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『Cotillion』MV制作に関する覚え書き:または郵政と戦争とアニメーション

 本日、自分がアニメーションを担当した『Cotillion』のMVが投稿されました。皆さんはもうご覧いただけたでしょうか。

 さて、本作はBilibiliに投稿されている事からもわかるように、幼安さんという非常に熱心な中国のVtuberファンからの発注で作られました。つまり作品の受容される先も多くは大陸のファンなわけで、日本の視聴者の方は「これは何の何?」という気持ちになったかもしれません。もちろん映像単体で面白いものになるよう頑張っているのですが、この作品が配置された文脈を理解してもらえた方がもっと面白いものになるはずです。
 というわけで、本稿では『Cotillion』MVという作品の制作された経緯と内容を解説していこうかと思います。どうかお付き合いください。
 クライアントである幼安さんからのメールを受け取ったのは2022年の4月の事でした。なんでも、『VtuberのベラさんのファンメイドソングのアニメーションMVを作ってほしい』とのこと。
 一文にするとわかりにくいですね。つまり、『Vtuberのベラさん』という存在が中国におり、ファンメイドソング、つまりファンが作った曲のMVを作って欲しいとのことでした。日本でファンメイドと言うと投稿者本人が作っているイメージが強いですが、今回の場合は曲もいくつか別のクリエイターに発注されており、その曲のMVを作ってほしいというのが依頼の主旨です。
 そして同時に送られてきたのは、PDFにまとめられたVtuberベラ(贝拉)さんについての詳細なプロフィールと参考資料でした。曰く、A-SOULという(あのTikTokの運営元である)ByteDanceが運営するアイドルグループの一員である。曰く、星と月のイメージである。曰く、ダンスを習っていた。曰く、ウルトラマンティガが好き、曰く、味付きの飲料より水を好む……。
 私は唸りました。なるほど、こういう依頼があるのか。
 そもそも海外から依頼が来ること自体初めてで、しかもファンメイドMVというのも初めてです。正直な所、初めて知るVtuberだし、実績として紹介し辛いし……という躊躇はありましたが、海外から自分を見つけてくれたという事実が何よりも嬉しく、また資料からファンとしてのかなりの熱量を感じたため、なんとかして報いたいという気持ちが芽生えました。こうして『Cotillion』MVを作ることになったのです。

『Cotillion』という曲

 Cotillionはコティリオンと読みます。社交ダンスの形式の一種であり、とりわけアメリカにおいては社会人デビューの儀式的な意味合いも込められるそうです。ハイスクールものの連続ドラマみたいですね。
 Cotillionという曲には2バージョンあります。作曲家オリジナルである日本語バージョンと、それを下敷きにして中国語の訳詞とボーカルがついた中国語バージョンです。オリジナルの日本語バージョンはボカロPであるエイハブ氏が制作し、音楽性同位体であるところの可不が歌っている、非常に複雑なニュアンスを含んだ美しい曲です。
 また、2バージョンを作るに当たって字幕を打ち直す際、直訳と中国語歌詞を並べた対訳表を見る機会があったのですが、複雑で詰め気味の日本語歌詞を訳し、曲に収まるように改編する労力が透けて見えるものでした。ファンメイドなのにいったい何人の人々が関わっているんだ。
 日本語版のコティリオンは、MVに先行して22年末に発売されたエイハブ氏のアルバム『ORIGIN:A』に収録されています。そもそもエイハブ氏自身がかなり確たる世界観を持った曲を作るクリエイターであり、また長い間MVを担当していた鯉尾蕪氏の鮮烈なアートワークも印象に残ります。

 どこか抑圧的で、どこか自他に冷笑的で、しかしそれでも最後に残った生の実感を手放せない、そんな作品群が前提としてある曲なのです。であるからには、たとえVtuberのファンメイドMVという土俵とはいえ、一種の思想的な後任者になったような気持ちで、エイハブ氏の曲のMVとしても相応しい物を作らなければならないという思いが芽生えました。
 そして同時に(実際はどうだったか本当はわかりませんが)、エイハブ氏もまた自分の受け取ったような資料を見て曲を作ったはずなのです。ですから、私がMVを制作するうえで真っ先にやるべきことは、作詞者がVtuberのベラさんに対してどう感じ、歌詞に昇華させたかを解き明かしていく、リバースエンジニアリングの作業でした。

 日本語版の歌詞を見ていきましょう。

”Q.私に価値など無いのね?
A.悲しいけれどそう”

『コティリオン』より

 自問自答からこの曲は始まります。”狂気じみた舞台”に立ちたがる自分を自嘲し俯瞰しながら、それでも舞台から降りずに踏ん張り続ける姿が映し出されるのです。
 手を振って懸命に前へ進んでいて、付いていけない人々を後ろへ置いていっているはずなのに、置いていった自分自身が逆に置いていかれたような孤独を感じる。自分の心の中で繰り広げられるそういった人間関係のダンスがすなわちコティリオンなのではないか。完全に自己流の解釈で申し訳ないのですが、歌詞の一番は大体そのような意味だと捉えました。
 そして全体として、A-SOULというグループにかつて起こった事件と、そこにおけるベラという人物の立ち位置が歌詞の話題にあるように思います。

クライアントワークと主体性

 A-SOULというVtuberアイドルグループは、2022年の5月にキャロル(珈乐)というメンバーが活動休止を発表しています。理由は健康と学業上の理由としていますが、同時にキャロルのいわゆる”中の人”とされるアクターが過酷な労働状況を暴露し、Vtuberの労働問題として激しい議論になったそうです。日本でもかつて同じような事件がありましたね。
 この文脈の上では、歌詞に労働問題が歌われていると捉えることも不可能ではありません。まさに”狂気じみた舞台”を降りられない人の話なのではないか、ということです。
 しかし実際はどうだったのか? どちらが悪かったのか? それとも不幸な行き違いだったのか? 重要な問題なのに、外部から、ましてや海の向こうの違う文化圏から判断する事は困難な事柄です。しかもここで誤ると、自分の制作物が完全に間違った方に寄与してしまいかねないのです。
 悩んだ末に出した結論として、今回発見されたこれらの問題を、内容としてきちんと織り込んでMVを作る事を解決法としました。
 心の中のモヤモヤから目を背けず、また蓋をしてしまわずに、自分なりのやり方で向き合う事こそが、クライアントや観てくれる人への誠実さなのではないかという結論です。そして最終的に、欧米における戦間期の雰囲気を描くという形で映像に仮託することにしました。

 かなり黎明期から見てきた世界ということもあり、私はVtuberの事が好きです。ましてや、あの日本に20人くらいしかいなかった時代から出発し、今では海外で思いもよらない盛り上がりを見せていたというのは、非常に喜ばしく感じます。ですから今回のような依頼が来たこと自体本当に嬉しかったのです。できるだけクライアントの思いに応答しつつ、自分の気持ちも裏切らない解答を探さなければならなかったという点で、貴重な体験だったように思います。

切手と戦争とアニメーション

『勝利に必要なのは勇気と想像力、
そしてほんの少しのお金』

 突然ですが、プロパガンダアニメーションが好きです。もちろん思想に共感しているわけでは決してありません。兵器が機械の暴力性を最大化したものであるのと同じように、映像の暴力性を最大化したものがプロパガンダアニメーションだからです。
 ルーニーテューンズの『Tokio Jokio』を見た後に『桃太郎 海の神兵』を見ると、全く真逆の方向からおもいっきり殴られて分裂症に陥ってくるのです。それは自分が今いるここから離陸させてくれる、一種の麻薬のような快感です。
 それはさておき、プロパガンダアニメーションは徹底的に欺瞞だからこそ滑稽で面白いのです。”敵”をどこまでも醜悪に、”味方”を理想的に歪曲して描かれた、本当に伝えたいメッセージといえば「打ち勝て!」しかない広告たちは、それがハリボテだともうわかっているからこそ楽しめるのです。
 だから逆に、仮に世界が戦争の渦に包まれ、自分も時勢に流されてプロパガンダに加担してしまったらと考えると、空恐ろしくなります。今起きている戦争を見ていれば、未だにプロパガンダと私たちの距離はさほど離れていない事に気付きます。戦場に兵士を送り込むための宣伝映像を、誰かが映像プロダクションのオフィスの椅子の上で、PCに入れられた編集ソフトを使って作っているのです。それは我々がアニメを作る姿と全く変わりありません。
 戦争プロパガンダと広告映像は本質的に違いが無く、そしてMVは広告の一形態です。先述の理由からも、とりわけ今回はプロパガンダのメカニクスというものに視点を据えたいと考え、題材を選びました。それが「郵便」と「映画フィルム」です。

イギリスの戦時国債購入を呼び掛けるポスター(1918)

 プロパガンダ映画という存在についてはかつて制作した『星凪の地』というMVで少し触れたのですが、今回は少しニュアンスが複雑です。
 途中で登場するポスターにある”WAR BONS”とは戦時国債のことで、つまりは「国債を買って兵隊さんを助けよう」という意味です。このような戦時国債のシステムは多くの国で郵政が売り出しに関与していました。例えばイギリスではGPO(中央郵便局)が関係していましたが、ここには映画部門もあり、多くのドキュメンタリー映画やアニメーションを制作しています。実験アニメーションの巨匠レン・ライやノーマン・マクラレンがいたのもここで、そしていずれの作家も戦時プロパガンダに参加しているのです。
 ここに郵便制度-戦争-アニメーションの構図を見出すことができます。ベラさんをここでは悩める郵便局員として描き、周囲に迫る戦争の影の中で、自分の立ち位置を見つめなおす、というストーリーにしたのは、このような理由からでした。

(ノーマンマクラレンがカナダ時代に制作した『V for Victory』(1941) 35mmフィルムへの直接描画によって作られた非常に抽象性の高い内容にもかかわらず、戦時国債を購入するよう呼びかけるプロパガンダになっている)

大飛行船時代の終わり

制作途中で描かれたイメージボード

 2022年の後半、インターネットの一部は、今は戦間期なのではないか?という不安に包まれていました。戦間期とはその名の通り戦争が無い期間のことで、主に第一次世界大戦の終わりから第二次世界大戦の始まりまでの、1920年代から30年代を支配した混乱と栄華の時代です。特にアメリカなどでは狂騒の20年代などと呼ばれました。
 この間にジャズが流行し、映画はいつのまにかサウンドがつくようになりました。戦時経済から復帰した工場はあらゆるものをライン生産するようになり、労働者の労働疎外が問題となりました。ベラさんとA-SOULの仲間たち以外の市民をロボットとして描いたのは、こうした戦間期の雰囲気を汲んでのことです。チェコの作家カレル・チャペックが、人間の労働を肩代わりしてくれるロボットという存在を創出したのも、やはり1920年のことでした。

フォード式生産のメッカであるアメリカが初めて自国で作り出した童話こそがオズの魔法使いでした。
だからブリキの人形なのです

 地上が繁栄する一方、空もおおいに賑わっていました。飛行機と飛行船の時代が訪れたのです。皮肉なことに戦争によって発展した航空技術は、旅客や郵便の輸送に使われるようになりました。中でも特徴的なのは、飛行船が輸送手段として大いに期待されていたという点です。 

 ドイツのツェッペリン伯爵が世に送り出したツェッペリン硬式飛行船は、第一次世界大戦中は爆撃や偵察に用いられましたが、戦後は民間航路の開拓へと舵を切りました。1928年に完成した巨大なグラーフツェッペリン号のような空を行く豪華客船が、世界の人々を空の旅へ誘ってゆくという壮大なイメージが、広く共有されていたようです。
 実際に当時の記録映像を見ると、飛行船へ注がれる人々の視線の無邪気さに驚かされます。十年もしない未来で完全に敵国になっているドイツの飛行船を、イギリスも、アメリカも、諸手を挙げて歓迎しているのです。
 ですがやはり時代は戦争へと向かいます。ツェッペリン飛行船として最大の威容を誇るヒンデンブルク号はやがてイデオロギーの宣伝媒体に成り下がり、最後には爆発事故を起こしてたくさんの乗客と共に散ってしまいました。
 
 CotillionのMVにおいて繰り返し登場する飛行船に埋め尽くされた空は、ツェッペリン伯爵が夢見た光景そのものとして、誇張して描いています。しかしながらついぞ変質と挫折の運命からは逃れられていません。硬式飛行船とはそのような宿命を負った乗り物だと思っているからです。

ある一人の老人と万国の少年少女が夢見た未来なのだ


最後に

 自分は自作について語りたがる方の人間ですので、いつも説明過多なのではないかと不安になります。ここまでいかがでしたでしょうか。もちろん人それぞれで受け取った物があると思いますので、もし納得行かない部分があれば、アニメーションの作り手のいち見解として軽く読み飛ばしていただければ幸いです。意図を伝えようとする以前に、より良いアニメーションを作ろうと努力したため、画面を楽しんでいただければそれで良いのです。
 さて、長々とプロパガンダがどうの飛行船がどうのと書きましたが、それら全てが弾けて決定的な破滅を迎えたら、一体どうなるのでしょうか。歌詞を引用します。

さあさ、明日も踊ろうぜ。
きっと明日も続くんで。

『コティリオン』より

 まるでチックタック、チックタックと永遠に往復運動を続ける掛け時計のように、生きてさえいれば生活は続いていくのだと思います。きっと明日も変わらないという事は、絶望にも希望にもなり得るのです。それならばベラさんとファンの皆さんに待ち受けるのは希望であって欲しいと、そういう願いを込めてラストシーンを描きました。

 この文章は中国語版MVの公開後に書いています。bilibili動画のコメント欄でおっかなびっくり反応を伺っているのですが、細かな設定や映像に込めた思いなど、想像していた10倍以上、中国の方々にイメージやメッセージが伝わっている事に驚いています。
 まず素晴らしい曲あっての事ですが、手前味噌ながらアニメーションというものの可能性を感じなくもありません。手垢の付いた表現ですが、アニメーションには国境を超える力があるというか……。
 それもこれも発注してくれた幼安さんと観てくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
 これからも国の内外を問わずビシバシ映像を作っていこうと思うので、どうかよろしくお願い致します。実写とか模型とか器用貧乏に色々できるよ!

技術的なメイキングはこちら↓


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