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おーい!落語の神様ッ 第十話

 咲太はみかんと解散して浅草から師匠宅へ向かう間、例の爺さんに初めて遭った夜からこれまでの事を思い出し、あれこれ考えながら歩いていた。
 そして今の咲太のように大量の貧乏神が一人の人間に集まるのは特殊な状況に違いないと結論付けた。街中や電車の車内、寄席や新潟でも、大量の貧乏神が憑いてる人を見たことがなかったからだ。今だって周囲を見渡してみても、せいぜい両肩に乗っているくらいで、十数人を引き連れている人間は誰もいなかった。
 どっかでくっ付けてきた貧乏神が何かの拍子に合体して消えながら、居たり居なくなったりして、悪くても貧乏神が二人というのが相場なんじゃないだろうか。世の中はそんな風に出来てるのではないか。
 その均衡が崩れるのは落語家が『死神』を頻繁に演る時くらいだとしたら。
 爺さんに遭った日の前日だったか、弟弟子のおそ咲に頼まれて『死神』についてアドバイスをした。その時、互いにあの呪文を何度か口にしている。きっとおそ咲には貧乏神がいっぱいいたはずだ。それらが行ったり来たりした挙句、最後は自分に憑いていたとしたら。
 あの夜、あの爺さんは俺に憑いてた貧乏神を払ってくれたはず。貧乏神達は俺に憑く前の人間、つまりおそ咲に戻ったはずだ。おそ咲から師匠に憑き、そして巡り巡ってまた自分に戻って来たのだとしたら。
「だとしたら、だとしたら。全部、だとしたらだな」
 咲太が深刻な顔で貧乏神達に目をやると、当人達はいつも通り楽しそうににこにこ笑っている。
「本当に、お前らとあの爺さんだけには調子を狂わされるよ」
 
 柳咲の家に着いてインターホンを鳴らすと、昨日と同様、柳咲の声がして居間に通された。弟弟子のどちらかがいるのではないかとの予想は外れたが、家の中が小綺麗になっていて、誰かが掃除した事は一目瞭然だった。
 柳咲に挨拶をして仏壇に向かい、線香をあげて手を合わせた。おかみさんに挨拶を終えた咲太は柳咲の前に座った。
「師匠、寝てなくて良いんですか」
 一日でこんなに回復するのかと驚いたが、柳咲は倒れる前からは見違えて血色が良く、貧乏神もいないので咲太はほっとした。
「寝てようが寝ていまいが、どうせもう長くはないんだ」
「きょう柳から聞きましたけど、そんな事ないらしいっすよ」
「あいつは本当の事は絶対に言わん」
 柳咲がこうと思い込んだら何を言っても聞かないのはわかっていたので、咲太は早速本題に入った。
「師匠、来月の主任トリの件なんですけど」
「何だ」
「いや、あの、師匠。俺、まだ二ツ目ですし」
「昨日、言っただろ。お前の昇進を有りの実・・・・にしようとしてる連中がいるんだ。アタシはそいつらと闘うと決めたんだよ」
〝有りの実〟とは梨のことで、梨=無しとかけた言葉だ。縁起を担ぐため、先人が「なし」を「あり」に変えたのだ。「するめ」を「あたりめ」、「髭をそる」を「髭をあたる」など験を担ぐ商売ならではの言い換えがいくつもある。だが「すりっぱをあたりっぱと言う」は寄席の王道ギャグで実際には言っていない、はず。咲太は師匠のこういうところがたまらなく好きだった。
「でも、俺、客を呼べるとは思えないんです」
「そんなのはわかってる。だから協会や仲間はみんな反対している。でもな、今のお前の状況を考えると、来月の主任興行を成功させて、真打の器量からだだと周りに証明するしかないんだ。もし、十日間の内、一日でも満員に出来たら真打昇進決定。出来なかったら昇進は見送り。この条件でみんなを納得させた。誰にも文句は言わせん」
 昇進がなくなるだけなら良い。いや良くはないけれど、咲太自身の面子がつぶれるだけで済む。しかし今回の場合、きっと協会での柳咲の立場、さらには落語界での柳咲の立場が危うくなるのではないか。そうじゃなければこんなに滅茶苦茶な条件が通るはずがないのだ。咲太は目の前が真っ暗になった。
「それともお前、昇進は諦めて、よそにでも行くか」
「よそって何です?」
「だから、昨日言ってた御仁のところでやり直すってことよ」
「つまり破門てことですか……」
 それならこれ以上柳咲に迷惑をかけることなく、咲太自身も苦しい中で真打昇進をしなくて済む。一番いい落としどころなのではないか。師匠も本心ではそれを望んでいるのではないだろうか。咲太は暗い気持ちになった。
「でも師匠、例の爺さんは噺家じゃないだろうって言ってたじゃないっすか」
 確か落語の神様と呼ばれた名人のファンだろうと話していた。
「そう思いたいが、お前がその御仁の落語に惚れ込んだという事はまず素人ではないだろう。他協会の実力者だろうな」
「師匠も知らない現役の噺家がいるんですか」
「寄席に出てない他協会の噺家なら知らない者は幾らもいる」
「そう言えば、しょっちゅう寄席に出てるって言ってました。神田の立花とか人形町の末廣とか。とっくの昔に無くなってる寄席ばかり言うんです。きっと洒落なんでしょうけど」
「ふむ」
「俺はずっと師匠の弟子でいたいです」
 咲太が真剣に言うと、柳咲はしばらく黙った後、口を開いた。
「咲太、落語の面白さって何だと思う」
 予想もしていなかった事を聞かれて言葉に詰まる。あの爺さんの落語や柳咲の落語を思い浮かべ、感じた事を上手く言葉に出来ないながらも答えた。
「フラがあって、噺家のニンに合っていて、なんというかその場にいるように思えるっていうか」
「フラ」とは、見た目も含めたその落語家の人間的な魅力みたいなもので、「ニンに合う」とは、落語の演目と落語家の相性が合っていることを指す。
「なるほどな」
 柳咲が小言を言う前の低く響く「なるほどな」だった。
「咲太、やっぱりお前はもう少しアタシの元にいなさい。そんな事しか言えないなら、よそに出したらアタシが馬鹿にされる。来月の十日間の興行が終わったらもう一度聞くから、ちゃんと考えておきなさい」
「わかりました」
 寄席のトリを任されただけじゃなく、落語の面白さについて柳咲を納得させる答えを見つけないといけなくなってしまった。
 だが、咲太の気持ちは先ほどまでとは違っていた。

 以前の人気絶頂の頃の咲太でも、十日間興行の内、満員に出来るのはおそらく良くて三日間だろう。それほど寄席の興行は実力が伴っていないと厳しいものだった。それを、独演会をやってもツばなれ(十人以上の客入り)出来るかどうかになってしまった只今の咲太では、一日だけでも満員にするなんて所業は奇跡が起きない限りまず無理な事だった。
 どうせ後がない。どんなに無茶な条件だろうが、もうやるしかない。それでダメならまた一からやり直せばいい。咲太は覚悟を決めた。
「師匠、来月のトリ、精一杯務めさせて頂きます」
 咲太は深々と頭を下げた。
「頼んだぞ」
「師匠も仲入り(休憩前の前半のトリ)で出てくれるんならお客さんもそこそこ入りますよね」
「アタシは出られない。それが条件の一つなんだ」
「マジっすか」
「お前も往生際が悪いやつだな。アタシに頼るんじゃない」
 そう言いながら柳咲はどこか楽しそうだった。咲太はまた谷底に突き落とされた気持ちになった。
 
 自宅に戻ってきた咲太は暗い部屋の中で仰向けに寝っ転がっていた。
 十日間の内、一日でも満員。師匠は出ない。あと一ケ月で自力で急激に客を増やすしかない。そんな事どうやったら出来るんだ、ちくしょう。SNSで宣伝すると良いと聞くけど本当だろうか。インターネットはなんか信用出来ねえんだよなぁ。そもそも「柳咲の代演ダイバネが(悪評高い)弟子の咲太になった」と発信したところで客が来なくなりはしても来ることはない。それなら知らないまま間違って入って来る方がよっぽどましじゃねえか。
 さっき師匠宅で覚悟を決めたばかりの咲太の心はもうぐらぐら揺らいでいる。
「こんちくしょう! 今から焦って集客の事なんて考えたって何にもならねえ。とにかく十日間、恥ずかしくない落語を演ることだけを考えるぞ」
 追い詰められた咲太だが、一ケ月の間、あの爺さんにみっちり稽古を付けて貰おうと決心し、早速習ったばかりの「唐茄子屋政談」を口に出してみた。すると体の芯に炎のように力が湧いてきた。
 
 新宿の寄席の七月中席(夜の部)の主任が柳咲ではなく、一番弟子の咲太に変更された事が正式に発表されると、仲間内も落語ファンも大いにざわついた。咲太は寿命が縮まる心持ちがした。

 一ケ月後。大勝負の直前、咲太は佐賀に来ていた。 

つづく

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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