失敗はネタになると思えば怖くない

私は、自他共に認める「おっちょこちょい」だ。
「おっちょこちょい」。ちょこちょこって感じで耳障りはかわいらしいが、当の本人は必死なのである。
よく失敗をする。忘れるくらいたくさんの失敗をする。

「失敗から学びなさい」そんなこと知ってる。
まあいいのさ。うじうじしていても仕方がない。失敗してなんぼだ。このスタンスを保つために必死に自分に言い聞かせる。暗示も時には必要。

私は、ポジティブすぎる傾向もある。同時に、考えすぎるときもあり、ネガティブ方面に引っ張られることも。そして何もしたくなくなる。すべてが面倒だと感じるときも。そのときは、パタリとスマホをみなくなり、家でじっとする。(充電をしています)

そう、極端なのだ。0か100で動く。黒白つけたがる。

失敗したことをふと思いだし、一人で勝手に物凄く恥ずかしくなるときがある。そういうときは、一人部屋で叫ぶ。

それでもなぜか心は晴れない。

だから、失敗は笑い話にして昇華させよう。失敗した恥ずかしい気持ちを認めて、沈みきったあとは、あとは放つだけだ。
話すことは苦手。友達と話すときどちらかというと聞き役が多い。自分の感情を言語化するの苦手。だからこうして書いて、表現をしようと決めた。

もう一つ、自分をなだめる方法。それは、自分のポジティブすぎる精神をいかし、出来事の意味を変換させること。

自分にとって傷ついたこと、イラついたことを面白おかしく変換させてしまう。

バイトで理不尽に怒られたとき。「表面では、一応謝ってやるか~。ああ、私偉いよ。頑張ってる。尊敬しちゃうよ~。こんなことで怒る人もいるのか~。学びをありがとう。今日から私の反面教師の一人に任命です。」

腹黒いと思われようが、どうでもよい。自分を守る方法なんだから。自分で自分のご機嫌をとっていかなくちゃ。

もちろん、理不尽ばかりではない。100私の失敗も。

よく考えてみると、ずっと楽な道だとつまんない。出来事をなんなくこなして、すぐ成功するストーリーはどこか白々しいと感じてしまう。(世の中には実際にいるのかもしれないけど)。上手くいきすぎだろ!!っと悔しくなる。
そんな小説や、漫画読みたくないよ。青春もの少年漫画って絶対に困難の壁にぶつかって、葛藤して自分と向き合って、、というプロセスがある。実際にそのほうが私の心には響く。

最近、そういう青春群像劇にはまっている。物語に浸り熱くなる。

逆境こそ燃えるのだ。困難な時こそ「やってやるよ!」と反骨精神が湧くのだ。

文章うまくかけるようになりたい。何かの自己啓発本に書いてあった。自分が嫉妬する相手は、自分と似た才能を持っている。その相手がもっている才能のどの部分に嫉妬しているのか。そこから自分を知れる。

でも、noteを始めたのは、自分の本音(感情)を言語化するため。自分の表現場所だ。だから、まずは人の目とかよりは、自分が思ったありのままを書いていこう。表現することで、自分が何が好きで、何がきらいか、どんな人間なのかわかってくるだろう。(自己分析で見事に迷宮入りしました。他人に合わせてその場の自分をつくってしまっていることに気が付き、よけいにわからなく。だから、自分の本音に向き合っていきたい)

自分の進む道が分からなくなると、本屋さんに無性に行きたくなる。そして、自分の今の状態を救ってくれるようなことばを求める。

そしてたまっていく自己啓発本。。。学ぶことも多いが、ときに熱すぎてやけどしそうになる。

沈んだ心、不安な心に寄り添ってくれるのは私にとって物語やエッセイ。小説、ドラマ、漫画である。
誰かの人生を生きることができる。自分が経験できないことも、本を開けば自由になれる。何者にでも一瞬でなれる。いつの時代にもどこの国にもいける。

物語に入り込み、浸ることでその世界観を生きることができる。現実逃避なのかもしれない。でも、現実世界以外の場所、安全基地を持つことは私にとってとても大切なこと。

その世界があることで、うまくバランスをとっていける。



こういうのってどうやって終結をもっていくんだ。思っていることつらつら書いたら、あっちこっち寄り道しすぎているし、おわるの難しいな。まあいいか。とりあえずこの辺で終わっとこうかな。今年のモットーを忘れないようにせねば。6~7割で上出来だあああ!!!!

ふう、あやうく完璧主義がまた発動するところだった。



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