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【レジュメ】宮本輝『流転の海』全巻読書会・第4部『天の夜曲』最終章

こんにちは。
本日(23/07/24)20:30より、Discordサーバ内で開催する『天の夜曲』最終章の読書会用のレジュメをお届けいたします。どうぞご覧ください。

主な登場人物と時事

魚津市で起こった大火 1956年(昭和31年)9月10日の大火のこと。

松坂熊吾 中国から生還し、50にして初めての実子・伸仁を授かった実業家。妻子を富山に残して1人で上阪し、新事業・関西中古車業連合会の立ち上げに奔走している(だけではない)。

久保敏松 熊吾の新規事業のパートナーと見込まれていたが。無類の将棋好き。

森井博美 西条あけみとして名の通ったヌードダンサー。顔に大火傷を負ったことがきっかけとなって、熊吾と深い関係になる。

丸尾千代麿 敗戦直後の大阪時代からの熊吾のよき理解者。運送業を営む。癌を疑われていたが、腫瘍の摘出に成功して命を取り留める。

柳田元雄 熊吾に世話になっていた時期もあったが、事業が好転して、この時点ではタクシー会社の経営に乗り出している。

林田雄策 熊吾が跡地を買収しようとしている学校の教頭。

松坂房江 熊吾の妻。伸仁と富山で暮らしている。熊吾からの連絡や送金が遅れがちだったことも加わって、喘息の発作がひどくなっている。

松坂伸仁 熊吾と房江の長子。房江が上阪することになり、高瀬家で暮らすことになる。

倉田百合 観音寺のケンの愛人で、子を宿していた。3年の約束で富山に暮らすことになっていたが、房江に知らさずに引っ越してしまっていた。

小谷光太郎 保険制度に反対している開業医。松坂家と親しく、千代麿や房江の病状についての説明をしている。

高瀬勇次・桃子 勇次は熊吾を富山に強く誘った張本人。吝嗇であることで、熊吾は共同経営者として見切りをつける。桃子は妻で、2人の間には3人の男子がいる。年度替わりまで、伸仁を預かっていてほしいと熊吾に請われる。

あらすじ

  1. 新事業の立ち上げのために奔走している熊吾であったが、パートナーの久保の動きが鈍い。一方、博美とは関係をさらに深めてしまっていた。術後の千代麿を見舞い、柳田元雄がタクシー業で勢力を伸ばしている事を知る。

  2. 柳田にあいさつに出向き、「モータープール」の構想について語り合う。

  3. 房江からの電話で、富山に戻ることを伝える。また、百合が姿を消したことを知る。

  4. 久保が事業資金を着服し、行方をくらましていることに気づく。

  5. 博美から別れを告げられる。

  6. 小谷医師と、千代麿、房江の病状について話し合う。

  7. 伸仁を富山に残して、房江を先に上阪させることを決める。

  8. 富山に戻り、房江・伸仁と3人での夜を過ごす。

ポイント

  1. 熊吾はそう思い、柳田元雄を祝福したいという心情に襲われた(p.509)

  2. その気になったら一瞬で別れられまっせ(p.512)

  3. これまで何度人を信用して裏切られてきたか数知れないのに、また自分は同じ愚を犯したという慙愧の念は(p.529)

  4. かつて、これほどうろたえたことが俺の人生にあっただろうか・・・(p.530)

  5. ひとりの人間の心の領域というのは、じつに広大なものです(略)隠されている部分がいかに大きいかを人間は自分で知ることさえできません(p.539)

  6. 底無しの海という意味では深く潜れば潜るほど闇も深くなりますが、心は同時に目もくらむ光でもあります(略)私は心の力というものの凄さに、やっとこの歳になって気がつくようになりました(p.541)

  7. その桃子の口調や表情で、熊吾は伸仁を高瀬夫婦に預けても大丈夫だと腹が決まった(p.551)

  8. あのころ、何を信じていたのかと問われれば、自分の運をと答えただろう(略)運も当然味方するだろうが、俺は自分の生命力を信じていたのだ、と(p.555)

  9. いま俺は、自分の生命力が衰えていると感じる。気力でもない、体力でもない。生命力なのだ。それは年齢と関係ない(p.556)

  10. わしは「蛮夷」というのは、正しい教育を受けちょらん無教養な人間、もしくは、こずるいとか、自己を律する訓練を受けとらん弱い人間のことじゃと思う(p.561)

  11. 蛮夷とは心根の悪い人間のことじゃ(p.562)

  12. ええ人間の周りには、ええ人間が集まってくるっちゅうこどじゃのお(略)熊吾は身内に高まってくるものを感じた(p.564-65)

  13. その冗談が相手を傷つけたら、もうそれは冗談やあらせんぞ(p.569)

  14. どんな人間にも、これだけは叩き直さなければならないという欠点がある。元凶、もしくは一凶と呼んでもいい(p.570)

追記

  1. 最近では、出席者が女性2名、男性2名の構成になっています。「男性作家による父子の物語」と見られることが多いこの作品群の読解にあたって、女性の視点が導入される機会を得ていることは、たいへんありがたいことです。

  2. 今回の範囲では、喘息の発作を妻の房江が起こしていること、夫の熊吾が事業の苦境に立たされることなどが描かれていて、熊吾はその苦境を乗り切るため、房江を大阪に迎えることを決断します。息子の伸仁を呼び寄せると、事業の再建には負担が大きいとの判断でした。

  3. しかし、参加者からは、①房江の発作について、「厄介な業病」になったものだと述懐していること、②伸仁を富山に置き去りにすることの、母子への影響についての配慮が全くなされていないこと等について、厳しい意見が出されました。

  4. これについては、全く想定していないことでしたので、まさに目からウロコといった感じだったのですが、同時に、熊吾への批判という形を借りて、私自身が批判されているような「痛み」を感じてしまいました。

  5. 全巻の結びとして、「また聞こえる」「何がじゃ」「あの音が」熊吾は目を閉じて「あの音」を聴こうとした。三味線の音のようでもあり、ヴァイオリンのようでもあり、どうかしたひょうしに鈴や笛の音に変わったりする、あの吹雪の夜の不思議な音楽は、いま房江にだけ聞こえているようであった。とあります。

  6. この音律が聞こえていることは、再三本編で登場する記述で、タイトルの「夜曲」にも通じるものだと思われる重要な記述です。

  7. これを私は、房江だけが「幸福の音律」を「観じ」いっていると取りました。「感じている」ではありません。「感じる」は自分の「外」にある対象について知覚するということです。

  8. 一方「観じる」は、自分の内奥にあるものをも感じ取る、あるいは、「悟る」に近い感覚であって、自分の内奥にある「幸福の源泉」を観じ、悟り、決めるという作用であるように思われるのです。それを「為した」のは、一人房江だけであったということなのです。

  9. 「追記」はひとまずここまでといたします。


今回のレジュメは以上となります。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!



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