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おーい!落語の神様ッ 第八話

 柳咲と一緒に救急車に乗った後は記憶が断片的だった。待合所は人で溢れているが笑ってる人はいなかった。皆疲れていた。右肩に貧乏神を一人、二人乗せた人も多かった。渡された書類に分かる範囲の事を書いた。診察室に通されて担当医から検査入院になったと説明されてそのまま帰された。
 弟弟子のきょうりゅうとおそ咲の二人に電話をしたがどちらも留守電になったので、師匠が倒れて検査入院になった事を吹き込んでおいた。柳咲が倒れる前に言ってた通り、二人は忙しいのだ。咲太は悔しさと恥ずかしさと焦りと苛立ちと誇らしさが入り混じる気持ちになった。
 病院の最寄り駅から電車で2駅乗ると、いつもの高台の稽古場から見える駅に着くので、そこまで乗って稽古することにした。さっきの師匠の『死神』の記憶が鮮明なうちに稽古をしておきたいと半ば切迫した気持ちにもなっていた。
 同じ車両を見渡すと、乗客の二人に一人は貧乏神を肩に乗せていた。自家用車を持っていない人が電車を利用しているのだからそんなものかと咲太は一人納得する。もしこの中に貧乏神を見ることが出来る人がいたら、今の咲太は誰よりも貧乏神を乗せているので驚くはずだ。山盛りの荷物を担いでいる行商人のようだろう。
 何年も迷惑をかけっぱなしで恩を仇で返すような事ばかりしてきたにも関わらず、いや、だからこそ師匠にもしもの事があったらと思うと胸が締め付けられ、病院にいた時には感じなかった感情が湧いてきた。真打なんかどうでも良いような気持ちにもなり、とりあえず大量の貧乏神を引き受けて良かったと思った。そこで咲太は以前自分で勝手に立てた「死神と貧乏神は同時に存在しない説」を思い出した。咲太の仮説が正しければ、咲太が貧乏神を引き受けたことで柳咲に死神が憑いてしまったのだろうか。だとしたら、とんびの娘リサにとっても塩梅が良くない。あまりにも可哀そうだ。咲太が思わず溜息を漏らしたその時、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「どっかに金でも落ちてねえかな」
 顔を上げるとそこにはいつもの銀縁の丸眼鏡を掛けたモギー鳥司とりじの顔があった。咲太よりやや背が高く、眼鏡の奥の目を猫のように細めて笑っていた。これまで鳥司の顔をこんなにはっきりと見た事はなかったが、その笑った顔が咲太には不気味に感じられた。
「鳥司先生! 気付かずにすみません」
「こっちはさっき咲太さんが乗って来た時からずっと気付いてたんだけど、深刻そうだったから話しかけちゃまずいかなと思って。でも結局話しかけちゃったんだけどさ。ふふ。なんかあったの?」
 咲太はさきほど乗客を見渡した時に芸人に気付けなかった自分が情けなかった。ある種の防衛本能なのか、通常、芸人は芸人が近くにいると嫌でも分かるものなのだ。
「師匠が倒れて救急車で運ばれたんすよ。すぐに検査入院になって、今手続きしてきたんすけど」
「そう。大変だったね。でも、咲太さん偉いよ。師匠孝行して」
「偉くなんかないっすよ。先生もご存じだと思いますが、俺なんて師匠の顔に泥を塗ってばかりっすから」
「うん。咲太さん、酷いらしいね」
 そう言って鳥司がふふと笑ったのでイラっとしたが、咲太はそう言えばこの先生はちょっとキン(変人)だったなと思い出した。
「まあ、俺も虎司師匠にさんざん迷惑かけて、良い弟子とは言えなかったけど。それより、その大量の貧乏神はどこから貰って来たの」
 咲太は一瞬、いや1分か2分の間自分の耳を疑い倒した。
「鳥司先生、今なんか言いました?」
「うん、だから、その貧乏神の大家族はどうしたの?」
「鳥司先生、見えるんすか」
「テケレッツノパア! だろ」
 モギー鳥司が手を二度叩く真似をしてみせた。眼鏡の奥の細い目がキラッと光った気がした。咲太は背筋がぞくぞくっとして鳥肌が立った。
「え? それも知ってるんすか、あの……」
 その時、電車が停車した。咲太が下りる駅だった。咲太のケータイも鳴った。弟弟子のきょう柳からだった。咲太は仕方がないので電車を下りた。
「先生、あの、あとで連絡していいですか」
「かまわないよ」モギー鳥司はそう言ってまた「ふふ」と笑った。
 丸眼鏡が太陽に反射して光る鳥司の乗った電車を見送りながら、きょう柳からの電話をとった。
「お疲れ様です。留守電聞きました。あとは俺がやりますんで、咲太あにはご自分の昇進の準備をしてて下さい」
 予想通りだったが、きょう柳は終始事務的な物言いだった。咲太も惣領弟子の役目を放棄して好き勝手やってきただけに、弟弟子に失礼な態度をとられたとしても文句が言える立場ではなかった。必要な事だけ伝えてあとの事は弟弟子に任せた。それに、宙ぶらりんになってしまった咲太の昇進が見送りにならなかった場合、しっかり者のきょう柳に披露目の番頭を任せたいのでこれ以上関係をこじらせる訳にはいかなかった。
「披露目の番頭」というのは、新真打が昇進披露興行中に百パーセント高座に集中出来る為に、身の回りの世話やら外部への気遣いなど全てを取り仕切って新真打に奉仕し尽くす過酷な役目だった。
 咲太は、もしきょう柳に番頭を断られたとしても、きょう柳の下の弟弟子のおそ咲に頼む腹づもりでもいた。おそ咲は、いまだに咲太を先輩として慕ってくれている可愛い弟弟子だからだ。ただ、なんせおっちょこちょいが服を着て歩いてるみたいな奴で、まさに落語の粗忽者を地でいく奴だったので、出来れば番頭を任せるのは避けたかった。
 柳咲の容態は心配だが、諸事はきょう柳に任せておけば安心だった。それはそうと咲太はモギー鳥司の言った事が気になって仕方がなかった。明らかに咲太と同じで貧乏神が見えていて、しかもあの『死神』の呪文を唱えると他人の貧乏神を取り払って引き受ける事も知っている様子だった。まだ電車に乗っているのかモギー鳥司に連絡するも繋がらず、留守電にもならなかった。こんな時にあの爺さんがいてくれたらと思うが、あの爺さんはあの爺さんで神出鬼没が酒浸しの服を来て歩いてるみたいな爺さんだし、いつどこで会えるのかがわからない。
 咲太はいったん家に戻り、夕方まで、『死神』の呪文と貧乏神の関係や、夏風亭みかんの貧乏神と新潟の世話人の貧乏神がまるでゲームみたいに合体して消滅した事や、モギー鳥司の事や、自分に憑いている大所帯の貧乏神たちについての事などを考え、何もスッキリしないまま悶々と過ごし、新潟土産を手に『いつきや』の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい、師匠」
 大将とおかみさんは相変わらずだったが、二人とも肩に貧乏神がいなかった。おかみさんがおしぼりとコップを持って来ようとしたので、「大将、おかみさん、今日はこれだけ渡したら帰るんで」と恐縮しながら断り、おかみさんに新潟土産の日本酒を手渡した。
「これはご丁寧にどうも。師匠、本当に一杯もやらないんですか?」
「今日はちょっと。昼間、久しぶりにうちの師匠に呼ばれて家に行ったんだけど」
 酒が好きな咲太が飲まずに帰るというからにはよっぽどの事があるに違いないと真剣な顔になる大将とおかみさん。咲太が続けた。
「その時に師匠が倒れちまって、一緒に病院まで行ったんだけど、とりあえず検査入院てことですぐに帰されてさ。ほら、俺、おかみさんの時、飲み過ぎてあれだったから。万が一に備えて今日は酒は飲まないの。というか、今俺、禁酒中でさ。無事真打になるまでは酒も博打も遊びもすっぱり辞めたの。え、なにそのどうせまた『親子酒』でしょ、みたいな目は。やだなあ」
 落語『親子酒』は禁酒の約束をした親子が互いにその日のうちに飲んでしまうというだけのわかりやすくバカバカしい滑稽噺だ。落語好きの大将とおかみさんに向けて咲太がおちょけてみたが、大将もおかみさんも釣られずに神妙な面持ちのままだった。
「師匠、大丈夫かい?」
「全然。大丈夫大丈夫。それより、大将達、何かあった?」
「どうして?」大将が狐につままれたような顔になる。
「なんとなく」
 咲太は適当に誤魔化した。まさか自分が貧乏神を引き受けたからとは言えない。
「実は、まだ全然何も決まってはいないんだけど……あるんだよね」
 期待とは裏腹な大将の歯切れの悪さに心配になる。
「なんか悪い事? 言い難い事なら聞かないから」
「悪い事でもないんだよね……」
「え、何なにナニ?」
「師匠、この辺に大型商業施設を建てる計画があるの知ってる?」
 もちろん咲太がそんな事を知るわけがなかった。その大型商業施設とやらを計画しているデベロッパーから破格の立退料を提示されているのだとか。立退料というからには、当たり前だが立ち退くのが前提である。つまり、『いつきや』が今ある場所から無くなってしまう。咲太は、貧乏神がいなくなったから、大将達に大金が入る話が舞い込み、反対に、大勢の貧乏神を背負った咲太にとってはメンタルを立て直す唯一の場所を失う事になったのではないかと考えて少し怖くなったし寂しくなった。
「寂しいけど、いっぱい金が入る話なら、良かったじゃない」
「そんな顔で言われてもなあ」と大将が苦笑した。
 おそらく、咲太は全く「良かった」という顔ではなかったのだろう。
「師匠や他のお客さんの事を考えるとね。それに、この店辞めて、どうすりゃいいのかもわからないし」
「大将とおかみさんならどこででも良い店出来ちゃうでしょ」
「嬉しい事言ってくれるわね」
 そう言っておかみさんがお手製のレモネードを持ってきてくれた。それを飲みながら、新潟の仕事の事、夏風亭とんびやみかんの事など近況を話した。真打昇進が見送りになるかもしれないとは言えなかった。咲太は「ごちそうさん。無茶苦茶旨かったぁ」と笑って『いつきや』を後にした。本当にレモネードが美味しかった。
「もし大将たちがいなくなっちまったら、寂しいどころじゃないよなあ」
 咲太が独り言ともつかぬ言葉を吐き出した。
「何が寂しいって?」
 突然話しかけられるのは何度目だろうか。全く慣れず、咲太はまた飛び上がって驚いた。
「師匠! 師匠はどこに行ったら会えるんすか。もう、いっぱい話したい事があるんすよ」
「どこってお前、のべつ寄席にいるよぉ」
 やっぱりと咲太は思った。
「寄席ってどこです?」
「神田立花とか人形町とか、いっぱいあるだろうが。そのどれかだよ」
 どれも今はない寄席ばかり言うので、また揶揄われてるんだと思ったが、そんな事より、新潟で貧乏神が合体して消えた事、モギー鳥司が貧乏神や例の呪文の事を知っていた事を話したくてたまらず、咲太は堰を切ったように喋りまくった。
「あんちゃんもさすが噺家だけあって、よくまあそう、パアパアパアパア凄いねぇまったく」
「で、師匠どう思います」
「どうもこうも、あんちゃんが見たまんまだろう」
「え、それだけ、ですか」
「アタシが知ってるのは、落語の『死神』のまじないで他人に憑いてる貧乏神を追い払えるって事だけ。合体して消えるとか、モギーなんとかの事なんてちんぷんかんぷんだ」
「だって、師匠は人の貧乏神を追い払っても自分には憑かないのに、どうして俺がやると憑くんです?」
「わからねえな。アタシが貧乏神を追い払ってもてめえには憑かないで、追い払う前の人んとこに戻しちまう。その代わり、貧乏神を追い払ってやった奴は貧乏神が見えるようになって、他人のを追い払えるんだけども、なぜか追い払った貧乏神がそいつに憑いちゃう。いったいぜんたいどうなってるんだろうねエ」
 そこで爺さん、一発強烈な屁をこいた。
「どうなってるんだろうねエ、じゃないですよ、師匠ぉ。く、くさっ、臭っ」
「モギーねえ」
「やっまりなんがじってるんすか」
 咲太が鼻を摘まみながら聞いたと同時にケータイが鳴った。表示を見ると噂をしていたモギー鳥司だった。
「師匠、ちょうど今、そのモギー鳥司先生からなんで、出ますね」
 モギー鳥司は折り返しが遅くなった事を詫びると「明日、浅草の出番の後、ご飯でも食べよう」と言って一方的に切った。やっぱりちょっと変な人だなと思う。あとで、モギー鳥司の出番の時間を調べないとなと思ってケータイをしまった。
「師匠、すみません」
 咲太が爺さんの姿を探したがもうどこにもなかった。もしかして高台の神社にいるかと思って行ってみたが居なかった。「師匠……」またもや置いてけぼりみたいな気持ちにさせられた。でも、今日はやっと手掛かりを掴んだ。自分であちこちの寄席に出てると言っていたのだから、咲太の予想通りあの爺さんは落語家だったのだ。もしかしたら、何か事情があって『寄席演芸家名鑑』に掲載されず、寄席もほぼ代演のような形で出ているレアな大師匠かもしれない。同じ協会員なら咲太は知らない落語家はいないので、やっぱり咲太とは違う協会の師匠だろう。それがわかっただけでも咲太は安心したような心持ちになれた。
 咲太は元々柳咲師匠の『死神』を稽古しようとしてた事を忘れて、今では酒が飲みたい一心で、さっき『いつきや』で出た『親子酒』を稽古した。辞めている酒を飲んだ気になって思い切り演った。
「ああ、飲みてぇなぁ」
 そう言いつつ咲太は酒を断てている自分を誇らしく思う。するとまたケータイが鳴った。今度はきょう柳だった。一瞬嫌な予感がよぎる。
「どうした」咲太は冷静を装い、祈るような気持ちで電話に出た。
あにさん、大変なことになりました!」
「師匠、ダメだったのか?」
「師匠はただの疲労で、点滴打って明日退院ってことになったんですけど」
「なんだよ、じゃあ万々歳じゃねえか。脅かすなよ」
「それが、師匠、勝手に自分はもう長くないからって言いだして、しばらく高座を休むって言ってるんですよ」
 あまりにもあっさり退院になったので、医者も手の施しようがなくて諦めての退院だと疑っているらしい。バカバカしい。まるで落語じゃねえか、と咲太は思った。
「まあ、師匠らしいけど、どこも悪くないなら時間が経てばそんなんじゃねえってわかるんじゃねえの」
「そんな問題じゃないんですよ。師匠、協会に連絡して、来月の新宿の中席なかせきの夜トリの代演を無理矢理、咲太あにぃにしちまったんすよ!」
「!?」
 いくら真打昇進が近いとは言え、師匠の紅葉家柳咲の代わりが務まるわけがなかった。それに二ツ目で寄席のトリをとる落語家はここ数十年に二人しか存在しない。それも例外的に。本来は真打になって初めてトリをとる資格が得られるのだ。咲太の代演はそれほどあり得ないことだった。
「い、いや、だって、そんなの席亭が許すわけないだろ」
「それが、師匠が、あっという間に全方面に根回しをしちまって、万事決まっちまったんです」
「そ、そうか。とりあえず、明日、師匠んとこ行くわ。きょう柳、色々ごくろうさんだったな」
「いえ、別に何でもないんで。あにさんも大変でしょうけど、頑張ってください」
 電話を切ったあとしばらく咲太は呆然としていた。弟弟子との電話では余裕のある振りをしたが、きっとテンパってたのはバレバレだろう。咲太は電話中ずっと血の気が引いていた。とんでもない話が飛び込んで来た。なんだか変な事になって来たなと嫌な汗を掻いた。それもこれも大所帯の貧乏神のせいなのかもしれないと咲太は首を左右に向けた。当人たちは、甲子園初出場が決まった高校球児達のように目をキラキラさせてはしゃいでいた。
 
 
つづく

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