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宙組NEVER SAY GOODBYE

コロナ禍で、23日遅れの初日で、ロシアウクライナ情勢の中で、5人の退団者とともに、たくさんの重いコンテキストを背負ってはじまった宙組NEVER SAY GOODBYEについて。

戦争と芸術、あるいは戦争と宝塚

初演は見たことがなく今回初めての観劇で、最初は「ずいぶんタカラヅカナイズした戦争ものだな……」という印象でした。戦争ものというよりはオリンピアーダの団結を描いた青春物語のようで、宝塚歌劇団5組のうち1組くらいもっと社会派劇をやっても良いのに、とすら思いました。

しかし観劇を重ねつつスペイン内線について調べるうち、その実とても細やかに史実とリンクさせて作られていることが分かってきました。

序盤のジョルジュは「人生の真実を(写真に)収めたい」「芸術は政治に影響されない」と芸術家としての立場を示していますが、結局クライマックスで選んだのはカメラを置き銃を取ることです。キャサリンがラジオ放送を「戯曲を書くよりもっと人の役に立つこと」と歌ったのも同様で、物語の進行とともに2人は芸術の力を信じなくなります。

私にはこれが恐ろしくてなりません。同じく宙組の「ホテル スヴィッツラハウス」では戦争によって虐げられる芸術と芸術家を助けるために奮闘する人々が描かれましたが、今作NEVER SAY GOODBYEで人々は芸術を忘れ、そして忘れたことにも気付いていないのです。

目の前の仲間の命を助けることと、写真を撮って遠くの誰かに伝えることを天秤にかけたときたしかに緊急性があるのは前者ですが、そもそもこのような選択を"させられている"という事実を忘れてはなりません。仲間を人質に取られている状況を、作ったのは何なのかということを。

戦争の恐ろしさよりも団結の尊さを描くことが“宝塚”という形式に合っているので当初は違和感がなかったのですが、戦争によって芸術を忘れ団結こそが尊い(日本の戦時中のスローガンの数々のように!)と思い込んだ人々を描いてもいると気付いて薄ら寒い思いがしました。

キャサリンの存在意義

ジョルジュは「君に出会うために生まれてきた」と言いますが実際のところ、彼が求めていた“人生の真実”はキャサリンではなくオリンピアーダの中にありました。ではキャサリンの存在は何だったのでしょうか?

私はキャサリンを「プロパガンダ的勝利」の象徴なのではないかと考えています。

アギラールは世界の世論へ影響力のあるキャサリンを手に入れることに執着するあまり暴走し身の破滅を招きました。史実を見てみるとスペイン共和国政府は敗色濃厚にも関わらずプロパガンダ的勝利にこだわって徒に負け戦を長引かせ、結果民心は離れていきました。

キャサリンを手に入れた、勝者であるジョルジュは写真集を出版し己の名前と内戦の恐ろしさを世に知らしめました。一方で最後にキャサリンを手放すのは、プロパガンダやジャーナリズムへの執着を手放すことをも示しているのかもしれません。カメラを置き銃を取るのはファシストを滅ぼすためでなく、仲間と共に戦うため。だから最後の場面の戦場にファシストの影はなく、仲間だけがそこにいます。

ワイルドホーン楽曲と宙組

今作を語るにあたり、外せないのが素晴らしい楽曲の数々。"One Heart"をはじめとするメロディメイキングも然ることながら、個人的にはワイルドホーン楽曲の良さは美しいハーモニーの積み方だと感じています。

また、"ワイルドホーン楽曲あるある:歌が上手い人はさらに上手く聞こえ、そうでない人は悲惨"だと思っているのですがやはり今回もそうでした。素晴らしかったのはもちろん留依蒔世さんと若翔りつさん。とくに若翔さんが歌い出すのは正に内戦がはじまったその瞬間なのですが、その緊迫感よりも若翔さんの歌声を聴ける喜びが勝っていつも笑顔になってしまうくらいでした。

それから桜木みなとさん、コーラスの宙組相手にほぼおひとりで対抗する大変なパワーのいる役どころでしたが、その大変さを感じさせない堂々たる歌声で素晴らしかったです。

真風涼帆さんは初日こそワイルドホーン楽曲独特の間の埋め方に苦心されている風でしたが、1週間も経つと見事にそれらを征服していました。元々おおらかな歌いぶりの真風さんなので、妙に歌い手の「間を埋める」力を必要とするワイルドホーン楽曲には合っていたように感じます。

そして特筆すべきはコーラス。どんな不協和音も的確に鳴らしてくれる宙組のコーラスには安心感しかありません。ハーモニーも素直な積み方が多かった今作は歌っていても気持ちよく響いたと思いますし、楽曲の力とコーラスの力の相乗効果が大いに作用していたと思います。

私がコーラスを聴いて毎回泣きそうになるのが、教会を没収しようとするプスクに対する民衆の「なぜお前たちが」「その必要はない」のフレーズ。かなり大勢でのtuttiですが歌詞もはっきりと聞こえてきて、民衆の怒りと一体感が伝わってきます。主要キャストが歌う詞の1,2単語を拾って繰り返すようなつまらないコーラスではなく、強い意志を持って発される台詞としてのコーラスで本当に感動させられました。

歌唱に関して唯一問題だったのは潤花さんと真風さんのデュエット「全ては君のために」。しっとりした曲ほど実力が出て難しいのですが、潤花さんの1番最後の音が毎回15セントでは効かないほど低く、後半の公演では真風さんが音程を低めに取ってどうにかハーモニーを合わせていました。

ワイルドホーン氏はあまりキーに頓着せず「好きなキーで歌っていいよ!」と仰るそう(ある外部ミュージカルでの話)なので検討、あるいは健闘した結果なのだとは思いますが、あれではふたりの間には不和しか見えません。(あるいはジョルジュだけが気を使っている……)

それから楽曲に関してではジョルジュの部屋でジョルジュとキャサリンが話している裏のホルンソロ、教会でのふたりのキスとともに曲が終わり絶妙な間をとって始まる次の曲、この2箇所は毎日聴いているだけで緊張して芝居どころではなくなってしまいました。奏者、指揮者の方に敬意を表します。

結局1番格好いいのは

ふと振り返ると今作、"格好いい人"がまったくもっていないのです。アギラールは言わずもがな、ヴィセントは敗戦国であるモロッコ出身のタリックに「負け犬」と言った時点で選外どころか個人的にはアギラールより悪い。ヴィセントに関してはバルセロナの強い民族意識やスペイン・モロッコ戦争を踏まえた件で巧みだとは思いますがそこまでやらなくても……と思ったりもします。ジョルジュは顔と声とスタイルの良さで1億点稼ぎますが個人的には芸術家としてのプライドを捨てた部分のマイナスが……。

結局何が言いたいかというと、松風輝さん演じるパオロ・カレラスが1番格好いいのです。

生きていくためならたとえプスクへの協力だろうと何でもする、という一貫した生き方。プスクの指導者を騙すような企みにも協力する気風の良さ、チャリティーで女の子たちの生活も支えながら戦士を癒すという選択。

それを演じる松風輝さんも最高でした。あの高級絨毯みたいな派手な花柄のベストを着こなしているだけでも拍手喝采なのですが、ポップなわりに説明的な歌詞で長いナンバーをほとんど1人で、飽きさせず楽しくかつ情報を漏らさず伝える技術にはまったく感動させられます。

実際のところシリアスな大ナンバーを歌いこなすより難しいのが音数が少ない楽しげな曲を楽しく聞こえるように歌うことなのですが、松風さんは口跡明瞭で、ダンサーらしい軽やかな身のこなしも手伝って見事に歌いこなしていらっしゃいました。間違いなく今作のMVPだと思います。

キャストごとの感想

真風涼帆さん

真風さんは前述のとおり、ワイルドホーン楽曲を見事に歌いこなしていらっしゃいました。またマタドール、オリンピック選手などと比べると見た目には地味な職業のお役でしたがシックな魅力が活き、贔屓目ですが劇中いつシャッターを切っても絵画のように映るのだろうと感じさせるお姿で素敵でした。

お芝居では、内戦勃発後アメリカに帰ろうとするマーク(寿さん)に告げる「俺は残るぞ」、何ということもない部分なのですがマークの声など耳に入っていないような熱に浮かされた声が印象に残っています。

芹香斗亜さん

芹香さんは大曲を大曲らしく歌い上げられるパワーがある反面、そのパワーでヴィセント自身の質感を押し出し、スペイン内戦を大局的に描いているネバセイ内でかなり我を通していました。とても宝塚らしい、個の奥行を見せることに長けた役者さんだと感じます。

余談ですがヴィセントがタリックに空砲を撃つシーン、あの手のライフルに装填できるのはせいぜい5~10発ほどで自分で残発数を数えるのが常のため弾切れであることはヴィセントは承知していたはずです。どこか、怒りをぶつける場所が必要だったのだろうと思います。

桜木みなとさん

前述の通り宙組約70名にソロで対抗する大変なお役ですが、桜木さんは自分自身の理想と狂気のみに真っ直ぐに向き合っている様子で好演と感じました。小物っぽさは小池作品らしいですが、桜木さんが演じるとどこか痛々しさが残るのが良いですね。いつも感じることですが桜木さんは難しいことを難しそうに感じさせないのがとてもお上手だと思います。

印象的だった場面など

ここからはただの頭の悪いオタクの感想です

・オリンピアーダの自己紹介、瑠風輝さんと風色日向さんのパートだけ「ビルって呼べよ」『ビル!』「ノルウェーのハンスだ」『ハンス!』と周りからコールが入っているのが面白すぎて無理です

・エレンとの思い出「マリブビーチの夕焼け」、 キャサリンとの思い出「マリブビーチの朝焼け」ってジョルジュ・マルロー悪い男すぎませんか

・ジョルジュの本名はズビグニエフ・ズブロフスキー。ズビグニエフ[Zbigniew]とはポーランド語の名前で「怒りを払拭する(払い除ける)」という意味で、なんとなくそちらが彼の本質なのだろうと感じました

・民兵の訓練の様子をラジオ放送するためにやってくるパオロ、音響係の風翔夕くんを率いているのですがアギラールに「放送を中止しろ!」と言われてパウロは舞台に残り、風翔くんだけがすごすごと捌けていくのがかわいいので見てください。

終わりに

噂のヤバフィナーレについて書いていませんが、ホワイトアウトして記憶が無いので終わります。

東京公演のチケットがなく、新人公演の日も無限残業の予定なので私のネバセイ公演期間も終わりです。このような作品に出会わせて貰えたことに心から感謝します。

3/15から4/2にかけて
六花

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