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おーい!落語の神様ッ 第九話

【神々の寄合 シーン49】
 咲太が眠った後で、青白い顔をした小さな爺さん達が車座になって何やら話している。
「結局、われら、このあるじの元へ戻ってきてしまったなア」
「そうですなア」
 柳咲から咲太への移転組が話している。
「あんたは元から居ますなあ」
「はい、でもわれもまだ移ってきたばかりで」
『いつきや』の大将から咲太へ移った者が答える。
「なかなか片割れと遭遇出来ませんなア」
「そうですなア。みんな各々、限られた自由時間で探しているでしょうに」
「われはこの前、新潟で、見ましたぞ。片割れと出会って福神ふくのかみに転じた者らを」
「そうですか。羨ましいですなア」
「羨ましいですなア」
「でも、この主は近々、多くの我ら半福神はんぷくがみと合わせてくれそうだぞ」
「どうして」
「さっき主に掛かってきた電話の話を聴いてなかったのか」
「うん。聴いてなかった。どういった具合です?」
「ほれ、この主の職は落語家でしょ。病気の師匠の代わりに十日間、寄席のトリをとることになりましたナ」
「なんと。そうとあらば、我らの片割れに遭遇出来る可能性がぐんと上がりますなア」
「そう。だからさきほど皆で喜んでいたんです」
「いやいや。この主は、それほど人間を寄せ付けるようには出来ておらんでしょ」
「しまった。確かにそうだったなア……」
 ここで自らを半福神と呼ぶ全員ががっくりと肩を落として溜息をついた。そのタイミングで、咲太が苦しそうに寝返りを打った。
 
     ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 
 モギー鳥司の浅草の出番が終わるのは十四時三十分頃だった。師匠宅へは夕方行くことにして、モギー鳥司と先に会う事に決めた。咲太はそうと決めてしまったあとはどうにも落ち着かず、いつもの稽古場までやってきた。「船徳」「佃祭」「青菜」「ちりとてちん」「千両みかん」。咲太は夏の噺をひと通り稽古した。
 こんな落語じゃとてもじゃないが師匠柳咲の代演なんて無理だ。そもそも自分が代演で、客が来るだろうか。十日間、閑古鳥が鳴いて自分も泣く羽目になって、また師匠の顔に泥を塗るのがオチじゃないのか。咲太は稽古をすればするほど自信がなくなっていく。そしてまだ代演が決まったわけじゃない、となんとか自分自身を誤魔化そうとするが、師匠が一度言い出したことを引っ込めるとは到底思えなかった。
 咲太は困った時の神頼みとばかりに稽古場の神社に祈った。
 あの爺さんに落語の稽古をつけて貰いたい。それがダメでも爺さんの落語が聴きたい。そう思って咲太はまた稽古を再開した。
「物を知らないというのは仕方がないもんで、ここに饅頭を知らない村があった。ある日、その村を通りかかった商人あきんどが懐から饅頭を一つ落っことしてそのまま行ってしまった」
 村人が名主に「白くて丸くてふかふかしているものが道端に落ちている」と報告したところ、それは虫だから退治しろと言われて、鍬で割った。中から餡が出てきたのを見た名主が得意げに「ほら小豆を食う虫だった」。
 咲太は習った通りの小噺から『松山鏡』を始めた。新潟の時に夏風亭とんびに習っていたのだった。
「越後新田は松山村に正直庄助という男がおりまして、人間が正直でもって、親孝行。両親が亡くなってから十八年間一日も墓参りを欠かしたことがないというので、お上からご褒美が出た」
 咲太が良い感触のまま「松山鏡」を演っていると急に声がした。
上手うめえ」
 例の爺さんがまた酒の臭いをぷんぷんさせて現れた。
「師匠ぉ!」
「良いから続けなよ」
「師匠、俺、来月、新宿の末廣でトリをとるかもしれないんすよ」
「良かったじゃねえか」
「良くないんですよ、それが」
「どうして」
「だって俺、まだ二ツ目ですし、うちの師匠が体調悪くなって、無理矢理の代演なんすよ」
「なんだっていいじゃねえか。やりゃいいのよ。それよりあんちゃん、なんだってそんなに大勢引き連れて歩いてるんだい。まるでお伊勢参りにでも行くようじゃないか」
 そう言って可笑しそうに爺さんが笑った。
「うちの師匠にいっぱい憑いてたんで、俺が引き受けたんですけど、その後で師匠が倒れちまって。結局ただの疲労だったみたいなんすけど。貧乏神と師匠が倒れたことって関係あるんすかね」
「わからねえなぁ」
「この前からわからねえばっかりじゃないっすか」
 咲太がぼそっと文句を言った。
「なんか言ったか」
「いえ師匠。あの、実はお願いがあるんすけど」
「貧乏神を追い払うんだろ。アジャラカモクレン……」
「いやいやいやいや。そんなことしたらまたうちの師匠に戻っちゃうじゃないっすか」
「じゃあ何だい」
「あの、なんでもいいんで、夏のネタを稽古つけてください。お願いします」
 咲太は土下座する勢いで頭を下げた。
「なんでもいいって頼み方があるかい」
「すみません、師匠。師匠の落語なら間違いねえって思ってるんで」
「よしなよヨイショは。別に構わねえが……夏の噺ねェ」
 爺さんはまんざらでもない様子で夏の噺を演り出した。
 
 咲太は浅草へ向かう最中ずっと興奮していた。「やっぱすげえや。すげえもの聴いたぞ。なんだありゃ。すげえすげえすげえすげえすげえ。ほんっとにすげえ」念仏のように「すげえ」を繰り返しながらスキップしている咲太を、すれ違う人が憐みと諦めの顔で見送った。
 爺さんの夏の噺は「唐茄子屋政談」だった。
傾城けいせいの恋は誠の恋ならで金持ってこい・・が本の恋なり」大店の若旦那が花魁の甘い言葉を真に受けて、「お天道様と釜の飯は付いて来る」と啖呵を切って自ら家を勘当になって飛び出す。もちろん花魁には袖にされ、親類縁者からも見捨てられ、何日も飲まず食わずに。いっその事死んでしまおうかと吾妻橋から身投げしようとしたところ、たまたま通りがかった八百屋を営む叔父さんに助けられる。叔父さんは「自分で稼いだ金なら好きに使ってもいい」と、元気になった若旦那に天秤棒を担がせて唐茄子(かぼちゃ)を売りに行かせる。慣れない肉体労働と接客業にヘロヘロの若旦那。そこへ助っ人が現れて見事に売れるも、若旦那は、貧困にあえぐ母子に残りの唐茄子と売上をあげてしまう。因業な大家の登場に、義憤に駆られた若旦那の善行。情けは人の為ならずという結末が待っている人情噺である。
 咲太はもちろんこの噺を知っている。もう何遍も聴いている。内容はすっかり頭に入ってはいるが、まだ持っていないネタだった。知っているはずなのに、次がどうなるのか引き込まれてしまうだけじゃなく、夏の畦道を五感で感じられるような爺さんの口跡、。聴いている者に想像させる間を与えておいて見事に裏切るくすぐり(ギャグ)。はっきり言ってこれまで聴いたどの師匠たちよりも面白かった。声の調子、迫力、すかしかた。どれもこれも真似なんて出来そうになかったが、少しでも近づきたいと思ってしまった。
 それが「すげえ」という言葉に要約されたのだった。
 
 モギー鳥司は時間通りに寄席の出入口に来ると、咲太を見て「相変わらずいっぱいのお運びだね。ふふ」と微笑み、先に歩き始めた。
「あのぅ、鳥司先生は、どうして俺も貧乏神が見えると分かったんですか」
 咲太はまず最初に聞こうと思っていた事をモギー鳥司の背中にぶつけてみた。
「まあ、そういう事も含めて、ご飯食べながらでいいじゃない」
 相変わらずのらりくらりとしているモギー鳥司に少しイラっとするも抑えて着いていく。すると途中で夏風亭みかんに会った。
「鳥司先生、咲太あにさん、お疲れ様です! って珍しい組み合わせですね。どうしたんです?」
「今から先生とご飯行くんだけど、みかんは出番?」咲太はある事にすぐに気付いたが平静を装って答えた。
「うちの師匠に稽古お願いしてるんです。終わったら合流していいですか?」
「別にいいよ。みかんちゃんなら大歓迎。おいでおいで」
 咲太が返事に困っているとモギー鳥司が代わりに答えた。
「先生、ありがとうございますぅ。じゃあ、のちほど」そう言って寄席の方へ駆け出して行くみかんを尻目に焦った様子の咲太。
「先生、みかんには聞かせられないっすよ、貧乏神の話」
「まあ、みかんちゃんが来る前には俺は帰るから。それよりさ、みかんちゃんの貧乏神、みんないなくなったね」
「やっぱりわかりましたか」
 近くのファミレスの席に落ち着くと、朝から何も食べていなかったせいか、ご馳走になるのをわかっていながら二人前注文してしまい、夢中で食べ終えた。
「先生、腹減ってて、すみません」
「良いよ別に。そんだけ大所帯だし、腹も減るでしょ。ふふ」
「で、早速ですけど、どうして先生も貧乏神が見えるんすか」
 モギー鳥司の銀縁の丸眼鏡がこの前みたいに不気味に光った気がした。
「うちの師匠の虎司が亡くなる少し前にさ、俺、師匠を大しくじりしちゃってさ」と話し出した。
 当時のモギー鳥司は、師匠の虎司から独立して二年目くらいだった。ギャンブルにのめり込み過ぎて寄席の出番をすっぽかすことが度々あって、その度に虎司が尻ぬぐいをして小言だけで済んでいた。ところが、鳥司はとうとうギャンブルのタネ銭欲しさに師匠のマジック道具を質に入れてしまった。これがバレた時の虎司の形相が凄かった。鳥司の言葉を借りれば「何千人もの人間を食った地獄の赤鬼も逃げ出すであろう凄まじい形相」で、お前なんて弟子でもなんでもねえから、今すぐ出てけと怒鳴って鳥司を追い出した。
 鳥司の方は、人生で初めて命の危険を感じたものだから震えが止まらなくなり、次になぜか涙が溢れて止まらなくなった。ギャンブル癖はきっと死んでも治らないだろうが、生きていても師匠や周囲の人に迷惑をかけるだけだと思うと、すぐにでも死にたくなって死に場所を探してふらふらしていた。
「そこへ酒臭い、屁ばかりこく、爺さんが現れた」
「お、俺もその爺さん、知ってます!」
 結局、貧乏神が見えるようになって、例の呪文で他人の貧乏神を追い払って引き受けられるようになったいきさつは同じようなものだった。やはりあの爺さんがきっかけなのだ。しかも当時の鳥司と今の自分の状況が重なる。
「先生は、あの爺さんが誰だか知ってるんすか」
「はっきりとはわからないんだけどさ、きっとこの時代の人間じゃないと思うよ」
「へ?」モギー鳥司の言っている意味が咲太には全くわからなかった。
「いや、ただの妄想だけどね」
「じゃあ、どうして、俺が貧乏神が見えるってわかったんすか」
「そんなの、明らかに俺の肩にいる貧乏神を見てたからすぐにわかったよ。ああ、咲太さんもこっち側になったんだなって。ふふ」
「こっち側って」
「たぶん、言わないだけで見えてる芸人は他にもいるはずだよ。うちの師匠も生前は見えてたと思う」
 咲太が話に付いていけずにぼうっと考えていると、みかんから電話があった。今から来ると言う。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。次の仕事があるし」
「鳥司先生、最後に教えてください。先生の貧乏神って大きくなったり小さくなったりしてますか」
「よくわかったね。ふふ」
 モギー鳥司は、師匠のおかみさんに間に入って貰いながら、質屋から受けだした道具を持って何度も謝罪し、許された。そして貧乏神が見えるようになるとギャンブル依存症から抜け出す事が出来たそうだ。賭場にひしめく夥しい数の貧乏神たちを見たせいだと言っていた。ギャンブルをやらなくなると今度は異性にモテるようになったのだが、長続きする恋人が出来ない。だからせめて別れ際に付き合った相手の貧乏神を引き受けるようにしているらしい。
「こいつら、どんな理由か知らないけど、合体して消えるんだよ」
「俺もこの前、新潟の仕事ん時に見ました」
 貧乏神を引き受けては合体していなくなり、また引き受けてはいなくなりして、結局、モギー鳥司の貧乏神は大きくなったり小さくなったりしているのではなく、頻繁に入れ替わっていただけだったのだ。
 
 モギー鳥司と入れ替わりにみかんがやってきた。
「あれ? 鳥司先生は?」
「これ置いて、次があるって行っちゃったよ」咲太はモギー鳥司が置いていった一万円札をみかんに見せた。
「やったぁ。早速なんか頼んじゃおうっと」
 咲太の倍くらいの食欲を見せられて、あっけにとられていると「咲太あにぃ、来月、柳咲師匠の代演でトリとるって本当ですか!?」
 みかんの声があまりにも大きいので咲太は人差し指を口にあてて小声で制した。他に芸人が居ないことを確認して店に入ったが、万が一に備えたかった。
「声デカすぎだろが。もう知ってんのかよ」咲太が声をひそめて言う。
「さっき楽屋に行ったら、その話で持ち切りでしたよ」
「やっぱ楽屋の噂ははえぇなぁ。俺自身も昨日きょう柳から電話で聞いただけなのによぉ」
「で、どうなんです」
「それをこれから師匠んとこ行って確かめてくるんだけど。倒れたばっかだしなぁ」
「みんなそれも言ってましたよ。柳咲師匠がもう長くないんじゃないかって。なんならもうボケてんじゃないかって」
 そこで咲太の眉間に強く皺が寄った。
「誰がそんな事言ったんだ」
「誰かは忘れちゃいましたけど」
「良いから言えよ。今から行って張り倒してやる」
「まあまあ。座ってくださいよ。それより新潟、お疲れ様でした。あたし、あれから良い事ばっかりなんですよ。ねえ、ちょっと、兄ぃ、聞いてくださいよ」
「なんだよいい事って」
「あたし、ヒモ男と暮らしてたんですけど。ついにそいつが出て行ったんですよ」
 それを聞いて咲太の頭に登った血がすーっと引いた。
「なんだよヒモ男って」
 みかんの話では、付き合い始めの頃は、みかんはまだ前座で、男は普通の会社員だった。みかんが二ツ目に昇進して仕事が順調になったころから、男の様子が変わっていったそうだ。会社の上司と衝突することが多くなり、毎日愚痴ばかりになった。やがてみかんにも八つ当たりするようになり「オレの月給を一週間で稼がれちゃあ、バカらしくてやってらんねえよ」と、たまたま収入が多い時を引き合いに出して嫌味を言い出した。そして遂に会社を辞めた。あとはお決まり、そのまま仕事が見つからずずるずると数年が経っていた。
「もううんざりだったんですよね」
「それが急にどうして出て行ったんだ」
「お前といるとオレはダメになる、とか言ってましたけど」みかんがだいぶデフォルメしたと思われる男の物真似をした。
「なら良かったじゃねえか」
「でも、あにさん、気付いてましたよね。なんでわかったんです」
「いや、まさかそこまでとは思ってもなかった」
「誰にも気付かれないと思ったんだけどなあ。そういう負のオーラみたいのが出ちゃってたんなら、まだまだだなぁ」
「なんだよ、オーラって」
「美輪明宏のやつですよ。で、鳥司先生と何の話してたんです?」
「別にたいしたことじゃねえよ」
「あの先生、不気味すぎますよね。すんごいモテるらしいですけど。いつも違う女性といるって評判です」
「ほんっとに噺家って噂話が好きだよなぁ」
 そう言いながら咲太はみかんの逞しさが眩しくて目を細めた。
 
 
つづく
 
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