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ミュージカル「CROSS ROAD~悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ~」 感想 2024

再演おめでとうございますありがとうございます!!!!気がはやりすぎてmy初日にマチソワして全キャストを観てきたので感想文です。

新演出について

方針

あまりにも違うところが多すぎてどう違うとは言い難いのですが、まず見た目上の大きなところでは舞台上にバンドがおらず盆(回り舞台)が導入されました。全体的な方向性としては、敢えてまとめるならば
ミュージカルCROSS ROADバッチーニver.のグランドミュージカル化
という感じでしょうか。

初演時の印象として、Wキャストのパガニーニにはかなり差があり、以下はセルフ引用ですが

相葉さんはとにかく明るくよく通る声なので己の才能を嘆き「残酷な神よ」などと歌っても反骨心を感じさせ、アムドゥスキアスに対しても自信があるので共同経営者的なフラットさを持っていて、2人で音楽の覇道を進むバディ物のようです。

水江さんは反対に、本当にどうにもならなくなったところを不当に引き上げたアムドゥスキアスに対して強い被害者意識を持っています。(ある程度は自分の才能を疑っていない相葉さんに比べると)自分に才能が足りないことは認めていますが、虚栄心が強く人にそう見られるのは我慢ならないという精神的な幼さもあります。

再演版ではこのうち相葉さんの方(バッチーニver.)の「反骨心のあるパガニーニ」「アムドゥスキアスとのバディもの」を中心に据えているように見えました。

「グランドミュージカル化」についてはミュージカル(初演)のグランドミュージカル化って何だよって感じなのですが、盆が回るようになったこととミュージカル経験値の高いキャスティングに加えて、各キャラクターたちに付与された“アグレッシブさ”も“ミュージカルっぽさ”になっている気がしました。

原作者の藤沢文翁さんの朗読劇には基本的に悪人がおらず、過酷な運命や複雑な社会情勢、そして時々は人外・魔族の類に相対したキャラクターたちの生き方、特に“善く生きた”ことや“精一杯生きた”ことが重点的に語られがちです。CROSS ROADにおいても初演時には才能の限界という過酷な運命・カトリック思想を至上とする社会・悪魔アムドゥスキアスらに翻弄されながらも“人間”ニコロ・パガニーニとして生きた姿が描かれていました。

ところが今回の再演では台詞の変更などはほとんどないものの、
・異端審問での演奏シーンで弓(=得物)を持つことで、殺陣的な攻撃的な表現になった。初演では楽器は持たず、斬る・操る・魅了するようなニュアンスの振付だった(はず)。
・エリザを抱き締めながらも顔は客席側に見せるなど、パガニーニもエリザを「利用している」ことが仄めかされている。
・契約の残り曲数をカウントダウンする曲がカットされたことでパガニーニの焦燥感の表現が弱くなった。
などの変更点からか、私はパガニーニがより自発的に名声を求めている印象を抱きました。

また人間側がよりアグレッシブになっている分、悪魔アムドゥスキアスもより露悪的(=アグレッシブな悪魔性)に描かれている気がしました。
・パガニーニとの契約時に、髪のリボンをパガニーニが自ら解くのではなくアムドゥスキアスが解き“手を下した”感を強調。
・異端審問によりパガニーニを追放する大司教の声がアムドゥスキアス(初演では動きは操られていたけど声は違った気がします)
・エリザのパガニーニ出世計画がアムドゥスキアスの声で語られる。
・バンドが舞台上にいなくなったことで、2幕頭にオーケストラを指揮するアムドゥスキアスのシーン(=音楽の悪魔としての要素)がカット。

総じて、若く野心に満ちたパガニーニと、破壊と破滅を招く悪魔アムドゥスキアス、という分かりやすくパワフルな二項構造になっています。

具体的な変更点

違いが多すぎて挙げていくとキリがないので、印象的だったところをいくつか。2年も初演の記憶をこねこねしていた亡霊なので、捏造があったらすみません。

血の契約
髪を解くのがパガニーニ本人からアムドゥスキアスに変わったことに加え、演奏シーンで楽器を持つようになったので契約後にヴァイオリンが概念(ドライアイス)になりません。個人的にはドライアイス過多の感じがVOICARIONっぽい景気の良さで好きだったので残念ですが、初演はドライアイスで前列が埋もれていた気もします(VOICARIONの別作品🥄と混同しているかも)。

Asha The Gypsy
元々はバレエ的な優美な振付がついていましたが、再演ではヴァイオリンを持つと共により明るく元気な印象の振付に変更されました。アーシャのキャラクターがより立っていますし、パガニーニも惹かれるほどの演奏力をここで示すことで後に悪魔に「パガニーニのようになりたいか」と誘惑されることにも納得感が出ました。

異端審問
振付が変わったことは前述の通りですが、パガニーニが楽器を持っているため初演のようなロープでぐるぐる巻きに囚われた状態で一幕終演とはならず、行く手を阻むように張られた三本のロープを踏みつけ、乗り越え、くぐって抜け出して、堂々とヴァイオリンを演奏して見せる「悪魔的な」パワーを感じさせる場面になりました。

血の契約rep.
死んでやる、弾いてやる!と叫ぶパガニーニにアムドゥスキアスがバン!と音を立てて押し付けるように乱暴にヴァイオリンを手渡します。引導を渡すようなイメージなのは理解できますが楽器を粗末に扱うことが個人的にどうしても許し難く、正直いちばん嫌いな場面です。

エリザの前で倒れるパガニーニ
初演では横寝の姿勢に倒れていたのですが、稽古場であったと聞くパガニーニの毛量が多すぎてエリザがかき分けてもかき分けても顔が出ない事件対策なのか、仰向けに倒れるように変更されていてつい笑ってしまいました。両パガニーニの鼻筋の美しさが映えること!

離れれば離れるほどに愛
アムドゥスキアスが黄色い薔薇を持って登場してエリザの花束に挿す流れが丸ごとなくなり、エリザの見せ場としての比重が増えました。エリザがパガニーニの傍らに跪き手を握って歌い、別れを決意して立ち上がったエリザの手がまだパガニーニのそれと繋がれて後ろ髪を引かれる様子が表現されていて、明確に朗読劇の壁を超えたミュージカルクロスロードとしての名場面の1つだと思います。

満たせ耳を
先述の、契約の残り曲数をカウントダウンする曲「Amduscias Dance」の代わりに追加されたアムドゥスキアスのソロ曲。カトリックにおける悪魔の立ち位置を説明しつつ、パガニーニ(人間)をカインの末裔と呼びかけています。曲の解釈については後述するとして、初演では
M29 離れれば離れるほどに愛(エリザとの別れ)
M30 Amduscias Dance(曲数カウントダウン)
M31 迷い子(ベルリオーズを支援)
M32 Prayer of rage(アルマンドの祈り)
とどんどん追い詰められてM31,32は諦めの境地、といった流れでしたがこのM30が変更されることで焦燥感よりは最後の1曲に向けて覚悟を決め始めているような印象に変わっている気がします。

(1幕の酒場のシーンで4万曲くらい間違ったガバガバ管理してるのを「ガバニーニ」って呼んでる方がいらっしゃって大笑いしたんですが、カウントダウン曲がなくなったので最後だけ急に上手いこと1曲残せた感じになっていてそれも面白いです)

Casa Nostalgia(Last ver.)
賭けに負けたアムドゥスキアスに対してアーシャが「ファン失格ね!」と言っていたのが「音楽の悪魔がきいて呆れるわ!」に変更されています。私がパガニーニという天才を生み出したのだと語る悪魔を「所詮は彼のファンたちと同じ、寧ろそれ以下」と貶める方が、テレーザにも「コンサートは黙って聴くもの」と窘められている流れも相まってクリティカルですが、ファンだったんだ……と面白くなってしまうところもありました。テレーザも「音楽の悪魔のくせに」と言っているので表現の幅がもう少し欲しいところですが、聞こえは「音楽の悪魔がきいて呆れる」の方が綺麗かなと思います。

パガニーニの最期
ここは直接観てほしいのでどうとは書きませんが、パガニーニの最期の場面が変わっています。個人的に、初演で感じていたことへのアンサーを貰えたような気がしてとても好きな変更でした。

私はパガニーニが悪魔に勝ったからと言って天国に行けたとは思っていません。パガニーニの魂は悪魔のものになりますが、彼は悪魔でも神でもなく音楽のしもべであって、全ては音楽に「捧げている」と思うからです。

カトリックとの関わり

原作・脚本の藤沢文翁さんもこの作品は「神学を予習すると、さらに楽しめますよ。なんなら悪魔学も。。。」と発信されていましたが、体感としても、初演時には神学とは言わないまでも悪魔と契約したことの重みを勝手に感じ取れる層(=2次元のオタクなど)には刺さっているけれど、そうではない層には何が起こったのかが伝わっていない感がありました。

新曲 満たせ耳を

おそらくそのあたりを踏まえて追加されたのが新曲「満たせ耳を」、(パンフレットは有料コンテンツかなと思うので)Xで公開されている歌詞は

人は弱く儚い子羊
だからそばにいよう
我ら庇護者 カインの末裔よ

禁断の演奏とメロディーで
満たせ耳を かき消せ神の声を

https://x.com/crossroad_mcl/status/1784782005563199915?s=46&t=8Cmx7-FavD5hBBO5dXo0Uw

創世記によれば人類はすべて『ノアの方舟』で知られるレメクの子ノアの子孫ですが、このレメクというのはアダムとエバの子でありカインとアベルの弟であるセトの子孫です。カイン(長男)はアベル(次男)を殺してしまい追放され、殺されたアベルの代わりとしてセト(三男)が授けられたので、カインの子孫たちは神を疎かにする人々、セトの子孫たちは神を大切にする人々だとされます。

これに対し悪魔アムドゥスキアスは、人間は殺人者の末裔、神を疎かにするカインの血筋だと歌っています。創世記の記述とは矛盾しますが、比喩表現・グルーピングとして「神に罪人とされる人々」のことをカインの末裔と呼んでいるのかなと個人的には解釈しています(悪魔の発言が聖書と矛盾すること自体に不思議はありません)。「神に罪人とされる人々」と言うのは結局は生まれながらに原罪を持つ人類全体のことで、直接「神に背け」と言うのではなく「祖先から伝わってきた罪のことなど忘れてしまえ」と言うのがいかにも悪魔的です。

よく歌う人は倍祈る

カトリック教会で云われるらしい「よく歌う人は倍祈る」という言葉を最近知ったのですが、個人的に今回のCROSS ROADのひとつのテーマのように思っています。「イタリア人は食べるパンがなくても歌うのよ」と笑うテレーザを楽観的で音楽を愛するイタリア人らしい考えだと微笑ましく見ることももちろんできますが、食うに困っても祈りを忘れない敬虔さの表れでもあり、「食べていけなきゃ意味が無い」と返したパガニーニとは既に信仰の篤さが違っています。

同様に、死を前にしたパガニーニが母の歌であるCasa Nostalgiaを奏でて祈ったということ、実はそれが「よく口ずさんでいた」曲であり祈りはずっとそばにあったんだということがアーシャに明かされることの意味も増すように思いました。

神学まわりは正直かなり手薄なので、もう少し勉強しながら観劇するのが2クールの目標です。今のところ気になっているのは
・ベルリオーズへの援助について。カトリックは清貧と施しを良しとするが、パガニーニは過度な施しを良しとしていない。
・パガニーニは十戒を守り嘘をつかなかった(悪魔と契約していない、とは言わなかった)せいで却って教会に疑われてしまった。
あたり。カトリックとプロテスタントの違いについてももう少し深めたいです。

キャラクターごとの感想

バッチーニ(相葉裕樹さん)

初演バッチーニの方向性をもっと尖らせた結果が新演出だと思っているので、人に勧めるなら私は迷わずバッチーニ回を選びます。歌もダンスも十全でそのうえ殺陣の経験もありそうな弓捌きが新しい振付に合っていますし、ボウイングのときに弓が真っ直ぐではなく駒を中心とした接線上を動くのが大好きです。

初演からそうですが「残酷な神よ」と歌うときから反骨心を感じさせているので、悲しみや絶望のためにアムドゥスキアスに堕とされたと言うよりはその手を握り神への反撃の共同戦線を張ったような。一方で初演でも再演でもWキャストのうちでより優しく朗らかなのもバッチーニの方で、他人には冷淡だが1度身内と認めたものにはかなり優しいところがある愛すべきキャラクターになっています。

ケンティーニ(木内健人さん)

バッチーニをベタ褒めした後でなんですが、個人的に刺さっているのはケンティーニです。誰とも綺麗に響き合う声の良さと、この作品においては扱いの難しい言葉ですが端的に言えば“懸命さ”。思春期の少年のように不器用で刺々しくそのためにバッチーニより孤独にも見えるけれど斜に構えているわけではなく寧ろ誰より懸命で、彼の孤独には簡単に憐憫をかけることができないような気がします。

ミズニーニの被害者感とバッチーニないし新演出の闘志が両立しながら、ミュージカル的アグレッシブさがより外向きに攻撃的に出ているので(初演の)藤沢演出でないことをより鮮明に感じる不思議な新パガニーニで、初演のミズニーニが好きな人はケンティーニが好きだと思うけど、初演が恋しくなるのもきっとケンティーニの方です。

アーシャ(加藤梨里香さん/有沙瞳さん)

初演ではわりあい綺麗にまとまった印象だったアーシャですが、再演ではパワフルになった代わりに少し幼すぎる印象が。個人単位の感想が書けるほどまだ自分の中で深められていないので今後の注目ポイントです。

Asha The Gypsyは初演時は単に声域が合っていないのが問題だと思っていましたが、よく聴くと上手く聞こえるのがめちゃくちゃ難しい曲なんだなというのを感じました。普通ミュージカルの曲って段々ボルテージを上げてここぞ!という盛り上がりで跳躍するものですが、曲はどんどん流れているのに音程はあちらこちらに飛んでいく感じが弦楽器っぽいなあ(作曲者がチェリスト)と思います。

エリザ(元榮菜摘さん)

再演のMVPは元榮菜摘さんのエリザ・ボナパルトだと思っています。アーシャもそうですがやはり弦楽器っぽく、ブレスするタイミングがないままフレーズが転がり続けていくのが特徴的なこの作品の中で、アムドゥスキアスに次ぐくらいの難曲2曲の名演。エリザ自身にファムファタールの資質がある印象だった初演に比べ、純愛がアムドゥスキアスに操られたことで悲劇に変わった感のある新演出ともマッチした切々とした歌声が本当に素敵でした。

それから個人的に好きなのはTango to sinでのアムドゥスキアスとのペアダンス。あまりリードしていないアムドゥスキアスに頼らずに自前の筋力で踊っている感じが、ペアダンスの形式としては正道ではありませんがエリザが使役されている状況的に正しいのと、シンプルに強くて大好きです。

ベルリオーズ(坂元健児さん)

一向に十字路で立ち止まりそうにありません。史実のベルリオーズのエッセンスを取り入れたのか?エキセントリックさが前面に出てきてしまい、パガニーニに十字路云々を説教されていそうな青年みもなく、歌はさすがの強さですが若干ギャク要員めいているのもあってかなり白けてしまいました。

そもそもなんですが、ベルリオーズって実際にパガニーニより20歳くらい若いわけなので若手の役にしちゃいけないんでしょうかね。朗読劇の初演時にパガニーニ以外の全ての男性役を1人で演じていた流れかもしれませんが、コスタ先生はアンサンブルが兼役でも良い気がします。

ヤママンド(山寺宏一さん)

朗読劇でパガニーニ以外の全ての男性役を演じ、ミュージカルでも続投という驚異のキャスティングで芝居が素晴らしいのは言わずもがな、大変失礼を承知で書きますが、ミュージカルが上手くなりすぎていませんか?このキャリアとご年齢で成長度に驚かされることに驚きました。前項でキツめに書いてしまいましたが妙な笑いどころが追加されている新演出において、雰囲気を壊さずに絶妙な笑いを誘ってくるヤママンドの有難みがとても沁みています。

ハタマンド(畠中洋さん)

初演ベルリオーズからのご出世(?)新キャストですが新キャストではないので初演の文脈を継いでいる安心感を勝手に抱いています。これまでの各アルマンドは方向性の違いはあるもののみなそれぞれ素晴らしく、誰でも最高だからある意味キャストスケジュールを気にしなくて良いとすら思っているのですが、音楽好きで頑固者で情に厚い、というアルマンドの人となりの輪郭がいちばんくっきりとあらわれていたのはハタマンドかなと思います。

テレーザ(春野寿美礼さん)

悪魔と契約したのはパガニーニ本人ではなく母親とも言われているのを思い出したくらい、押し出しの強いお母様。その圧がすごくしんどくもあり有難くもあり、そんなお母さんだからこそ認められたいし楽をさせてあげたいと思う強さをパガニーニに付与してくれる母親像に感じました。バッチーニの背筋を正す人で、思春期のケンティーニにもぐいぐいいくから「分かってるよ💢」って言いながらもちゃんとやる、みたいな。初演のただ包み込んで全てを認めてくれるような印象とはかなり違いますが、やはり新演出のアグレッシブさには似合ったテレーザだと思います。

アムドゥスキアス(中川晃教さん)

初演時からおひとりだけ余裕の面持ちで難曲たちを歌いこなしていたアムちゃんは、新曲が増えてもどこ吹く風。他キャラクター(=人間たち)の譜面がかなり整理され歌いやすくなったなかデュエットなどで多少歌割りの変更はあるもののほとんど初演のまま悪魔的な世界観を歌い上げています。初演に比べるとパブリックイメージの「悪魔」らしい、前にも書いたように露悪的な印象になりました。

個人的には悪魔アムドゥスキアスに属人性を持たせる意味を(歌唱力以外の面で)あまり感じていのと、新演出で舞台が広く使えるようになったのでもう少し踊るアムちゃんを観てみたい気がします。尤も、どんなに踊れたとしても歌えないアムちゃんだけは絶対に嫌ですが。

物語について

初演時、私はちょうど10年続けた楽器を辞めて1年経った頃で、作中1番共感した部分は音楽にまつわる絶望感でした。

楽器は他人のように冷たく お前の一部にはならない

SCENE5 血の契約 より

更に2年が経った今でも冷たい楽器の感触は覚えていますが、今1番パガニーニに共感できるとすれば、初演時には全く共感できなかった

普通の男として 人生を終えるよりはまし そう思っていた

アンコーラ より

でしょうか。私はただの会社員ですが、私を含め周囲には「若いうちは多少ブラックでもがむしゃらに働いて能力を上げて成果を出したい」と考える層がある程度いて、スケール感は違ってもそれと似た感覚だと思いました。何となく見えている頭打ち感と、まだ何か成せるはずだと信じたい気持ちを持ちながら、今以上に良く「なりたい」向上心と地続きのところにある良く「見せたい」虚栄心とどう付き合っていくのかが肝要なのだということ。音楽にまつわる絶望感よりはもっと普遍的かつ本質的なメッセージを、共感を伴って受け取れるようになったこともひとつ嬉しかった今回の再演でした。

ミュージカルクロスロード

想像以上に早い再演だったとは言えほぼ丸2年初演の亡霊をやっていたので思い入れが強く、今回のクロスロードをフラットに観ることは正直出来ていません。それでもやっぱり大好きな作品だし、たった2年ですが自分自身の音楽との距離、仕事や生活環境が変わったことで別の意味が見えた部分もあって、私の人生の傍にずっとある作品の一つになるだろうと思いました(重い)

実在の人物の描き方という意味では考えさせられる部分もあるのですが、超絶技巧なだけで音楽的にはあまり、、、などと腐されることも実は多いパガニーニの「悪魔的演奏」ではなく「彼の音楽」自体を繋ごうとするこの作品はパガニーニへの「賛歌」そのもので、そのあり方の優しさが何より好きな作品です。

劇中の言葉を借りるならまさに「チューニング中」、ミュージカル界に輝かしい名演を残すその直前を目撃したのだと信じています。

初演の時に書いたことが、今まさに成されようとしていることをSNSで見かける評価やチケットの売れ行きから感じてただ感慨深く、この先例えキャストが総入れ替えになったとしても新々演出になったとしても、ながく継がれていく作品になることを願っていますし、その祈りのひとつとしてこの感想文を残します。

長くなりましたが、最後にキャストスタッフの皆様のご健康と大千秋楽まで無事に上演されること、そして出来れば円盤化されることを願って!終わりにします。今期もまた観に行きます🎻


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