異説のようで王道「真説・企業論」

ここ数年に読んだ本でベスト3に入るレベルの傑作に出会えた。
著者の中野剛志氏は経済産業省の官僚で、経済思想批評が専門である。話題のMMT(現代貨幣理論)を肯定する論客の一人で、MMT関連の本を読んでいるうちに派生して本書に行き着いた。

本書ではスタートアップや関連業界では美徳とされているあらゆる事柄に反論が呈されている。例えば

・大企業は硬直的でイノベーションが生み出せず、スタートアップが世界を変えうるイノベーションを起こす
・日本の経済成長が硬直的なのは変革精神・挑戦者精神が足りず、起業数や投資額が足りないから
・長期雇用慣行は有害で、組織の硬直化を引き起こす
・日本は規制が多いのに対してアメリカは少ないから、GAFAレベルの企業が誕生する

など、起業家界隈を中心によく支持される言説は本書が真っ向から否定するものである。

いくつかの点(それは最後に)を除けば、概ね著者の意見は正しいと思う。

起業=イノベーションの幻想

・1980年代以降のアメリカでは、ベンチャー企業の開業率が下がり続け、2009年以降の開業率は、1977年のおよそ半分程度しかない。
・アメリカの若者が企業を保有する比率は下がり続けて、2013年は1989年の1/3程度にまで落ち込んでいる。
・そもそも、アメリカは、過去40年間、低い生産性を記録し続けており、「大停滞」と呼ぶべき状況にある。画期的なイノベーションも起きなくなっている。IT革命は、それほど大きなインパクトを持つものではない。

まず著者はしばしば話題にされる起業=善という風潮について疑問を提起する。主張はエビデンスに基づいており、「アメリカでは若者の起業が多く、企業の新陳代謝が活発なことで高い生産性となっている」といった典型的な主張がいかに適当かつ感覚的な議論であるかが分かる。

スタートアップといえば聞こえは良いが、ようは零細企業である。経済が成熟すれば開業率は下がるのは自明である(全員が自営業者である原始的経済を考えればわかりやすい)

菅さんのブレーンのデービッド・アトキンソンは、日本は労働者人口のうち大企業の割合が欧米に比べて低く、中小企業の就労人口が多すぎることを問題視している。単純に就労人口の大企業割合が高いほうが望ましいというのも短絡的かもしれないが、開業率の低さを論点にすることがナンセンスだろう。

大企業はイノベーションを起こせない?

イノベーションの担い手は大企業ではなくスタートアップ、クローズドイノベーション(R&D)ではなくオープンイノベーション(協業)という対比はよく聞く。ちょっと考えればこれも眉唾で、化粧品事業を見事に立ち上げた富士フイルムのような例はいくらでもある。

本書では、トヨタが新日鉄に対して特注品の合板を要求して受注者が応える例を紹介し、大企業発のカスタマイズや長期的な営業努力、R&Dがクローズドイノベーションを生み出し、それが社会変革の源泉になっていることを示している。

また、大企業は組織体制がしっかりしている分、経営がコミットしたプロジェクトはむしろトップダウンで進めやすいこと、資金力があるから短期的な成果にとらわれずにプロジェクトが進行できる点も有利である。

近視眼的なベンチャーキャピタル

著者の意見をざっくりまとめると

・大企業⇔スタートアップ
・自己資金(or 銀行借入)⇔ベンチャーキャピタル
・長期雇用⇔人材の流動化
・クローズドイノベーション⇔オープンイノベーション
・日本伝統的⇔アメリカ的

という対立軸で、左側の価値が貶められ右側にばかり世論が注目しているが、日本の経済的・技術的成長を支えてきたのは左側の価値観であり、盲目的にアメリカの追従をするのはやめるべき、ということになる。

ベンチャーキャピタルの欠点はファンドの償還があるため視野が短期的になる点にある。結局ベンチャーがやってることは、大企業が生み出した技術シーズをうまく事業化してぱっと売り抜ける。ベンチャーキャピタルは、その会社が社会的にどれだけ価値提供できるか以前に、テクノロジーのトレンドを読んで投資時点以上の株価がつくかを考える。従って、ベンチャーキャピタル主導のビジネスでは、GDPを大きく成長させたり国民生活を大きく変容させることは難しい。

感想

ベンチャービジネスに長く携わりながら、スタートアップと大企業を比較して見るポジションにいる身として、本書の主張はかなり的を射た議論であったと思う。私が見る限り、多くの大企業は適切に統治されており、効率的に運営され間違ったことをしていない。技術的イノベーションが大企業から生まれるのも事実だろう。

一点だけ異議を提起するなら、本書はイノベーションの下部構造を質的な技術革新に置いているように読めたがそれはどうか。例えばユニクロは、低品質な服から始まり規模拡大を経て、airismなどの素材発明、+U,+Jといったブランドの開発を行った。質的な技術革新があってそれを世の中に応用するという順番よりも、利潤追求や風呂敷が先にあってあとから帳尻を合わせたり余裕が出て技術が伴うイノベーションも多いのではないか。

いずれにせよ巷のビジネス本・スタートアップ本に比べて主張が骨太で論理的である。オススメの一冊。

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