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「ダーウィン・ヤング 悪の起源」感想


東京・兵庫公演完走おめでとうございました!
この先何年も、下手をすると何十年も思い出す作品になる気がしたので、大遅延ですがジェイ・ハンターくんの命日7/10(原作より)に寄せて感想を残しておきます。

これから気になる若手には呪文のように「ダーウィンヤング出て!」って唱えるし、10年後に蒼くんの初主演ミュージカル観た自慢は確実にするし、20年後の石井さん(59)に「まだ16歳やれるよ‼️」って絶対言う。

そもそもが情報解禁されたときから気になる作品で、

・元々韓国ミュージカルとして見たかった作品
・北斗の拳でめちゃくちゃ気になっていつか絶対に主演ミュージカルを観たい!と願っていた渡邉蒼くんが主演
・シデレウスの配信で沼落ちして、生で観たこともないままFCにまで入った石井一彰さんの1年ぶりの舞台出演
・ヴェラキッカがぶっ刺さってTRUMPシリーズを追い始めた末満さんの演出
・バイバイバーディー、ドリームガールズで気になっていた内海啓貴さん出演
・信頼しかない石川禅さん染谷洸太さん出演

など観たい理由のオンパレード。こういう時に限って意外と刺さらなかったりするのが内心ちょっと怖くもありましたが、しっかり刺さったので感想が1万字超あります。


初回の感想(蒼ダーウィン)

↑終演後の第一声です。

産むな、増えるな、地(獄)に落ちよ。という感じですね、こういうの好き。

(自分以外に反出生って言ってる人を見かけなかったんですが、物語自体のメッセージが反出生と言うより物語を受けてこちらが辿り着くのが反出生という感じです。と言うか寧ろダーウィンこそ反出生に辿り着いて生命の樹を切り倒してくれ……)

ミステリ調で始まったわりに物語の展開自体は1幕半ばには最後まで見えてしまっていて、私が期待する程には辛い結末でも無かったので物足りないと言えば物足りない感もありますが(これは主にジェイ・ハンターの死が織り込み済みだったところによります)、展開にハラハラせずお芝居だけに集中して観られたのは却って良かったとも思っています。

この手の新作でここまで技術点が高い作品も珍しいような。売れ行き的にもそうですが、シアタークリエのキャパと芝居が強い方が多かったような今回の座組がちょうどよく作用したように思いました。

演出が明示的すぎてややくどい印象を受けたこと、この時は2列目の下手端の席で単に袖が近かっただけかもしれませんが、転換がないのをカバーするためか小道具が多すぎて出捌けがバタバタしていたことは少し気になりました。

これが浄瑠璃だったならダーウィンは父の罪を裁きつつも父と祖父の面目を守るためにニースを殺し、その自らの不義理を裁くために自殺すればめちゃくちゃ丸く収まるのにな、と自分の中のジャパニーズトラディショナルな感性を発見できたのが個人的には少し面白かったです。劇団新感線とかをみると「すぐ死んで解決しようとするな?!」って言うのに死なないと死なないで「死ねば丸く収まるのでは?」ってなる不思議。 ところで、調べたところによると韓国は未だに尊属殺人罪があるんですね。

第250条 (殺人、尊属殺害) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

② 自己又は配偶者の直系尊属を殺した者は、死刑又は無期若しくは7年以上の懲役に処する。

大韓民国 刑法 第2編 第24章

日本では類似の条文(刑法200条)は違憲として1995年に削除されていて韓国でも似た論争はあるようですが、家族に害をなすことが今でも重く受け止められていることは察せられます。全体として、韓国の儒教の価値観を理解してから観るともっと理解しやすいのかもしれないと思いました。

渡邉蒼ダーウィン

FONSで初めて見た時から「完全に主演の器!」と叫んではいたもののまさかこんなに早く実現するとは。東宝くんお目が高い!

東宝ミュージカルの主役としてはあまりクラシカルではない、ざらついた声質なのがほぼ唯一の懸念事項だったのですが、親友のレオ役の内海さんが近いタイプだったのであまり気にならず、むしろ聖歌調のプライムスクールに対してポップス調の親友コンビが浮いているのがより顕著に感じられて良かったです。

蒼くんのお芝居は物語を“自分の物語”にする力がとても強いと思っていて、ダーウィンの賢しい子特有の自意識の強さが前面に出ているのでニースの比重が大きい今作でもあくまで“翻弄されるダーウィンの物語”に見えていました。これはニースとのバランスによっては鼻につく感じにもなりそうですが、そうならない天真爛漫さもきちんと伝わってくるのが素晴らしいバランスだなと。

この完成度で18歳なの末恐ろしすぎて、自分の中の「未成年だけは推さない」という信条をぶち破りました(一応新成人だし……)(FONSのときは17歳だったから薄目で見てました)。ドラマ出演経験が多いので前列で見るとお芝居の細やかさがよく分かって良いですが、後列まで届く歌唱力と求心力があるので日生劇場とかでも見たいです。東宝さんよろしくお願いします。

ちなみに蒼くんの次の出演作はストプレです。2022年にコロナで全公演中止になった作品が延期になり今秋上演されるのでめちゃくちゃ成功して欲しい。皆様よろしくお願いします。

大東立樹ダーウィン

正直Jの方はよく分からず舞台班と京本さんくらいしか信頼してないので一旦避けていたのですが、元ヤングシンバと聞いて急遽チケットを取った大東ダーウィン。観られて本当に良かったです、インドに行くと人生観が変わると言いますが(急になんの話)大東ダーウィンでダーウィンヤング観が大きく変わりました。

滑舌がやや甘いのと低音域が出にくいのは少し気になりましたが少年らしい未熟さの範疇かなといった程度で、クリアで柔らかい声質の高音域が綺麗で聖歌隊的な雰囲気もあり良かったです。上流階級らしい立ち居振る舞いと、hiphopが入っている蒼くんに比べると滑らかなダンスのラインで、第1地区で温かくまっすぐ育った少年なのだなと感じました。

誠実さが前面に出ているダーウィンで、外からの影響を素直に受け入れるのでダーウィンとニース、あるいはダーウィンとニースの罪についてがよりはっきり描かれた印象を受けました。特に、大東ダーウィンによってニースは確かに「赦された」のだと感じられたことは衝撃的でした。

2人のダーウィン

驚くほど違う2人のダーウィン。ほっこり系の違いとしてはパパにネクタイ結んで欲しい場面、大東ダーウィンはまっすぐ着いているネクタイをパパの目の前で自ら曲げて「ほら!曲がってるでしょ!」って言う超がつく天真爛漫ぶりで、対する渡邉ダーウィンはどこが変かを伝えたいのに上手く伝えられなくてもだもだしているシャイボーイで、どっちも可愛くて食べました。

2人の差を1番顕著に感じたのはM23「夜がなければ」で、この曲は創世記の

夕べがあり、朝があった。第1の日である

創世記1章5節より

から来ていると思っているのですが、夜(=ラナーの罪あるいはそれを犯さざるをえなかった世界)がなければ朝(=ニースが罪を犯すこと)もなかったはずだ、そして続けて渡邉ダーウィンは「だから間違っているのは神だ」、大東ダーウィンは「だから父は赦されるはずだ」と結論付けているように感じます。

渡邉ダーウィンは"自分の答えを探し"ていて、大東ダーウィンは"相手を受け入れ"ているので、(これはパンフレットでも近いことを仰っていて、見せようとしているものと感じ取ったものが一致していたとわかって嬉しかったです)「赦せるのか」という歌詞では渡邉ダーウィンは反語(できるはずがない)に感じますが大東ダーウィンはミュージカル文調(できるはずだ)になる感じがします。

レオの葬儀でラナーとニースと抱き合うときも、渡邉ダーウィンは何かに耐えかねて保護者に縋る子供のように泣いていますが、大東ダーウィンはむしろラナーとニースの保護者のようで、とくにニースに対しては連帯感すら抱いているように感じました。渡邉ダーウィンを観劇後は全方位に微塵の救いもない話しだなと思うのですが、大東ダーウィンを見るとなぜかニースを赦す人がいてよかったな……というどちらかというと温かめの気持ちになって不思議です。

観劇後に2人のダーウィンを併記すると確かに全然ちがうね、というだけなんですが、私の中では初見の渡邉ダーウィンの解釈がわりと自然というか普通にハマっていたので、大東ダーウィンの解釈をぶつけられたときの衝撃がとにかく大きかったです。どちらのチケットを増やすかと言われれば渡邉ダーウィンを買いますが、大東ダーウィンを見ずして日本のダーウィンヤングは語れないと思っています。

1幕最後に「神は死んだ」という歌詞がありますが、これは今まで信じてきた正義が崩れた、という意味だけではなく、ニヒリズムに陥り何も無いままただ生きているニースに対して、ダーウィンは永遠回帰(繰り返される苦しみ)、つまり親から子に続くあの負の連鎖を受け入れて、ニーチェが言うところの超人になろうとしているのではないかと。2人のダーウィンを観てやっと、ここに辿り着きました。

全く違う2人のダーウィンですが優劣ということでもなく、恐らくお互いに意識し合いながら、2人で作ったダーウィン・ヤングだからこそこうなっていて、片方を観るともう片方が観たくなるし、片方を観るともう片方への理解も深まるというとても良い関係のダブルキャストだったと思います。

レオ・マーシャル

レオはとにかく「いい奴」だということに尽きます。レオがいい奴であればあるほどダーウィンの罪の重みが増す上に、「人間が人間に、赦されない罪はない」とダーウィンに父を赦すという選択肢を与えたのもレオだし、レオの良いところが全部最悪の結果に繋がってるのが本当に辛いです。

「世界が敵でも僕達は出会った」「君の瞳の中に僕がいる」などなどの巨大感情ソングを高らかに歌い上げつつも、寮を一緒に抜け出す友達は他にいるしルミとも連絡を取ってるし、夜中寮を抜け出して「踊り明かそう」はそれクラブですよね?振付も女の子と組んでるし。ダーウィンの激重感情を正面から受け止めてくれるしすごく優しい(学校辞めるわ、に「僕を置いていくの」って返すのわりと怖いよダーウィン……)けど、本人はド陽キャだしダーウィンにそこまで重い感情なさそうなのが憎いですね。

内海さんはBBBでピンクのほっぺの12歳とほぼ台詞ないのにソロ歌唱はある謎のイケメンバーテンの2役をやってたのが気になりすぎてドリームガールズ、ダーウィンヤングと続けて観ていますが、観れば観るほどいい男なので怖いです。

声質やダンスのラインが渡邉ダーウィンとは似ているのでニコイチ感、全く違う大東ダーウィンとは凸凹コンビ的な、違った関係性に見えてどちらも可愛らしかったです。どうもダーウィンは韓国版より明るく等身大に作っていたようですが、このピカピカに明るいレオの影響も大きいのではないかなと。ダーウィン2人との実年齢の差があるからか、レオ自身が自由を愛するよりはダーウィンへの「自由の伝道師」的な、父性にも近い存在だったのかなとも感じました。週末ごとに家に帰れることが本当の“自由”ではないと諭すときの「ダーウィン?」の声が好きすぎます。

ダーウィンへ重い感情が無いとは書きましたが、カメラを通してみた夕陽を「寂しそうに見える」と言ったレオはきっと寂しくて、でもダーウィンと空を見上げたあのときはきっと寂しくなかっただろうと思えるのが内海さんの芝居の良いところでもあるし、この作品の最悪なところでもあります。

ニース・ヤング

オタクは酒と薬物の芝居が上手い人が大好き。タリバーディンをラッパ飲みしてるの痺れました。その吐き気はたぶん逆流性食道炎、と考えてしまう頭もありますがニースもダーウィンも辛い時に吐き気を催すのは“自分の中にある罪人の血脈”に対する拒否反応であり、知ってしまったこと・犯してしまった罪を“吐き出したい、言ってしまいたい”という意味でもあるのかなと思います。

個人的には歌も芝居もそれぞれは素晴らしいのに歌に芝居があと一歩乗らない感じがしてハマりきらなかったんですが、とにかくいい役ですね。「赤い紐の痕が消えない」は初見から明らかにマクベス夫人のオマージュでしたが、2回目に観た時ダーウィンに言い聞かせる「大人になれば香水をつけなければならないようになる」も『アラビア中の香水でも この小さな手の臭いを取れはしまい』から来ていそうだなと気付いて、ダーウィンの返答「大人になったら、父さんと同じ香水をつけるよ」でとても辛い気持ちになりました。

ジェイ・ハンター

1幕全然歌わないけどインパクトあるからヨシ!と思ってたし、そもそも既に死んでるから新規絵に期待してなかったのにきゃぴきゃぴの2幕冒頭がお出しされたせいで気が狂ってしまいましたとさ。そのうえ劇中2回も死ぬのでとてもお得。

M16裁判官ジェイが1小節ずつ全てに感想を書きたいくらい好きです。シンプルに歌が上手すぎてびっくりしました。ある種短絡的な歪んだ正義の歌ですが、突っ込む隙を与えない弁論を思わせる正確な歌い方と、あくまで客観的な事実なんですよ〜とでも言いたげな力の抜けたクリアなあの発声には流石にみんな騙されるし、ジェイも自分自身を騙しているようなところがある気がします。

石井さん、推しなんですが生で芝居を見るのが初めてなので(支離滅裂な発言)、どういう演技プランなのか全く予想がつかずとても面白い観劇体験でした。

バズとのやり取りを観るにまあまあ自分のせいだぞ、と思いつつもモンペオタクとして「甘ったるい」バニラケーキは、下層地区の出身でも自分にとっては優しいお母さんそのものだから「嫌になる」のかな、とか勝手に膨らませて不憫ポイントを加算していたわけですが、普通にべちゃべちゃに泣きながら親友を脅し始めるのでそう来たか、と。

プレゼントを貰った直後に「本命のプレゼントはもう貰ってる」と宣うなど基本的にデリカシーが欠けすぎているので、ジェイ自身が感じているよりはかなりジェイが悪いのでしょうが、そもそも健全な精神が育ちそうもない環境なので……。

ジェイにとってはものすごく生きづらい世界で懸命に生きているつもりなのでしょう。韓国のジェイがどれくらいメンタルぐずぐずなのか分かりませんが、1幕での不気味な出番が増えている分、ニースにとっての驚異であるジェイがそもそもは世界の歪んだ構造によって産み出されたものだという印象も強めてバランスを取ったジェイだったのかなと思います。

ルミ・ハンター

個人的に連続テレビ小説「あさが来た」がとても好きだったのでまさか劇場で鈴木梨央ちゃんを観られる日がくるとは、とても感慨深かったです。未知数だった歌も台詞と同様にクリアで危なげなく好演でした。

ただルミに関しては色々と気になることがあります。ジェイの部屋でルミが「ジェイおじさんの存在を感じる」という時、石井さんのファンの私としては大変有り難いのですがジェイはなぜそこに、、、?ダーウィンにはもちろんジェイの存在が感じられないけれど好きな人の言う事なのでとりあえず話を合わせているうちにルミの熱弁(熱唱)に呑まれて心動かされて「きっとそこに真実があるよ!」と言ってしまう、そんなミュージカル的な流れだと思っているんですがそこにジェイが本当にいると話が違ってきませんか?

ジェイがいる、とは言ってもそれは恐らくルミの想像の産物であって、「私の目はジェイおじさんとそっくりなのよ」と言うルミを優しく目を細めて見るジェイに、明確に2人の“つながり”を感じられるのは良いなと思うのですが。逆にそれだけつながりの強い2人で、その上ルミは自らを「リトルジェイ」と名乗り「ジェイおじさんの目で物事を見」ているのにジェイと同じ事実にまでは辿り着いていないのも不思議な感じがします。

「ジェイおじさんの目で見るのは辞める」とわざわざダーウィンに宣言するのも、ジェイが気付いたことにルミも気付いたが見なかったことにする、という宣言に聞こえたのですが、ここは原作を読むと分かるのでしょうか?ルミの描写自体がかなり少ないので、掴めないキャラクターのままやや消化不良です。

バズ・マーシャル

最近なにを観てもアミューズの男の趣味が良すぎることにびっくりしています。主に3LDKと甲斐さんですがこれを機に調べたら小関さん桜田さんNOAくんまでアミューズでした。いつもお世話になっております。

閑話休題、バズは息子との関係も良いし妻も実体を持って登場するし劇中唯一の"勝者"で、1と7地区混血のジェイは死に、1と9地区混血のニースは心が死に、純血の第1地区民であるバズマーシャルだけが成功者に成り果せたことには苦い気持ちにさせられます。

16歳のニースに「母親の日を作るのはどうかな?」と言われて血相を変えるジェイをみて笑みが隠せていないバズはわりと邪悪だなと思いますが、それにジョーイまで巻き込まれるとさすがにいたたまれなくなってしまうような人間味があるので憎めない人です。そもそもジェイと揉めてるのもジェイきっかけですし。ジェイが配っている写真展の招待状を自分は受け取らないのに、嬉しそうにしているニースには「見せてみろ」って一緒に喜んであげるの優しすぎませんか?ニースのこと三銃士の概念マンネだと思ってますが中の人的には植原さんがマンネなんですよね。マッヒョンは実質9歳だし(?)マンネが何だかんだ1番大人なのあるある。

子供の頃は刺々しさも持っていたけれど順当に大人になり、ちゃんと夢を叶えて、自分のコンプレックスである“父親”もちゃんと乗り越えようとしている地に足の着いた良い人間。そんなバズ役の植原さんがダーウィンヤングを「骨太な人間ドラマ」と評していたのが個人的にツボでした。確かにバズ視点だとそうなる……。

ラナー・ヤング

父と慕っていた人に裏切られた時、確かに傷ついた16歳の声と表情なのが本当素晴らしかったです。革命のときも16歳なのでブレスの位置が高くていつもの禅さんとは違う歌い方なのに、やっぱり禅さんなのでめちゃくちゃ上手い……。これはどう聞いても革命成功するやろ、という感じなので内部崩壊で失敗したのは正解だと思いました。

76歳のラナー・ヤングは、16歳のまだ罪を知らないニースとも似た鈍感さを持っていて、せめてニースに「何があったんだ」「考えていることを話してごらん」とでも言えたならずいぶん違っていただろうと思わずにはいられません。

ラナーが第1地区に来たのが16歳(韓国式に数えの年齢とすると満年齢は14~15歳)(そもそも孤児なので正確でない可能性もある)なので、第1地区に完全に染まることができるのか微妙な年齢だという感じはします。ネクタイを締めたことがないのも第9地区にそんな習慣がないからと言うよりは元々のヤング家がおおらかで、世間的にも時々そういう人はいてジェイがネクタイをする大人としか会わなかっただけなのではないかなと思っています。

ロイド検事が脚光を浴びているあの状況でも自分は絶対にバレないと自信を持つことはさすがにできないと思うので、検事?(バイトの植原さん)に情報を売った見返りに確実に保護されているのか、ラナーなりに恐怖心があってそれでニースのことに気付いてやれないのか、このあたりはもう少し知りたいところです。ただニースとダーウィンの物語としては、ラナーは元凶のくせに何も知らない、大切なのに憎い父親(祖父)で、そのバランスを考えるとああいうボヤっとした印象になってしまうのかなとも思います。

音楽

ものすごく韓ミュの風が吹いてましたね(雑)
教会音楽的なオルガン、ストリングス、ティンパニの音色が特徴的でした。

主旋律(歌)に対してオーケストラが伴奏よりは対旋律のような動きをするところが多いような気がしていて、これがバロックっぽさにもなるんですが同時に曲の覚えにくさにもなっている気がします。元々曲を覚えるのが苦手なので丸ごと嘘かもしれませんが。

色んな音が鳴っているわりに、歌を助けてくれないタイプの伴奏なので歌うのが難しそうだな、という印象もありました。ちゃんと鳴ると綺麗だし実際綺麗に鳴ってる人しかいませんでしたが、これはちょっと歌える、くらいの人でやると地獄を見ることになるやつです。東宝くんキャスティング頑張りましたね。

特筆するとすればM8「地下室の怪物」は恐らく弦で作った曲と思われて、弦楽器なら弾きやすいのかもしれないけど人はめちゃくちゃ歌いにくい絶妙な動きをする上に弦だからずっとテヌートだし調性がたぶんcis-moll(嬰ハ短調)、「後悔の嘆き」の音階です。伴奏も(たぶんちがうけど)通奏低音みたいな感じで歌を助けてくれないし、歌いにくすぎて私なら譜面ぶん投げてます。矢崎さんすごい。

もうちょっと細かく聴きたいので音源が欲しいです。韓国でも出ていないようなので日本で出したら韓国ファンも買うんじゃないかと思いますが東宝さんいかがでしょうか。

演出

原作未読・韓国版未見なので演出なのか脚本なのか原作なのか分かりませんが、そのあたりの全てについて。思い出したら足します。

赤い紐

ラナーとニースとダーウィンが「赤い紐」を使うのは「血脈」のモチーフでもある一方で、直接的に手を下したのは彼らではなくその赤いフードが生まれた原因でもある社会構造だという表現にも思えて、絶妙だな〜と思います。

レオとジェイを殺すときの紐の演出もすごく好きです。ジェイとニースを繋いでいる赤い紐がレオとダーウィンをも絡め取って、誰かがもがけばもがくほど誰かの紐が絡んで締まっていくような。立ち回りなのか振付なのか分かりませんが、これをどうやって考えるのかしらと不思議でした。初日付近は余裕のない感じが伝わってきて場面的にも合っていましたが、千秋楽あたりでは余裕が出てきたのか逃げ惑うジェイ(しか追えてません)の芝居が謎に深まっていて最悪でした。

ウィンザーノット

さすがにあざとすぎる……とは思いつつ毎回まんまと地獄のような気持ちになります。悔しい。「鏡の中でふたり目が合い笑う」の歌詞に合わせて鏡が傾きふたりが物理的に鏡のなかに入るのは、ダーウィンとニースが向かい合うように、ダーウィンとニースの親子関係とニースとラナーの親子関係を鏡合わせに見ているのかなと想像しています。これ自体は好きな演出ですが、鏡を傾けるアンサンブルの方がスライディングで出てくるのだけは意味がわかりません。

映像

全体的にくどい印象があります。12月革命でラナーの後ろにフーディーを映していますが、その後早替えしたアンサンブルが合流するのでそれまではラナー1人でも十分だし、その方がラナーが先頭をきっていた感じが伝わるように思います。

ロイド検事に検挙される人々、先述の生命の樹、レオの墓のまわりの他の墓などもくどいと感じました。分かりやすいと言えば分かりやすいのかもしれませんが……。

光る輪っか

さすがに五輪すぎる。4か6じゃだめでしたか。そもそも輪っか必要ですか?ビジュアル的に綺麗だとは思います。

光る枠

M10「鍵探し」のこれは好きでした。2人で話しながらパソコンを操作しているだけの場面なので、ポップアップウィンドウのように光る枠がパソコンの中から飛び出してきたような世界観が可愛らしくて、逆にダーウィンとルミが没入している感じにも見えました。

種の起源

レオとダーウィンが乗っている電車の座席の柄?と、レオが殺された時の背景に生命の樹の映像が出てくるのはこれを“自然淘汰”だと言いたいのか、ただ“血脈”を示唆したいのか、よく分からないなと思います。

そもそも作中の「種の起源」の扱い自体がよく分からないのですが。ダーウィンの「種の起源」において“種”は明確に分類して定義できるようなものではなく、全ての生物は1つの起源から少しずつ変異して淘汰もされた結果、今では分かれて見えるというものです。それと重ねるならばダーウィンがラナーの孫でニースの子だということはどの枝についた実かというような話で、どの枝であろうと同じ木の幹から産まれたものであることに変わりないということの方が本質であって、ダーウィンヤングにも明確に“悪”という分岐点がどこかにある訳では無いのではないかと思ったりします。もちろん、ある枝は病気なのでそこにつく実はすべて無事に育たず淘汰される、という話がしたかった可能性も否定はできませんが、ここで言う木の幹こそがあの“社会構造”であるはずです。

世界観

作り込みの粗さが気になりすぎています。世界観への突っ込みが苦手な方は読み飛ばしていただきたいのですが、

30年前
・ジェイがラジオをテープで録音(1970年代)
・ロイド検事の銃がM4カービン(2000年代)
現在
・バズのカメラがVHS(1970~90年代)

このあたりだけ見てもチグハグで、少なくとも特定の時代を想定している訳ではなさそうです。フィクションだから、と言われればそうなんですが、M4カービンについては韓国版では銃ですらないトンファーという超アナログな、ある意味時代を特定しない武器で、トンファーに馴染みがないということなら警棒で良かったのでは?と思ってしまいます。

VHSに至っては世界中に普及しているとは言え日本で開発された規格ですからね、あの世界に日本あるんだ。銃は勝手に特定してるので似てるだけの別物設定かもしれませんが、VHSはカメラ本体に普通に書いてますし……せめて固有名詞をデカデカと書くのはやめてほしかったですね……。

その他にも下層地区のわりに時間通りに運行している電車と吹き抜け的な天井の高い駅、第1から第7地区まで繋がっている電話線、ニースが飲んでいるバランタインファイネストすぎるウイスキーの瓶など、気になる部分が色々と。原因が原作なのか脚本なのか潤色演出なのか分からない部分もありますが、再演される時はこのあたりが調整されると嬉しいです。

制作・稽古について

キャストさんのブログで、振付の変更が多かったり転換が多い上に危険で、スタッフさんに頼んで夜間まで自主稽古をさせてもらった、というような話があったんですが、これは管理側にかなり問題があるのでは……?

これはダーウィンヤングのみならず舞台全般に思うことですが、キャストの意識や習熟度によって危険を克服しているような状態は本質的な安全とは言えず、そもそも危険な転換自体するべきではありません。俺たちの推しを危険に晒さないでください。

そして、基本的に弱い立場の俳優が自主稽古に追い込まれるような状況(自主稽古しなければ間に合わない、初日開けられない、というようなニュアンスでした)はとても健全とは言えないと思います。

せっかくの作品がそんな風に作られたと思うのは残念ですし、昨今のチケット代の高騰はこういうところにこそ反映されて欲しいと思います。

おわり

気付けばちょうど今1万1千文字を超えるところです。次に韓国で公演が決まったら腹を括ってパスポートを作ろうと決めている作品2つがシデレウスとJack the Ripperなのですが、ダーウィンヤングもそこに加えることになりました。先の2つは2022年に公演したばかりですがダーウィンヤングは21年が最後なので1番可能性が高いと信じて、そしてもちろん日本でも再演を願っています。あと音源と円盤とジェイハンター記念館〜♪のなで肩際立つアクリルスタンドも下さい。

命日中に書き上がってよかった!残業が終わったので今からジェイハンターくんを偲んでバニラケーキ食べます🧁

バニラケーキ バニラケーキ いただきましょう♪

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