考えてあげるからどんな特徴があるか教えてみてよ。 」というところから始まります。「甘くてカリカリしててね牛乳とかけて食べるやつゆうてるのよ」と、これもうイデアというかそのまんまじゃないですか。それ以外には思いつかないしあり得ない。ここから話が進みようがない、円満解決なところから漫才ははじまる。「俺もそうやと思ったんやけれどな」と、どうやら円満解決とはいかないらしい。そこからは「おかんがいうにはもう死ぬ前の最後のご飯もそれでいいっていうんよ」 「昔はなぜかみんな憧れた」「おかんがいうにはお坊さんが修行の時も食べてたいうんよ」と、「コーンフレークらしさ」「絶対にコーンフレークには当てはまらない理由」が交互に繰り広げられます。らしさにはもっともである理由を揶揄とともに定義し、らしくなさも「ほなコーンフレークちゃうかー、コーンフレークいうんは〜なもんやから」と、当てはまらない理由を毒入りで述べて再定義をする。ストーリー的な伏線を張るでもなくひとつの対象物に対してこれでもかこれでもかと、言葉を尽くしてその実像をありありと表現していく。ネタの内容としてはそれだけです。解はありません。最初に答えは示されています。

適度な日陰ワードを見極めるさじ加減

聞いているみんなが頭の中にコーンフレークのイデアを充満させながらその定義を揺さぶられる快感を味わうわけなのです。イデアを最初に共有していることによる共犯関係のような信頼関係が、そこからの逸脱というスリルを演出しているといったら過言でしょうか。それは過言だと思いますけれども。

よく話の導入になる恋愛とか友情とか流行ったドラマとか有名人とかよくあるひとこまではなく、「コーンフレーク」や「最中」という特に華やかでないけれどもみんなが一定のイメージをもっているターゲットに光をあてて、そのテーマ一本で完結するところだけでもインパクトがありました。その昔、亀田の柿の種のパッケージ裏に「けなげ組」という浮かばれないものたちのつぶやきを聞くみたいなシリーズがあったけれど、地味なものに光をあててからやっぱり落とすみたいな残酷さも含めて旨み成分が詰まっている。フォーマットが一定でコンビの料理の手腕が一定だとしたらネタの瞬発力がこのテーマ選定にかかっているといってもいいのではないかと思います。ぱっと見パクりやすいフォーマットやねんけどレバレッジの鍵を握っているのはこっちやとにらんでいるのよ。かくして誰も傷つけないかは別として聞いている人に十分なカタルシスを与える濃いネタに結晶したのではないでしょうか。高尚そうな味付けした割に浅いか、ほな違うかー。

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