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昨年のM-1にパティシエ魂を感じた話だね

結構前の話になるが、代官山の有名なお菓子屋さんに勤めていた人から聞いた話。パティシエはクリエイター、芸術家というよりもむしろ実験に実験を重ねる科学者に近いと。聞くとなるほどなーと思います。緻密なレシピも再現性をきっちり出さなければいけないわけで科学の実験みたいな厳密さと検証が必要になってくるのは全く素人の僕でもなるほどと想像できます。芸術性とか想像力みたいなものと科学者に象徴されるようなきっちりとした検証は真逆に思えるけど両方必要なんですね。

で、そんな話も忘れていたのだけれと昨年末の Mー 1グランプリを見てふと思い出しました 。何か新しい旨味成分みたいなものが発見されて、パティシエみんなでその味を極めるみたいに一斉に群がったグランプリになったような気がしました。みんなが一つの頂を目指して集結したような感じ。こんな感想を持ったのははじめてだったと思います。

昔は毒舌があったり下ネタがあったりシュールなネタがあったりいろんな味があったように思います。いろんな味があったけど、やっぱり「子供時代の遊び」とか、「彼女が欲しい」とか間口の広いテーマがあって、これは「甘み」ですよね。子供は好きだからねえ、みたいな。それでこのコンビの切り口はMー1向きだとかそうじゃないとかもったいないねとかああだこうだと話題になりやすかった。スタイルは変えずにお笑いの成分構成をMー1向きにカスタマイズして個性を残すような策が取られてきたように思います。

だけど今回は一流アスリートのようなストイックさで、テレビを観ている誰も傷つけない、徹底的に人畜無害なお笑いの面白成分だけを凝縮したような、いわば笑いの イデアを純粋培養したような完璧なスクリプトと完璧な再現性で、高級洋菓子のレシピの話をを思い起こしました。いやこれはフィギュアスケートの演技を見てるように感動しつつもハラハラするような。

私は録画で見ていたのにお笑い見ながらハラハラしてしまったのに驚きです。ビールを飲みながらテレビをのんびり見る個人としては、もう少しがさつで荒くて危なっかしいのを見てそっちの意味でハラハラしたり、顔をしかめたりというのもいいんですけれども。時代がここまで進んでしまうともうあの朴訥とした過去に戻ることはできないのかなあと少し寂しく感じます。

やっぱり落語も漫才も駄菓子みたいなほっとするところをもあると思うんですよね。なので Mー 1的なものさしが広く絶対基準とにはなってほしくないなーと思いながら、まあでもアーカイブもあるから見る側としてはいい時代だよね。コンビ名やネタそのものはまあ、どうでもいいんですが 今年は突然潮目が変わったような驚きを得たので書いちゃった。

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