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不思議な国のエロス

音楽劇『不思議な国のエロス』〜アリストパネス「女の平和」より〜の感想文です。例によって7000字あります。

直球なようで何も分からないタイトルに情報解禁時は若干尻込みをしていたんですが、結局3回観劇してパンフレットを買って戯曲も読んで元になった「女の平和」も読んで、色々な方向から楽しめた作品だったので記録として残しておきます。

渡邉蒼さんと内海啓貴さんが出演されるのがきっかけで観に行ったのですが、たまたま「女の平和」の結末だけは知っていて読んだり観たことはなく、「不思議な国のエロス」の方は全く知らず翻訳なのか翻案なのかすらよく分からないような状態から入りました。

初日にはまず、美しい詞やバラエティ豊かでキャッチーな曲、コーラスの一体感や各ソロの情感の豊かさなどなどの音楽劇としてのクオリティの高さにとても驚きました。

そして劇中で歌われるように「女にできることは お化粧すること お喋りすること 鰯を上手に焼くこと」だけではないこと、世界は“男と女の二項対立”ではないということを知っているからこそ安心して「古典」として距離をおいて笑える作品にもなっていて、それでいて現代においてもテーマ性を失っていないことが印象的でした。

音楽について

しっかり音楽劇なのにアコギメインのサウンドも相まって聞きやすい曲が多く、初日は「最近流行りのイージーリスニングだ、、、」とよく分からない感想を抱いたりしました。曲数が多くポップス、ラップ、演歌、軍歌、祭囃子のようなのものとジャンルも様々。印象的なソロ曲もありますが全体としては「男」と「女」のそれぞれの一体感や合唱のパワーが感じられて、でも個々を見るととても個性が強いのが面白かったです。

第1幕
M1 老いたるわだつみのレクイエム
M2 女にできることは
M3 ほんとにほんとに
M4 それはねそれは
M5 いろであれ まぶであれ
M6 えい、おう、えい、おう、
M7 わたしのつくった鉄の矢で
M8 さあさよく聞けくそ婆め
M9 おだまりおだまり男たち
M10 ギリシアは一つの糸だから
M11 さあ皆さん いちじくの首飾り
M12 (inst. 山門)
M13 おやすみクローエ
M14 ごらんましましこのお腹
M15 眠れない眠れない
M16 (inst. アクロポリスのテーマ)
第2幕
M17 老いたるわだつみのレクイエム(hum.)
M18 なんてつまらぬ世の中だ
M19 (inst. ラムピトー入場)
M20 なんてつまらぬ世の中だ(rep.)
M21 (inst. シラクサの女たち)
M22 (inst. 赤い月)
M23 人生も終ってしまう
M24 生まれたのが四月でした
M25 女ほど始末のわるいけだものはない
M26 まだだめよ
M27 もしもことばがまことなら
M28 女の平和
M29 生まれたのが四月でした(rep.)
M30 女の平和(rep.)

太字はパンフや戯曲で曲名/曲順が確定しているもの、それ以外は歌詞の冒頭を仮題とした暫定リストですが「30曲超え」らしいのでもう少しある気もします。曲順は公式Twitterが言っていたM11と18を基準に入れ込んでいますが何も分からないので、もしキャストさんのSNSとか配信とかで判明したものがあればぜひ教えてください。

“男”と“女”の二項対立に始まり(M2~11)、1幕終わりからクローエ、アイアス、ヘラクレース、カミラスら“個”にもフォーカスを当てたはずなのに(M13~23)、M28「女の平和」では結局男も女も一体となって二項ですらなく、クローエは置き去られたまま終幕してしまう構成が音楽でも表されているのが恐ろしくて、好きです。

歌詞は寺山修司による戯曲をそのまま音楽に乗せたものと、戯曲のキーワードや空気感を残しながら新作されたものがあったと思いますが、どちらもとても良かったです。

ダイジェスト映像を観てみると分かりやすいのですが、冒頭から2:45の
・老いたるわだつみのレクイエム
・いろであれ まぶであれ
・えい、おう、えい、おう
・眠れない 眠れない
・さあ皆さんいちじくの首飾り
は基本的に台詞も、歌詞もすべて戯曲通りになっています。

他方、2:45からのラップバトルパートはオリジナル歌詞ですが、戯曲と比較してみるとキーワードはしっかりと取り込まれていることが分かります。

よく聞け くそ婆
このまま油ぶっかけて着火
火だるまはさすがにかわいそうだから
やめといてやるが
この中心よりも熱い俺らの言葉

ダイジェスト映像より https://youtu.be/2K9uKe8CInI?si=L293sdP6VPg5COJP

さあさ よく聞け くそ婆め
火責めにせんと思ったが
御慈悲あっての ことば責め
ありとあらゆる 悪口で
アクロポリスの城門を
あけてみせんとやって来た

寺山修司 「不思議な国のエロス」より

ここは完全オリジナルだと思っていたので、戯曲を読んだ時に言葉選びは違っても内容があまりにそのままで驚きました。時代が違ってもリズムに乗せてディスるとクールだというのは共通なのでしょうかね。そういえば狂言の「酢薑」を観た時にもラップバトルのようだなと思ったことを思い出しました。

平和と戦争について

物語は、舞台上に積み上げられたパイプ椅子が崩れ落ち、朝海ひかるさん演じる物語の案内人ナルシスが「何しろ、開幕早々、戦争なのです。」と告げて始まります。床に転がった椅子をコロスたちが大切に抱きしめる姿に“椅子”は“人”であることが示され、男たちは登場と共に隊列をつくって椅子を倒し、「いくさは女のする仕事」と歌うヘレネーは男たちに向かって椅子を蹴り飛ばすことで“戦争”を表しているようでした。

アイアスが死んだ後にアイアスがいたのと同じ場所に置かれた椅子を抱きしめて泣くクローエと、その後ろに山と積まれた椅子。物語の冒頭には椅子を戦死した家族に見立てているのだと淡々と観ていられたのに、それがアイアスとクローエだったと分かると途端に悲しくなって、自分も一人息子のアイアスを失って初めて戦争の恐ろしさが分かったラケースと同じだと気付かされました。

男たちが戦争を好んで求めているこの作品において戦争は絶対悪で、現代における“戦争”のテーマとしては特別メッセージ性が強いわけではないと思っていますが、アフタートークショー付きの回を観劇した日にはラストシーンの「女の平和」の大合唱で倒れた椅子が終演後に回収されて舞台上が片付けられていくのを客席から見ていて、演劇の反復性をそのまま歴史の反復性に重ねて見ているようで、胸が痛くなったことを覚えています。

男と女、SOGIESCと劇表現について

ここは私が個人的に感じたことや考えたことなので作品自体の感想とは少し違いますが、私にとってはメインテーマだったので長々と書きます。

念の為に補足しておくとSOGIESCというのは
性的指向Sexual Orientation
性自認Gender Identity
性表現Gender Expression
性的特徴(身体的性)Sex Characteristics
をまとめた、性のあり方を示す言葉です。

冒頭でも書いた通りこの作品は“男”と“女”、SOGIESCを念頭に具体的に定義すれば
男:異性愛者(=女性愛者)で、男性を自認し、男装する、生物学的男性
女:異性愛者(=男性愛者)で、女性を自認し、女装する、生物学的女性
の二手に分かれた人々の戦いを描いていますが、劇中にはこの二項から外れる人達も登場しています。

まずは物語の案内人ナルシス、元々語り部で登場人物からは少し外れた存在ですが、「佝僂男」と明言されているナルシスを朝海ひかるさんが演じています。また劇中も衣装を様々に変えることで男女どちらの陣営にも加わっていますが、戯曲上ではナルシス、各国の使者、門番などは全て別役として記載されており、今回の上演では敢えて兼役とされているようです。

次に武器商人のデビトリブスと葬儀屋のピタゴラス。彼らは戦争を好み男に同調し女を倒そうとしますが、物語が進むにつれ“そのこと”よりさらに戦争を好む、あるいは戦争だけを好んでいることが明らかになります。そして多くの男が拒んだ妻を射ることも厭わない、最も勇ましい男ラケースが平和を望んだときでさえ、まだ戦争を望んでいるのが彼らです。
このことだけで“男”と違うとは言い難いですが、彼らは公演を重ねるにつれ親密に、有り体に言えば恋愛関係にあるような距離の近さになっていき、初日にはなかったと思われる「デビ」「ピタ」という愛称で呼びあっていたことは特筆に値するかなと。

そしてプシケ、彼女は「大の男嫌い」「男の人に興味ありませんの」と公言しており、女たちが男を求めて歌うナンバーにも参加しません。そしてプシケもデビトリブスとピタゴラス同様、開幕初日はそうではなかったと思うのですが、千秋楽ではヘレネーを黙って長く見つめていたり特別な感情を持っているように演出されていると感じました。

そして最後に、最も分かりやすいのが、女たちに「決して口答えしませんし、毛糸編みから料理まで、何でもやってくれる。そのくせ、この肉体美でしょう?」「しかも、デリケートな心使いまでしてくれる」と“理想的男性”として雇われているヘラクレース。しかしヘラクレースは「男ってどうして戦さが好きなの?」と問われると「あたしじゃわかんないわ!」と、明言はしないまでも“男ではない”ことを示唆する口ぶりで答えます。ちなみに、戯曲にはこの台詞に(意外に女性的に)と注釈がされています。

ヘラクレースが「意外に女性的」な言葉遣いや仕草だからと言って、必ずしも女性を自認していて男性を好きになるという訳ではないことを私は理解しています。しかしヘラクレースが男たちの中で唯一大振りなシルバーの耳飾りを着けていることにひっかかりを覚えたり、話し方や仕草に“女性らしさ”を見て取ったり、女口説き大会に参戦することに意外性を感じたりする、捉え方のクセ、極端に言えば偏見を持っている自分にも気付かされました。

これは他の人物についてもそうで、ナルシスは男とも女とも、男が女の門番に化けているのか、女が男の使者に化けているのかも分からず、デビトリブスとピタゴラスも男に見えるからと言って男だとも限らなければ女が好きだとも限らないし、男に興味が無いプシケは女が好きとも限らないし、何もかもは未定義のままです。

演劇表現において衣装の色で属性を表現することはよくある手法ですし、単純化が必要な場面もあります。なので善し悪しを述べたい訳でないことを前置きしておきますが、性的指向と性自認の組み合わせが必ずしも女性愛者ー男性、男性愛者ー女性の組み合わせではなく様々であるように、性的指向と性表現、性自認と性表現の組み合わせも様々にあるということを忘れがちになっている自覚が必要だと感じました。

それから、これだけ長々と書いてきたことのほとんど(ヘラクレースが「意外に女性的」であること以外)が戯曲によらない、今回の上演にあたって視覚的に演出されたものから得た感想だということは「見た目で判断しがち」だという話とも繋がりますが、総合芸術である舞台作品ならではのことだなとも思って興味深かったです。

演出について

音楽についての項でも触れましたが、今回寺山修司による戯曲はほとんど改変されずそのまま上演されています。しかしテキストで「男声合唱隊」「女声合唱隊」と表現されている戯曲と、スキンカラーの衣装の状態のただの「コロス(合唱隊)」に着脱可能な属性として「ピンクを纏った女」「グリーンを纏った男」が付与されている上演では全く印象が異なっていて、椅子のような道具の使い方も併せてより曖昧かつ身近に演出されているように感じました。

またスキンカラーの所謂肌着のような状態の姿は、近年ではセクシーさよりはLOVE OWN SELF的な「ありのままの自分」に価値を持たせるメッセージとして使われることが多いような文脈も踏まえているのかなと。ただこれは先のSOGIESCで言えば性的特徴(身体的性)だけを強調してしまう姿なので、私としては見方が難しい部分でもあります。

布の使い方は視覚的には綺麗で面白かったのですが、椅子のような意味合いの部分ではやや不明確だったので気になっているところです。

気になっているところで言うと、カミラスまわりは謎が多いです。腕があったりなかったりする問題に加えて、個人的には衣装のオレンジ線の本数問題があります。男性のグリーンの衣装にはオレンジの差し色が入っており、総オレンジが武将ラケース、オレンジの三本線が騎兵隊長ペリクレース、二本線は武将ラケースの息子アイアス、線なしのコロス、と見比べると階級を表しているように思われます。カミラスは徴兵ではなく志願兵らしいので雑兵のコロスよりは上、騎兵隊長よりは下、武将の息子アイアスよりは年長のようですが友人であることを踏まえ同等として一、二本あたりが相当する気がしますが、なんと衣装は袖に一本線、裾に三本線が入っています。

平均して二本ということでも良いのですが(?)想像してしまうのは「二階級特進」で、意味が分からない方は調べていただくと良いと思いますが、そうだとすると腕があったりなかったりすることや、カミラスの妻ミリュネーの衣装が女の中でただ一人、赤やピンクではないことにも意味が見つけられる気がします。

アイアスが“椅子”を“越えて”斥候に出て帰ってこなかったことを踏まえると、ソロナンバー「人生も終ってしまう」で椅子の上で立ち止まっていてその椅子も持ち去られてしまったカミラスは“川を渡れなかった”人なのではないかなとか、流石にこれは深読みしすぎだろうとは思っているのですが。

戯曲について

全編を通して話すよりは誦すると呼びたいような朗々としてしかつめらしい調子で、戦争と“あのこと”について大論争を繰り広げる様子に日本語の美しさとおかしみと、日頃から感じている「日本語で作られた作品」の良さを特に感じる作品でした。

同時に、この朗々としてしかつめらしい調子がいかにもギリシャ演劇という感じなので、「女にできることは お化粧することね お喋りすることね 鰯を上手に焼くことね」「それはまた女らしからぬ反逆行為」などといった偏見的な台詞も、演劇的に現実世界から距離を置いて見やすかった気がしています。

そのことと比較して面白かったのが、「女の平和」の解説に書かれていた一文。

「女の平和」は現存作品の中で、多くの台詞を持った女性が登場する最初の喜劇であり、このような女性の登場は、観客には新奇に見えたに違いない。

戸部順一/西洋比較演劇研究会編『ベスト・プレイズ』

あまりにも世界観が違っていて驚くと共に、この時代(2400年以上前)と比べれば「不思議な国のエロス」が書かれた60年前はどちらかと言えばかなりこちら側(?)のはずで、残念ながら当時は上演が叶わなかった戯曲ですが60年前の観客ならどのように見えたのかとても気になっています。

閑話休題、アリストパネスの「女の平和」には登場すらしない(モデルと思われる人物はいる)オリジナルキャラクターのアイアスとカミラスにそれぞれ「おやすみクローエ」「人生も終ってしまう」と劇中でも特に詩的な歌詞がつけられているのもテラヤマ版らしい良さでしょう。若い兵士のアイアスが黒髪の恋人クローエを想って歌う「おやすみクローエ」、

いつかある日  わたしが戦場で死んだら
その黒髪でアイリスの  花をたばねて投げてくれ

いつかある日  私が生きて帰ったら
その黒髪でしみじみと  わたしの傷を拭いてくれ

この歌詞が本当に美しくて、自らの死をクローエの黒髪に彩られる気でいるアイアスのエゴがこんなにも美しいことに、いつも怒りながら感動してしまいます。

言葉の巧みさでは、三日月の夜の約束とセックスストライキをそれぞれ指して「僕との誓い/ヘレネーとの約束」と呼ぶアイアスと「アイアスとの約束/ヘレネーとの誓い」と呼ぶクローエで2人のすれ違いが表現されているところも好きでした。

おわり

話がとっちらかってきたので急に終わります。私は感想をまとめる能力が全く足りませんでしたが、とにかく言葉や音楽や演劇やアンコンシャスバイアスや、色んなことと向き合って色んな見方や楽しみ方ができた作品でした。私は俳優さん目当てに見に行ったクチですが作品の感想だけでこの分量になり俳優さんの感想まで全く辿り着けませんでした。本当は「女の平和」との比較(クローエもアイアスもカミラスもミリュネーもいない)とかもちゃんとしたいんですが。まずはラップパートの全リリックが欲しいです。出来れば円盤、せめて音盤、、、🙏🕊

演劇ってその時の自分をうつす鏡というか、結局は見る人が見たいものや見られるものしか見えないものだと思っていて。不思議な国のエロスに見えたものを通して、5年くらい前に初めてクロスドレッサーの友人ができたときの自分、ジェンダー規範に縛られて辛かった時の自分、幼馴染が肢体切断する前の自分と、今の自分との距離を振り返ってみるような公演期間でした。こんな作品に出会わせてくれた推したちに感謝。もう5年先にはもっと感想の筆が早くなっていたいです。

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