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おーい!落語の神様ッ 第十二話

【神々の寄合 シーン66】
 咲太が眠った後で、自らを半福神はんぷくがみと呼ぶ青白い顔の小さな爺さん達が、螺旋を描くように座して語らっている。この者達は皆一様に小汚く見える身なりをしていて、ほぼ同じ顔をしているので見分けがつかないが、並んでいると個体の大きさがそれぞれ微妙に違っているのがわかる。
「われらが一人の主にこれほど集まるのは何年ぶりですかな」
「実に五十年ぶりでしょう」
「いやざっと八十年でしょう」
「この前、この主は人間を寄せつけないと言ったのは誰です」
 螺旋の遠くの方まで見渡して問うたが返事はない。
「いくら大勢集まっても意味がないですよ。われらは皆、片割れと会わないことには福神ふくのかみには転じられんのですからな」
「それがそうとは限らんでしょう」
「どういうことです?」
「おや、おたくは知らんのですか。一人の主にわれらが252体会するとどうなるか」
「どうなります?」
「どうなると思います?」
「さあ」
「本当に知らんのですな」
「そうなんです」
「ではその時まで楽しみにしていてください」
「教えてくれないのですか」
「楽しみは先にとっておきましょう」
 半福神たちの笑い声が螺旋状に響いた時、咲太は気持ち良さそうに寝返りを打った。
 
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 
 翌日。咲太は午前中の便で東京に戻った。
 岡津が佐賀空港まで送ってくれて、土産を沢山持たせてくれた。落語会でも多くの土産を貰っていたので咲太の鞄やキャリーケースは土産物でパンパンになっていた。咲太は全てを有難く思う。過去、土産を貰った際に「荷物が増えた」と少しでも迷惑がっていた自分がどれほど了見違いをしていたかと反省もした。
 さらに有難い事に、昨日の落語会が地元新聞の朝刊で取り上げられて紙面の四分の一ほどに咲太の写真が掲載されていた。他、ネット版やSNSにアップされていた好意的な感想もあり、どれも岡津が我が事のように嬉しそうに教えてくれた。
 昨日、岡津は落語会が終わった後もしばらく席に座っていた。その後ろ姿がまるで隣にいる母親と話をしているようで、咲太は声をかけずに心の中で頭を下げた。岡津には二ヶ月前も今も貧乏神は憑いていなかった。その代わりきっと母親が傍にいるのかもしれないと思った。
「咲太さん、明日からのトリ、頑張ってください。必ず応援に駆け付けますから」
 そう言って岡津は咲太の手を力強く握った。
「岡津さん、今回は何から何まで大変お世話になりました。寄席もお待ちしています。本当に有難うございました」
 咲太も手に力を込めて深々と頭を下げた。
「昨日の最高のお客さん達をみんな連れて来てください」と咲太が冗談で言うと、岡津はぱあっと笑顔になって「みんなに声をかけてみます」と言うので、冗談ですからねと念を押した。
 
 もう少し余韻に浸っていたかったが、離陸する頃には咲太の心はもう東京に飛んでいた。
 窓から見える分厚い雲を見ながら、佐賀に来る前に師匠と共だって新宿の席亭に挨拶に行った時の事を思い出していた。
「寄席のトリ」は実力と人気がある真打にしか務まらない。真打の落語家の誰もが寄席でトリをとれるわけではないのだ。ましてや二ツ目でトリをとるなんて本来であれば前代未聞だった。そのトリをとらせて貰う寄席への挨拶は仁義として欠かせない事だった。通常は当人だけで来るものだが、咲太がまだ二ツ目であるし、柳咲が根回しをした都合で、同行での挨拶となった。
「七月中席夜の部、うちの咲太をどうぞよろしくお願いします」
 柳咲が席亭に頭を下げた。
「師匠、わざわざ来て頂かなくても」
 席亭の方では落語界の重鎮に頭を下げられて一応は恐縮してはいるが、内心はわからない。
「咲太さん、師匠の声掛けもあるけど、大抜擢で良かったね。少しでも話題になってくれればうちとしても大助かりだし」
 咲太にはこれが本音ではないことくらい分かっている。数年前までの咲太なら実力はともかく人気はあったので集客は出来たし話題になっただろうが、今回は「何十年ぶりかの二ツ目のトリ」という、見出しになるかどうか怪しい話題しかない。果たして世間がどれほど興味を持ってくれるのか。いっそのこと素行が悪すぎて真打昇進を見送られそうになっている事を大っぴらにしてしまえば、興味本位で客足が伸びるのではないか。しかし表向きはあくまでも柳咲の体調不良による休演に際しての一番弟子の代演。いくら一番弟子だとは言え、落語家としても人間的にも未熟な咲太をトリの代演に選ぶとは「柳咲もとうとう焼きが回ったか」などと噂されているのを知っていた。
 柳咲も咲太も今回のトリが、席亭や仲間内から良くは思われていないのは百も承知。その中で結果を残して無事に真打昇進をしなければならなかった。
 
 自宅に戻ると荷物を置き、すぐに佐賀土産を持って師匠宅へ向かった。
「お前も食べていきなさい」
 咲太がおかみさんに線香をあげていると柳咲が自分で作った素麺を手にそう言った。薬味はおかみさんが好きだった茗荷だった。
 食べてる間も、食後のお茶を飲んでいる時も、柳咲と咲太はお互い何も言わなかった。咲太が洗い物をして「ご馳走様でした」と言って帰ろうとした時に柳咲が「しっかりやんなさい」とだけ言ってくれた。咲太も「はい、精一杯やります」とだけ言って師匠宅を出た。
 
 次にとんびの家に向かった。家の中には入らず玄関先で佐賀の土産を渡すつもりだったが、上がってけと言われてとんびと話した。ドラマのセットのような部屋は、居間だけで咲太のアパートの部屋全体よりも広くて驚いた。
「うわぁ、売れるってこういうことっすね」
「かみさんの実家にだいぶ援助して貰ってるんだよ」
「そうなんすか」
 噺家は決して自分で儲けてるとは言わない。そこへとんびの娘リサが少し違和感のある歩き方で別の部屋から出て来て「わぁ」と目を丸くした。やっぱりこの子には明らかに貧乏神達が見えている。一人一人と挨拶しているのだろうか。頭をぺこぺこと下げて何か言いながら笑っている。
「もう、パパはお客さんとお話してるからこっち来たらダメって言ったでしょ」
 とんびのおかみさんが娘を注意した後、咲太に「いらっしゃい」と笑った。
「後援会の人達のお陰でなんとか治療は続けられるよ」
「良かったっす、本当に」
 とんびとおかみさん、そして咲太と大勢の貧乏神に見守られてリサは楽しそうだった。
「咲太、いよいよ明日からだな。ぶちかませよ」
あにさんに習った『松山鏡』もかけます」
「いいけど、俺より面白く演るんじぇねえぞ」
「もう佐賀で演ってきちゃいましたよ」
「この野郎、禁止な、もう『松山鏡』禁止」
「うわぁ、人間が小せぇ」
 そんな軽口を叩き合って、とんびと咲太は二人で笑った。そしてとんび家族と一緒に出されたハーゲンダッツのアイスを食べて帰宅した。
 
 夕方まで荷物を解き、明日の着物の準備などを終えて、今度は『いつきや』に行った。咲太は先月、寄席のトリを務める事になったと大将とおかみさんに報告した時に、トリの興行に幟の一本も立っていないと格好がつかないからと、大将に無理を言って咲太の名前が入った幟を作って貰っていた。改めてそのお礼を伝えて佐賀の土産を渡した。
「師匠、かしこまっちゃってやだなぁ」
 大将はそう言いながらビールを出しかけて、咲太が禁酒をしているのを思い出して引っ込めた。
「うちも名前が出て良い宣伝になるし、どうせ昇進の時に出すつもりだったんだから、それが少し早まっただけですよ」
 そう言っておかみさんがまた特製レモネードを出してくれた。
 大将とおかみさんの肩には貧乏神がいないままだった。あの立ち退き話はどうなったか気になったが、今は自分の事で精一杯なんだし、トリの十日間が終わったらゆっくり話を聞こうと思いながら「ご馳走様」と言って店をあとにした。
「トリの芝居、必ず行きますよ」二人がそう言って咲太を送り出してくれた。
 
 いつもの高台の稽古場まで行き、咲太はしばらく電車の行き交う様子や乗車客の様子を見るとはなしに見てぼうっとしていた。今日はあの爺さんは現れそうもない。そう思い、神社にお参りし、明日からの成功を祈願し、帰宅した。
 
七月中席 夜の部(十六時四十五分~二十時半)
 
落語交互   紅葉家 きょう柳/おそ咲
粋曲     枝垂家 小梅
落語     林々家 きん平
落語     金遊亭 萬福
ジャグリング スライダー竹山
落語     紅葉家 柳好
講談     大金井 魯州
奇術     モギー鳥司
落語     夏風亭 圓喜
仲入り(休憩)
落語     夏風亭 がんも
漫才     ジミー&ゴールド
落語     林々家 時藏
落語     夏風亭 さん太
太神楽    千成社中
主任     紅葉家 咲太
 
 
 咲太は寝る前にもう一度明日からの番組表を確認した。
 いよいよ勝負の十日間が始まる。
 
つづく


#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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