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焼き鳥屋がなくなる日

『西部地区』

函館山の裾野近くをそう呼んでいる。最近は観光客が多くなり、常に外国人を見るようになった。そんな観光地のど真ん中で、店の暖簾を下ろす焼き鳥屋が2つある。

まずは、銀座通りに面している『千羽』。

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店主がご高齢で続けていけなくなり、後継者もいないことから、暖簾を下ろすこととなった。しかし、勿体無い。そして、この『銀座通り』という華やかな響きも悲しくなるほど、空いていない店が多い。東京以北最大の繁華街ということから、東京の銀座に負けずとも劣らないという意味合いも込めて名付けられたという。それが見る影もない。ただ、函館を象徴するようにこの通りを防火帯にしようと耐火建築にした建物が十字街寄りには立ち並ぶ。また、昭和初期辺りの古い建物も沢山ある為、非常に風情はあり、さらに昔は川だったこともあり、柳の木がアクセントになっている。

もう1つは、電車通に面している『焼き鳥家族』

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こちらも建物は相当古い。時代を表すように2階には洋風な上げ下げ窓。こちらは、移転してお店は続けるらしい。何の因果か観光客が増えすぎて、常連客が入れないということや外国人観光客のマナー等により、移転を決めたということを聞いた。どこかの国で勝手に取り上げられ、持ち込みをする客、長居してもほとんど頼まない客が来るようになり、開店前には行列ができるという。なんともいたたまれない理由により移転。

そして、この近辺に唯一あった2つの焼き鳥屋が姿を消す。さらにどちらとも建物の解体を検討している。これも函館を象徴するかのように共に借地上建物である。建物も古く、地代が発生するので、早々に壊してしまおうと思うのは、当然だ。

ただ、かたや銀座通り沿い。かたや電車通沿い、と、非常によい通りから無くなってしまうという。なんとか残して活用する方向を模索したいが、なかなか難しい。誰か焼き鳥屋を継ぎたいという人はいないのだろうか。地主にはまだ、なにも打ち合わせしていないが、建物を受け継ぎたいという人がいれば、全力で応援するし、地主への交渉も頑張る。

長年そこの景色の一部だった建物がなくなるというのは、やはり寂しいことだ。全てを救えるわけではないが、少しでも抗いたいし、もがきたい。新しいものはいくらでも作れるが、古いものはあえて作れない。なんでもかんでも残せと言いたいわけではない。観光や商業の主要な道路に面した場所の建物は、なんとかしたい。そこが解体されたあと、駐車場になることがとても多い。これだけは、なんとか避けてほしいものだ。

焼き鳥屋としての活用じゃなくてもなにか再成案があればトライしたい。

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