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【読書会】『あのころはフリードリヒがいた』レジュメ⑤(まとめ回)

こんにちは。6月16日(木)03:30です。数日肌寒い日が続きますね。

5月23日(月)より6月13日(月)までの4回の月曜日に、リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』(岩波少年文庫)をみなさんと読んできました。これまでは32節の本文を4回に分けて講読してきましたが、これで終わらせてしまうのはもったいないと感じ、5回目を「まとめ」の回として執り行うことといたしました。また、アプリの機能を利用して録音を残し、公開もする予定です。6月20日(月)21時から、その回を実施いたします。どうぞお運びください。読んだことがない方や、「聞き専」でのご参加も大歓迎です。

今回のnoteは、開催に先立って、今までの「レジュメ」noteのURLを掲示するとともに、若干の考察めいたことを付け加えておきたいと思います。

全4回分のレジュメ






若干の考察めいたこと

▼ぼくが繰り返し申し上げていたのは、第一次大戦後のドイツで、ある日突然ヒトラーという悪党が現れてユダヤ人を迫害し始めたり、戦争へとドイツを引きずりこんだわけではなかったということでした。むしろ、「戦前」と「戦中」は地続きであったということです。例えば、ヨーロッパ史にあってユダヤ人を敵視するのはしばしば見られてきました。それが伏流としてあって、「気がつけば」引き返せない、取り返しのつかない事態にまで至っていたということです。それが見事に描かれていたと思います。意味不明の「日本バンザイ!」派が見られる今日にあって、対岸の火事と見ていてはいけないと、危機感を覚えます。

▼同じ1925年に生まれたドイツ人の「ぼく」と、ユダヤ人のフリードリヒを中心とした二組の家族の17年間の「日常」をこの小説では描いています。先述したように、「降って湧いた」不幸としてではなく、徐々に非日常としての戦争に蝕まれていくさまは、冷徹であり、かえってリアリティを感じさせるものでした。

▼特に印象的、むしろ「衝撃的」だったシーンが3つあります。①「ぼく」がユダヤ人の学生寮の襲撃に加わってしまう場面。集まった市民たちから、徐々に興奮が伝染して、「歓呼の声」をあげながら襲撃していました。②違う日にフリードリヒ家が襲撃されます。それを苦として、フリードリヒの母が死に至る場面があります。③フリードリヒの死の場面。正確には、彼が死んだと判明する場面です。アパートの主によって防空壕から閉め出されたフリードリヒの命の「軽さ」が胸を打ちます。

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今回は以上とさせていただきます。最後までおよみくださいまして、ありがとうございました。それではまた!


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