読書が好きな人が会する場所

お題は「読書会」。でも私はいわゆる読書会に参加したことがないのです。眞琴の正体は秘密ですからね。致し方なし。


ただ、先日読書会主催者さんたちとお食事を一緒になってお話をする機会があって今日はそんなお話からすることにします。ん?正体は秘密って設定はさっそくどこへ行ったって?ふふっ、なに、私だってしかるべきときには正体を明かす。ただそれだけのことですよ。


さてお話をしていると、読書会主催者さんたちはどのようにして読書の輪をひろげるかということをとても真剣に考えていることが伝わってきました。そのためにどうしたらもっと読書会に足を運んでもらえるのか、とも。

その時の私といえば黙々とカレーを食べ、真っ先に平らげていたような気がします。本は読んでも空気は読みませんからね。でもちゃんと聞いてましたよ。ええ、食べてても傾聴の姿勢は崩しませんとも。

読書を楽しむ人のパイをひろげること、読者の「質」のこと、出版にまつわること、新刊書店や古書店、図書館のこと。本を軸として本当にたくさんのことをお話しして考えました。刺激的でいい経験だったなぁ。時間さえ許せばたぶんあのまま一晩いけましたね。

そういえば読書垢の中ではある程度その存在が認知されている「読書会」ですが、地域や開かれている場所にはかなり偏りがあるんですよね。やっぱり東名阪やその近郊に偏重してるし。人口が多いところ、アクセスがしやすいところに集中するのは現状しょうがないといえばしょうがないことかもですね。

東京近郊住みの私は予定と秘密を明かす勇気さえあればいろんな読書会に出会えるんですけど、地方住みだったとしたらなかなかそうもいかないです。ところで私、勇気はあるか?

思うに勇気を実家に置いてきている私としては、きっと今後も読書会に参加することは多くはないと思うのです。やっぱり正体は秘密です。あくまでも現時点でですけど。

それに、読書の輪を広げるのは必ずしも読書会という枠組みだけが請け負わなければいけない命題ってことはありませんからね。好きを語れる場所はあるに越したことないですけど、口下手さんや恥ずかしがりやさんだっているでしょうし、外に出られない人や人の多いところに行くことができない人だっているのですから。

あれっ?お題が読書会なのに…読書会に行かない話になってる……。じゃあ、ここからはもう一つのどくしょかいの話を。


「どくしょかい」って入力すると、私のPCでは「読書界」とも変換されるみたいです。まぁ誤変換なんですけど読書界ってなんかかっこいい。そんな言葉があるかどうかも調べてないんですけど、読書界隈とか読書をとりまく環境なんて意味にとらえられるのかな。うん、読書界、いい言葉。

本来は読書って一人でするものだから、今Twitterでありがたくも大勢の読書垢さんたちとつながっていられるのはちょっと不思議な状況だったりもします。こんな人数の文芸部とかあったら……想像しただけで恐ろしい。文芸部もとい読書垢のみなさんはそれぞれ思い思いに読書を楽しんでいて、ツイートを読むだけでもエッセイを読んでいるかのような楽しさもあり読書初心者の私はいつも選書も参考にさせてもらってます。ありがとうございます。

さて、せっかく読書界なんて言葉も飛び出したので、ここからはゆるっと読書を楽しんでる私が、ここ1年間読書界をゆるっと揺蕩ってみて感じたことをちょっとお話していきますね。

私はまず、本を「つくる、売る、買う」のサイクルがうまくかみ合っていないのではないか?という疑問を持ちました。

特に「売る」のところにひずみのようなものを感じています。たとえばビジネス・自己啓発書のコーナーには週刊誌のアオリのような強めの言葉が並んでいます。平積みされた本たちを眺めながら「ここに書いてあるバカって私のことじゃないといいな……」なんて思うし、なんなら「これを買う人は少なくとも自分のことはバカだとは思っていないんだろうな」なんて思ったりもします。ちょっと怖いですよ。ここは修羅の国か何かですか?

小説は小説で帯には買ってくれと言わんばかりに「オチ」や「伏線」や「どんでん返し」のラスト〇〇ページ系とか、「号泣」なんて言葉が並んでますね。私が最後に号泣したのはいつだろう。(あぁ、あのときか……。)

実写化しすぎ問題については割愛。これだけで1つの記事になるから。そもそも、実写化は原作ファンに向けてつくっているわけではな……()

そう、だから刺激的な言葉は購買へと人の行動を促すかもしれないけど、刺激にはいつか慣れるもの。不感症になったあとには劇薬や麻薬に頼るしかなくなってしまうかも。やっぱりここは修羅の国か何かですか?

もちろん売れなければ始まらないけど、売れたらおしまいにしてしまうのは本を消費するものとして扱ってるってことですよね。本ってそういうものでしたっけ?まぁそういう本もあるんですよね。そんな本ばかりにはならないでほしいですけど。

対して書店員さんのつくる手書きPOPには結構ほっこりさせられるような気がします。手も愛も込んだPOPを読むと、その本への愛情を感じます。そういう点では読書垢さんの読了ツイートを読んでいるときと感覚は似ていますね。書店員さんありがとう。

だから私、これからも可能な限り本を買いますから、本をつくって売ってくださる方たち、なにとぞ良き本をこれからもよろしくお願いしますね。


読む側、読者の話。ここからは過去ツイの焼き直しのような内容も含みます。ご了承を。

読書垢、タイムラインをなぞればフォロイー・フォロワーさんが読了ツイートをあげていて年間〇〇冊・〇〇冊目読了の言葉が流れる日常。おや?私、読書垢を名乗っておきながら最近読了ツイート上げてないな。そもそも本を読んでないかも。読書垢なんだし読まなきゃ。読了ツイート上げなきゃ……。読めない、書けない……。読まない上げない私は読書垢を名乗る資格ないな。みんな読めてるのに私読めない。Twitterつらい。そんなループ。

私もいっときはまりかけましたけど、私の相互フォローさんだったけど今はTwitterから離れてしまった方がいます。もちろんすべてがこういうループに……ってわけじゃないですけど、こんなループにはまってしまった人はいたんじゃないかなと思っています。

すべての読書垢の人たちに言いたい。

「読書垢を名乗るのに資格なんていらない」と。

読書歴も浅いニワカ読書垢が言い切ります。読書垢を名乗るのに資格はいりません。名乗るも名乗らないも自由だし、読書は自由です。自由であるべき、じゃなくて自由です。

オールジャンル読まなくても、考察したり議論したり語れなくても、好きなところがうまく表現できなくても、毎日読む必要もたくさん読む必要だってない。日常ツイートばっかりでも診断メーカーばっかりでも仕事の愚痴でもツイートしていいし、見る専でもいい。ニワカでもファッションでもいいんじゃないかな。読む目的だって十人十色、無限の色。

「読書垢は読書家なんじゃなくて、読書が好きなアカウント」なんだから。

私みたいなちょっとカフェに入って数ページ、通勤電車で数ページ、読まない日もあるし読む日もある。読書歴も浅いし未だ1冊も読んでいない作家さんは数知れず。読書会を主催するわけでもない。そんな私が今プレッシャーを感じて看板を下ろそうか悩んでいる読書垢さんに。

「楽しく読んでこそあなたはあなたの読書垢ですよ」

どうかつまらないことで読書を、読書垢をやめないで。私があなたを認めるから。

あれっ?たった今思ったんだけど、読書垢さんがあつまるこのTwitterが出入り自由、飲み食い自由、課題本なし、読む読まない、発言自由な読書会みないなものじゃないか。なんだ、読書会参加してんじゃん。超人数の文芸部部室……的な?カオス。それもまた良いものだね。あぁ、普段いるここが読書が好きな人が会する場所だったんだね。自分で書いていて非常に納得してしまった。ひとがどう思おうが納得してしまった。

こういう話題はつい柄にもなく熱くなってしまうのでこのあたりで。

ここまで読んでいただいた方、3,000文字超ですよ!時間と集中力をいただいてしまって申し訳ない。けどそれ以上に、ありがとうございます。

ニワカにはニワカにできることをやるです。では。

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