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【100分de名著を語ろう】『太平記』~①「あわいの時代」を生きる

こんにちは。

7月14日(木)より、clubhouse内でのルーム「100分de名著を語ろう」で、安田登さん解説の『太平記』を扱います。私用のため1週ずれての開催となり、14日は、第1回放送と第2回放送とを同時に取り上げますのでよろしくお願いいたします。当noteは、そのうちの第1回放送分に対応いたします。なお引用の末尾に(6)とあるのは、6ページの記載という意味です。

放送テキスト目次
はじめに 「あわいの時代」を描く軍記物語
第1回(7月4日本放送) 「あわいの時代」を生きる
第2回(7月11日本放送) 時代を読みきれないリーダーたち
第3回(7月18日本放送) 異界が映す時代のエネルギー
第4回(7月25日本放送) 太平の世は訪れるのか

はじめに 「あわいの時代」を描く軍記物語

・では、なぜそんな本をいま紹介するのか。それは『太平記』が「あわいの時代」を見事に描いた本だからです(6)。

・「あわい」の渦中にいる人には、いま何が起きているのか、はっきりとは見えません(7)。

第1回:「あわい」の時代を生きる

①『平家物語』と『太平記』

・しかし、異界=彼岸と現実=此岸の「あわい」こそが、往時の人々にとってはリアルで切実だったのだと思います(14)。

②「公」と「武」のせめぎあい

第一部:北条高時と後醍醐天皇
第二部:後醍醐天皇と足利尊氏(高氏)
第三部:足利尊氏と弟・直義

③国家安泰の鍵は「天の徳」と「地の道」

・すなわち「天の徳」と「地の道」とは別々には存在し得ない。君も臣もともに道徳を体現する必要があり、そのとき天と地は呼応するというわけです(20)。

④後醍醐天皇と北条高時

・つまり、後醍醐天皇は確かに「明君」の徳を備えていた。しかし、王道で治むべき世を「覇道」、すなわち武力で治めようとしてしまった。能力が有り余るゆえの野心、それによって天の徳を体する明君になり得なかった(21)。

⑤後醍醐天皇、討幕に動く

・将軍と御家人に主従関係を支えてきた「御恩と奉公」の制度が、二度の元寇を機に有名無実化していたのです(略)しかし、どの憤りは表面化しない。それも「あわいの時代」の特色です。みなが不満を内に抱えながら、ぐつぐつ、ぐつぐつと飽和点に達するのを待っているのです(21-22)。

⑥二つの討幕計画

・後醍醐天皇は(略)僧兵を味方に幕府と戦おうと考えていたのです(24)。

⑦出自不明の英雄、現る

・夢は、無意識と意識の「あわい」に生まれるものです(27)。

⑧「あわいの時代」を動かす「非常識」

・なぜ正成は型破りな作戦を次々と繰り出すことができたのでしょうか。それは、彼の出自が不明であることと無関係ではないと思います(30)。

⑨優柔不断な英雄

・高氏は(略)実のところは優柔不断で、ひとりでは何も決められない。言うなれば「弱いリーダー」です(略)その弱さと無為のために、「あわいの時代」を泳ぎ抜くことができたのです(33)。

⑩鎌倉幕府、滅びる

・足利高氏と新田義貞が討幕側に寝返ったことで、全国の源氏が一斉に立ち上がり、それが勝敗を決することになりました(35)。

⑪妖霊星と聖徳太子

⑫「あわいの時代」を読み切れなかった北条氏

・夢という「あわい」で正成を見いだし、高氏を味方につけた後醍醐天皇は、そういう意味では時代が読めていた明君でした。それはおそらく、後醍醐天皇がこの時点では「弱者」だったからだと思います(38)

・弱い立場にある人は既得権益もなく、時代の歪みや移り変わりを感じやすい。だからこそ、時代の大きな変化に対して鋭敏で、変革に身を預けることができたのではないでしょうか(38-39)。

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今回は以上です。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた!

追記


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