水町勇一郎「同一労働同一賃金のすべて」

私が司法試験受験生の頃はシェア率がかなり高かった水町先生による、同一労働同一賃金についての解説本。

内容的には、ガイドラインの補足をQ&A形式で行っていくという感じか。

たとえば、会社側の正社員に対する「将来への期待」といった主観的な事情も考慮されるのか?というQについては

正社員の雇用管理区分と非正社員の雇用管理区分をわけている……場合に、長期雇用予定の正社員とそうではない非正社員とは将来に向けた役割や期待が違うため賃金制度を別に設定しているという使用者側の主観的・抽象的な認識・説明では不十分であり、実際に、職務内容が違うとか、人事異動の有無・範囲が違うといった、客観的・具体的な実態の違いがあるか否かによって、不合理性が判断されることを示すものである。これは、理論的には、本状の強行法規性に由来し、当事者の主観的な事情・認識ではなく、客観的な事情・実態に基づいて判断すべきことを明らかにしたものといえる。

として、①長期雇用の中での人事異動の範囲の具体的な違いがあって(客観的な実態の違いの存否)、②その違いに相当するかたちで職能給が支払われているかどうか(関連性・相当性)を考慮して、不合理性を判断すべきとしている。

さて、賞与の待遇差が問題となった大阪医科薬科大学事件では、正職員とアルバイト職員で職務内容に等につき大きな差異があった。すなわち、正社員は
・大学全体に影響を及ぼすような重要な施策
・病理解剖に関する遺族への説明
・劇物等の管理業務
・部門間の連携を要する業務
等を行っており、業務の難易が高く、責任の程度が重かったことが指摘されている(客観的な実態の違いがある)。そうすると、正社員を確保・定着させる必要性が高いといえて、正社員を厚遇することが認められる(関連性・相当性)といえるだろう。

ここまでもってくることができれば、あとは、待遇差=賞与の目的が正社員の確保・定着にあるといえれば、待遇差は合理的となる。

目的の認定については、最高裁と高裁で異なっている。すなわち、高裁では、功労報償の趣旨があると認定したのに対して、最高裁は正社員の確保・定着にあると認定している。
この違いは、高裁は、賞与の支給額は正職員の年齢にも在職年数にも何ら連動していないとしたのに対して、最高裁は、賞与の算定のもととなる基本給は勤続年数に応じて支給されているという事情を指摘している。

正直、最高裁の、賞与の目的を正社員の確保・定着にあるとしたという部分については、判旨を読んでもイマイチわからないが、次のように一応説明できるのではないか?とも考えられる。

・前提①:賞与は基本給の4.6ヶ月分が支給されることからすると、賞与には基本給の性格が反映される
・前提②:基本給は勤続年数に応じて昇給する仕組みをとっている
・前提③:正職員にはジョブローテーションがあって、勤続年数が長い正職員は、ジョブローテーションを繰り返して職務遂行能力を高めている
・前提④:基本給は、長年勤続してジョブローテーションを繰り返し、職務遂行能力を高めた正職員に多く支払われることになる
以上からすると、賞与も、職能給としての性格を有していて、ジョブローテーションを繰り返して、職務能力を高めた社員に多く支払われることになる。そうすると、賞与は、正職員の確保・定着のために支払われている、というふうに読めるだろうか。

功労報償としての性格を有していると認められると、高裁のように貢献度に応じて支払うべきということになる。
そうすると、大阪医科薬科大学事件のように職務の内容や責任の程度を大きく変えて、勤続年数に応じて賞与を多く支給するという仕組みをとることで、賞与の目的を正社員の確保・定着にあると認められやすくする、程度の対策しかないと思うところである。

つまり、日本型雇用に近づけば近づくほど、すなわち、職務限定なし+勤務地限定無し+定期昇給(勤続給)という仕組みをとって、勤続年数に応じて賞与や退職金を支給することにすれば、それらの支給に関する待遇差は不合理とはいえないという結論にもっていきやすくはなるだろうと思うが、それが、近年の労働法政策の方向性とは合致していないのではないか?と思うとこである。