土屋文昭・林道晴編「ステップアップ民事事実認定」第2版


修習中にジレカンの副読本として読んでいた「ステップアップ民事事実認定」の2版が2019年あたりに出た。修習中は、ジレカンを読み込んで導入修習、集合修習の復習をすることが大事ではあるが、個人的にはステップアップ民事事実認定のほうがわかりやすかった。

2版については、まだ、事実認定総論を読んだに過ぎないが、修習中は考えていなかったようなことが指摘されており、事実認定に関する考えが深まった。

事実認定で重要なのは、動かしがたい事実、経験則、当事者の主張するストーリーだろう。
動かしがたい事実aから、経験則を用いて、事実Aを推認する。
訴訟では、「事実aがそもそも認められない」として否認したり、「事実aから事実Aは推認できない」として反対仮説を主張したりする。
こうした作業をくりかえして、事実A、B、Cが認定されることになる。
事実認定では、認定された事実A、B、Cすべてを説明できるストーリーを提示しているのか?が検証されることになる。

ケースセオリー(民事で言えばストーリーに相当するか)の主張がうまくできなかったのは今年の最大の反省点である。

修習中は、すでに諸先生方が依頼者から聞き出したり、起案では問題文中に散りばめられているからそれほど気にせずにすんだものの、実務では、自分が依頼者から聞き出して考える必要があった。
来年はストーリーを意識して事実認定に取り組みたいと思う。

さて、ステップアップ民事事実認定にもどるが、面白かったのは次の3店である。
事実認定の推理の方法の
交通事故のように、ストーリーとは切り離されて個別に事実が認定される場合がある
要件事実の規範的性格

事実認定の推理の方法

演繹的推理であるか(売買代金相当額を支払った場合には、売買契約が締結されたものと考えるのが通常である)、帰納的推理であるか(過去の経験から一般的に見て事実Aから事実Bを因果的に推認する)という話があるらしい。この点については、

いずれの見方も可能であると思われますが、筆者としては、校舎の帰納的推理が裁判官の現実の思考過程に合致するのではないかと思われます(ただし、前者の演繹的推理とする見方は、論理的・分析的であって、複雑な事例の推理の合理性を事後的に反省し、意識的に検証するのには有益でしょう。)

とのことだった。
当然、起案では演繹的推理で書く必要があるという意識は必要だろう。しかし、この2つを分けることにどういう実益があるのだろう。

交通事故のように、ストーリーとは切り離されて個別に事実が認定される場合

この話は、実務に出て感じていた違和感と合致して、なるほどなぁと思った程度ではあるが、すっとした感じがあってよかった。

要件事実の規範的性格

通常、規範的概念とは考えられていない、賃貸人による転貸借の「承諾」を一例に、「承諾」も実は規範的概念では?という話がされている。

たとえば、Bが長期間Cの居住を黙認して、事情を知りながら意義を述べなかった、というような事実関係の下では、Bの承諾があったと見ることができる場合もあるでしょう……この場合は、法律の解釈に類する当てはめが行われたのであり、「承諾」という規範的概念への間接事実の包摂が行われるので、法的な評価がそこでされるのだ

そういえば、修習中に見た未必の故意が問題となっていた刑事裁判でもこういう話はあった。すなわち、「殺人罪の未必の故意は、『人を死亡させる危険性のある行為であって、行為者がそれとわかって行ったこと』が要件事実であって事実認定の対象となっている。しかし、よく考えてみると、a1 人を死亡させる危険性を基礎づける行為(評価根拠事実)、a2 各評価根拠事実に対する被告人の認識が認められると、『A 人を死亡させる危険性のある行為であって、行為者がそれとわかって行った』という事実が認められているということだった。

自分の直感としても、実態としてもそちらのほうが正しいように感じられる事件だったし、今後、未必の故意はこういうふうに論じられるのだろうか。

まぁそれはそれとして、事実認定に関する考えを総ざらいできてよかった。