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味音痴の『食』の愉しみ

だいたいなんでもうまいやろ。正直、細かい味については全く分からん。

「これは、〇〇が効いてる」

「今までの〇〇で一番うまい」

などなど、自分の食に対してのボキャブラリーがない為、これくらいしか出てこんけど、なんやら食レポのように評論する人もたくさんいる。そんな細かい違いがわかってすごいな、とも思う。

「うまい!」を狙って作ってくれてるんやから、うまいやろ。「まずい!」を狙うわけないしな。ある程度、味の想像のつくものはだいたいうまい。

「なんの話やねん!」

ということだが、実際、こんないわゆる味音痴なやつもいるということだ。それが自分。正直、360日カレーでもいいんちゃうかな〜、というくらい。5日くらいはどうにか違うもんも食いたいかな…。

でも、ありがたいことに知り合いの店、人に連れて行ってもらうレストラン、などなど、美味しいといわれる場所に、まあまあ行ったことがある。そして、そういう場所に行くのは好きだ。

「矛盾してないんか!」

というご指摘はごもっともだが、歌が下手な音痴の人も音楽を聞いたり、歌を歌うのが好きということもあるだろう。それと同じ?かな。食べることが好きというよりは、そういう場が好きなんだろう。そして、酒はまったく飲めないが、飲み会は嫌いじゃない。むしろ結構行きたい。

そこで、自分は味のことにも疎く、お酒も飲まないのに、なんでそう美味しいものの店や飲み会が好きなんだろう。と、ふと考えてみた。先ほどもが好きだと言ったが、まさにそれ。雰囲気のいい店は、一品一品出し方まで工夫して目で楽しませてくれるし、食材のうんちく(怒られるか?)を教えてくれもする。店主との会話は本当に面白いことが多い。ここのポイントを結構重視している向きがある。また、飲み会なんかは人といかに話をして色んな情報を得たり、この人はこういう考え方をするんだな、なんていうことや新たなエピソードトークのストックにもなる。酔っていく様も面白い。酔い始めたな、酔い始めるとグラスの上に手を置くな、とか、酔うとこういう話するのか〜、なんて人間観察するのも下戸の特権かもしらん。知らんけど…。

要するに、そこの場に一定時間居座って、楽しんだ対価を支払う

ということなんだろう。牛丼チェーン店に行って、10分で350円のランチで満腹にもなれば、2時間まったりと1500円で満腹と満足を味わう。どちらもお腹は満たされても満足感は全然違う。合理的にお金と満腹だけを考えれば、安く早く満たされるところにいけばいいが、みんなそうしているわけでは、当然ない。(だいぶ混んではいるが…)

それは、やはり対価に見合った場づくりに対しての満足を買いに行く、やはりそういうものなんだろう。自分は卑しい根性がさらにあるので、お金と時間の元を取る目に喋るし、情報を取りに行くマインドが働いているかもしれない。ヤバいな…。

最近では、写真を撮ってSNSに上げるために行く人たちも多くいると聞く。これは、そういう人たちを歓迎しているところもあれば、そういったことを歓迎しない場づくりをしているところにとっては、迷惑なこともある。SNSも相当浸透しているが、まだまだ成熟しきっていないということか。

行ってみたい店があれば、どんどん行くのもいいが、自分にあった行きつけを見つけるのが一番の収穫ではないだろうか。自分に合うということは、その場にいることで落ち着くということだろう。行きつけの店があるのは非常にいい。以前にも行きつけの店に通うことでいろんな出会いがあったことを書いた。それを求めるか求めないかもあるだろう。皆が自分と同じ感覚ではないだろうから、しゃべらないで本をゆっくり読めるのもいいし、コーヒーを飲んでいい音楽を聴くのもいい。

なんにせよ、味が分からずとも酒が飲めなくとも店に行くし、店を楽しむこともできる。味の細かな違いもうんちくも知らないが、雰囲気のある店には行ってみたいものだ。やはり、そこの提供する空間や過ごす時間にその対価を気持ちよく払いたい。

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