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小沢一郎 「闘いの50年」

1969年の初当選から議員在職50年を迎えた小沢一郎衆院議員。自民党田中派のプリンスとして金丸の寵愛を受け47歳の若さで自民党幹事長に就任。それから平成政治は常に小沢氏が台風の目として、永田町を騒がせてきた。

民主党の崩壊後、しばらく影が薄かったが立憲・国民民主党の合併で多少、存在感を回復しつつある。本書は、地元新聞社のインタビューで小沢氏が初当選以後、たどってきた歩みを自ら語るものである。90年代の証言というシリーズで一度インタビューを受けているが、民主党政権後の回想をまとめて行ってるのは本書が初めてかもしれない。

創政会の誕生

僕は派閥内で家督を決めてさえくれればいいと思っていました。そしておやじが復権するまで待とうという心境でした。ただ、権力者から見れば、後継者ができた時にはもう人心はそちらに移ってしまうからね。どんな組織だってそう。権力者は絶対に後継者をつくらない。権力者の常なんです。それをもう少し理解してやらなきゃいけなかったかもしれない。だけどそれを理解しているといつまで経っても後継者はできない。仕方がなかったのかもしれません。

小泉純一郎評

小泉さんがなぜ郵政改革をしようと考えたかと言うと、自分の選曲には田川誠一さんというライバルがいて、特定郵便局などの郵政関係団体はずっと田川さんを推していたんです。小泉さんはそれで選挙に苦労していた。だから「特定郵便局をつぶせば改革をできる」なんて言って郵政民営化を進めたのであって、実は自分の選挙事情があったんです。そこがうまい。自分の闘争を1点に集中させて、焦点をそこに持っていって突破するというやり方は非常にうまかった。
若い頃にはそんなに存在感があった人間ではなかったですね。国会対策に汗をかいたわけでもない。でも政治的感覚と割り切りがいい。今は反原発を訴えていますが、自民党時代に賛成だったことを問われても、「んー、変わった!!」とそれでおしまい。そう言われると質問があとに続かない。そこがすごいんだ(笑)。

小沢氏は小泉を高く評価しており、かつ国民的人気を集めるカリスマ性を素直に認めている。それだけに、民主党代表就任直後の補欠選挙で圧倒的な人気の小泉を相手に千葉7区で勝利したことを誇りに思っている。

鳩山氏の偽装献金問題について

鳩山さんの問題は贈与税を払わなかったわけですから、完全に脱税です。それを後から申告しただけで終わりにしたんです。これは僕に対する捜査の継続と事実上、取引したのではと思われても仕方がないことです。

鳩山-小沢ラインは菅政権後も共同歩調をとった印象があったので関係良好と思っていたが、意外にも鳩山氏の政治資金問題を切り捨てている。鳩山氏はよく小沢に総理にしてもらった感謝を口にしているが、小沢のほうはもう用無しということなのだろう。

民主党政権の命運

今思うと、幹事長を内閣に入れないという一番最初のマニフェスト違反をしたことで、鳩山内閣というか民主党政権の命運が尽きたんじゃないかと思っています。僕が内閣にいれば・・・と思うこともありますが・・・。まあ実際にはわかりませんね。ただ、鳩山さんの脱税はどうしようもできないです。普通であれば実刑判決を受けるぐらいの犯罪ですから。
(略)
菅さんなんて「逆立ちをして、へども出なくなるまで無駄を省く」といっていたのに。消費増税を言い出してしまったら、もはや政権交代時の民主党ではなくなってしまいます。

これは民主党政権構想で党幹事長ないし政調会長が国家戦略担当大臣として入閣し、政府与党一元で陳情を処理する構想を指している。この件は「幹事長秘録」「民主党政権とは何だったのか」にも詳しい。

ただ、不思議なのは閣僚と党役員の兼務にNGを出したのは他ならぬ小沢であることを菅直人は証言している。

組閣の過程で等の政調会長を内閣の国家戦略担当大臣が兼任する。それによって党と内閣の政策の一元化を図ろうと一旦、決まっていたのです。それが結局、組閣の前の日になって、小沢さんがダメだといい、鳩山さんがそれに応じてしまった。その結果、政調会長の兼任をなくしただけでなく党の政調会それ自体を廃止したのです。
(略) たぶん小沢さんは自分が党の全権を握るために、私が政調会長を兼任するのを嫌がったのでしょう。
(「民主党政権とは何だったのか キーパーソンたちの証言」)

以上を総合すると、自分を国家戦略担当大臣に任命しなかったことがマニフェスト違反という解釈なのだろう。

本書の教訓

本書は随所で小沢一郎氏と袂を分ったかつての同志や、政局の敗因について小沢がコメントを述べている。論評は渡辺美智雄、羽田孜、竹下登、梶山静六、奥田敬和、加藤紘一、鳩山由紀夫、菅直人などに及ぶが(奥さんについては言及がなかった笑)、ざっくりいえば人の欠点を指摘し「あいつがXXだったから最後ダメになった」という程度のことしか言っていない。論評は感情的なものもなくはないが、正論が主だ。

小沢氏が50年政界を生き残ってこれたのは、原理原則に則って付き合う相手を見定めて行動してきたからといえる。一方で、小沢氏が行動をともにした仲間が全員袂を分かつことになったのは小沢が原理主義的で包容力がなかったためで、もっといいかげんな人間だったら二大政党制の確立や自民党解体といった大仕事を成し遂げられただろう。

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