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おーい!落語の神様ッ 第五話

 夏風亭とんびが国民的演芸番組『芸点』を降板すること、その理由が、まだ幼い難病の愛娘のためであることがネットニュースで流れるとたちまち話題となり、後援会が動いて寄付金が集められた。とんびの娘の当面の治療費が確保されたと聞いて、咲太は安堵した。
 咲太がどこでそんな話を聞いたかと言えば、鳴りもしないケータイを充電するために浅草と上野の寄席の楽屋に顔を出した時だった。
 電気とガスが止まってそろそろ一ヶ月が経とうとしていた。このままだと水道も危うかった。これほど切羽詰まった状況になったら先輩や同期に頭を下げて仕事を回して貰うところだが、咲太にはそんな仲間はいなかった。佐賀の紳士ととんびから頼まれた仕事だけは決まっていたので、咲太はそこまで辛抱してきた。佐賀は一ヶ月後だったが、とんびの仕事は明日だった。
「咲太あにさん、これ」
 二ツ目の高座を終え、着替えを済ませた夏風亭みかんに新幹線のチケットを渡された。ケータイの充電のついでに受け渡しの約束をしていたのだ。
「さんきゅ。とんびあにさんの仕事、マジで助かるわ」
「あたしも行くんでよろしくお願いします」
 みかんがにかっと笑う。この前と同様、両肩に貧乏神が乗っている。
「前座は?」
「前座がつかまらなくて、あたしになりました」
 真打の独演会は、通常、開口一番を前座がつとめ、本人が落語を二席か三席口演する番組構成だ。前座は、高座を作ったり、楽屋を整え開口一番をつとめて、高座返し(座布団をひっくり返す作業)や下座さん(三味線の師匠)がいない時の音響など、多くの雑用をこなす。明日は二ツ目で同じ一門のみかんを仕方なく前座代わりにしたのだろう。
「そうか。俺も手伝うから遠慮なく言えよ」
「なんか咲太あにさん、優しくなりました?」
「うるせえな。とんびあにさんには世話になったからよ」
「とんびあにさん、明日で最後ですね」
「休業だろ」
「そうですけど」
 咲太もみかんも休業が開ける時のとんびの状況を思うといたたまれない気持ちになった。
「それにしても、とんびあにさん、休業前の最後の仕事に咲太あにさんを連れて行くなんてずいぶん思い切りましたよね」
「だよなぁ……ってお前、それどういう意味だよ」
 キャハハとみかんが弾むように笑った。その度に貧乏神が楽しそうに弾んでいる。
「みかん、お前、金に困ってるとかあったら言えよ」
 咲太が真顔で言うとみかんが泣きそうな顔になったかと思うと爆笑した。
「真面目に言ってんだぞ」
「いや、だって、あにさん、今、家の電気止まってますよね」
「え!? なんで知ってんだよ」
「みんな知ってますよ」
 
 咲太はみかんと一緒に寄席を出てそのまま別れた。別れ際、明日、とんびが演りそうなネタをみかんに聞いてみた。すると、とんびの故郷であり落語の『松山鏡』の舞台でもある新潟のとある地域の公民館らしいので、おそらく一席目が『松山鏡』。二ツ目になったばかりの頃から世話になってる落語会らしいからもう一席は十八番おはこの『柳田格之進』ではないかと言っていた。
 きっと地元の後援会が主催の落語会だ。咲太は、無期限休業前の最後の仕事をそこにしたとんびの情の深さ義理難さを思い、そんな大事な会に自分を入れてくれたとんびに感謝した。
『松山鏡』は、鏡を知らない村の噺で、親孝行で働き者の青年が奉行所から褒美を貰う場面から始まる。着物も田畑も金子きんすもいらないという青年の唯一の望みは亡き父親との再会。村の者に聞くと青年は父親に瓜二つ。知恵を絞った奉行が青年に下げ渡したのは家宝の鏡。その鏡を見た青年は目の前に父親がいるので驚くが、これを喜んで大事にする。ところが妻には内緒にしなければならず……という滑稽噺。
『柳田格之進』は、実直で貧しい浪人が主人公の人情噺。親交があった大店の金が紛失した事で疑いをかけられた格之進が、武士の面目が立たぬと自害しようとするのを一人娘が止める。自分が犠牲になって身を売るかわりに、金が出てきて疑いが晴れたら、きっと大店の主と番頭を斬り、面子を取り戻して欲しいと懇願する。果たして、大掃除の折に店から紛失した金が出てきた。出世して戻ってきた格之進。主と番頭は覚悟を決めるが……。
 咲太はとんびが演るこの二つの噺が好きだった。やや高めの声に柔らかい人柄が滲む話し方がなんとも言えず心に響いてくるのだった
 その夜、咲太は久しぶりの落語会、しかも先輩が大切にしている会への出演とあって、興奮してなかなか寝付けなかった。貧乏神もまだ起きていた。
「師匠、どこに隠れちまったのかな」
 この一ヶ月の間、あの正体不明の爺さんに会っていなかった。高台の稽古場にも現れず、寄席の近辺でふらふらしていても現れず、爺さんと初めて会った時の屋台も探してみたが、咲太が行くと屋台すら出ていなかった。貧乏神の事をもっと色々聞きたいし、何よりも爺さんの落語をもっと聴きたかった。出来れば稽古を付けて貰いたかった。他協会の興行を覗いてみたが、何の手掛かりも得られなかった。咲太は、爺さんが天狗連(素人)ではなく、現役かどうかわからないが相当な落語家に違いないという確信を持っている。それなのに、どこかで確かに見たはずなのに誰だかわからない。あとちょっとで思い出せそうなのに全く思い出せない。咲太は自分で落語家に詳しいつもりだったが、その自信がなくなっていた。頭ん中に重大な記憶の欠陥でもあるのだろうか。目を瞑って羊を数える代わりに現役の落語家の名前を確かめる。いつの間にか眠っていた。
 
 翌朝、咲太はちゃんと起きて集合時刻に行き、新幹線に乗った。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」咲太が挨拶すると、とんびが「ちゃんと来たな。偉いぞ」とからかい、脇からみかんが「偉いぞ」と乗っかった。
「うるせえ、ですよ」咲太は二人に向かってツッコミを入れ、新幹線に乗り込んだ。
 新幹線のチケットの手配は落語会の主催者がしていて、とんびはグリーン車だった。咲太とみかんは指定席で離れた席だったが、空いていたので、みかんが咲太の隣に座った。
あにさん、今日、何演ります?」
 本来であれば高座から客席の様子を見てネタを決めるが、今日は、後援会への恩返しとばかりにとんびの二席が「松山鏡」と「柳田格之進」とほぼ決まっているので、そのネタがツかなければいい。「ネタがツく」とは、同じネタか似たネタを演ることを指し、客を飽きさせないようにする昔から連綿と続く芸人側の配慮である。これが結構重要で、落語にはそれぞれ決まった「まくら」と呼ばれる導入部があり、似たネタだとまくらがそっくり被ることがあって、客席はどうしても「さっき聞いた」という空気になるので場がしらけてしまうのである。
「俺は一応、『強情灸』かな。お前は?」
「あたしは『千両みかん』です」
 そう言ってテヘみたいな顔をするみかん。ぽかんとする咲太。
「開口一番に演るネタじゃねえよな」
「ですね」
『千両みかん』は、ビニールハウスも冷蔵庫もない時代、大店の若旦那が、季節外れのみかんが食べた過ぎて床についてしまい今にも死にそうになるという変わった設定の噺だ。息子の様子を見かねた主が番頭にみかんを探させると、やっと一個だけ見つかるが、その値段がなんと千両。例えば一両が今の価値で十万円だとしたら、現在だとみかん一個が一億円ということになる。息子の命を救うため、主はぽんと千両出すが、心中穏やかじゃない番頭がとった行動がサゲ(オチ)となる。自分の名前を最大限に利用して、ウケを狙う算段だろう。みかんらしいと言えばみかんらしい。
 咲太はふとみかんの両肩を見る。まだいる。
「やっぱり『死神』にすっかな」
 今あの呪文を唱えればみかんの貧乏神は咲太に憑くだろう。
「いや絶対ないでしょ。マジでそれはないわ」
「だな。『千両みかん』だってありかなしかで言うとギリなしだけどな」
「テヘ」
 これ以上他人の貧乏神を引き受けて、それからどうするんだ。てめえの真打の披露目もどうにもならねえ状況なのに。咲太は自分の愚かさ、不甲斐なさ、非力さに気が滅入る。
 
 新潟に着くと、世話人と思しき白髪の老紳士が出迎えてくれた。そしてそこで咲太は驚くべき光景を見てしまった。
 みかんがその老紳士に挨拶したとたん、みかんの右肩にいた貧乏神と老紳士の右肩にいた貧乏神が互いを指さして驚き、笑ったかと思うと空中高く飛んで、まるで強力な磁石の対極同士のようにひっついて抱き合った。ひっついた二体の貧乏神は大きく青白く発光し、液体のようにゆっくり融け合い、やがて弾けて消滅したのだった。
「う、嘘だろ……」絶句しながらみかんと老紳士の肩を確かめる。消えている。
「どうした咲太。何か忘れ物でもしたか」
 みかんも老紳士も心配そうに咲太を見ている。
「いや、ちょっと思い出した事があって。何でもないっす」
「変なあにさん」
 それからみんなで老紳士の車に乗り込んだ。
 移動の車中。とんびは老紳士に何度も礼を述べている。恩返しがろくに出来ずに申し訳ないと声を詰まらせていた。老紳士は事情をどこまで知っているかわからないが穏やかに口数少なく返事をしていた。みかんは窓を開けて気持ち良さそうに景色を眺めている。咲太はさっき見たものについて考えていた。
 
 会場の公民館に到着すると、男女別々に楽屋が用意されていて、机の上にはケータリングがこんもり置かれていた。これまでの会の歴史がわかるネタ帳や、訪れた芸人のサイン色紙も丁寧に飾られてあり、この会の主催者であるとんびの後援会がいかに芸人を大切にしているかが一目でわかる楽屋だった。
 開演までまだ時間があるし、高座もすでに出来ていて手伝う事もなさそうなので咲太は早めに着替えて、近くをぷらぷらしようと建物を出た。あの爺さんにさっき見たことを話したくて仕方なかった。
 建物の裏手のスロープを下っていると、新緑の中に広がる田圃の様子が目に飛び込んできて息を飲んだ。水が入っていて大きな鏡のようだった。束の間、現実の色々な事を忘れられた。
「ここの酒は旨いんだよなぁ」
 突然話しかけれて咲太は飛び上がって驚いた。
「し、師匠! ど、どうして」
「アタシは仕事だよ。あんちゃんこそどうしてこんなとこにいるんだぃ」
「俺も仕事っすよ。そんな事より酷いじゃないっすか、急にいなくなって」
「なんだい、そりゃ」
 相変わらず酒臭い。爺さんが雪駄を鳴らしながら咲太を追い越して歩いて行ってしまう。
「ちょっと、師匠、どこ行くんすか」
「どこって、仕事だよ」
「そっちに会場があるんすか」
 あぜ道が続きその先は山になっている。周囲には人家も見当たらない。咲太はとにかくさっきの事を言いたくて付いて行きながら話し続けた。
「師匠、俺、さっき見ちゃったんです」
「何を」
「貧乏神が消える瞬間ですよ」
 爺さんに言いたくて仕方がなかったので、つい興奮して声が大きくなった。
あにさ~ん」
 そこへみかんがやってきた。
あにさん、こんなとこで何してるんですか。もう出番ですよ」
 咲太は、良い機会だと思って、みかんを爺さんに紹介しようとした。ところが爺さんの姿が見えない。
「ほら、早く戻らないとまずいですって」
「みかん、お前、さっきここにいた師匠、見なかったか」
「師匠って誰です? あにさん、一人で喋ってるから稽古してるのかと思いましたけど」
「いや、ほら、高そうな茶色の着物きた。頭がつるつるの。そんで酒臭くて、今は臭くないけど、いや、なんか屁の臭いが、肥料の匂いか、いや……」
「何わけのわからないこと言ってるんですか。早く行かないと。お客さん待たせちゃいますよ」
 爺さんはどこに行っちまったんだ。みかんの姿を見て、素早く隠れたのか。だとしたらどうして。
「あっちでホール落語会とかあんのかな」
「あんな山ん中にホールとかないでしょ」
「だよな」
 濃い青の絽の男着物姿で小走りになるみかんを追いかけながら、咲太はみかんの貧乏神の一人がいなくなってるのを確認した。
 

つづく

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