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わしとアークナイツと今

 さて、唐突だが最近ソシャゲを始めた。アークナイツだ。いや実は唐突ではない。おかしなことにちゃんと伏線のある出会いだったとも言える。順を追って話そう。

 起点は『星凪の地』という素晴らしい曲のMVを作る、その以前に存在する。スマホ麻雀ゲーム「雀魂」で戦いまくり、血で血を洗うという趣旨の会が存在し、その場に居たのが星凪の地参加メンバーだった。そこでなにか作品を作ろうと言いだして星凪の地がスタートしたのだが、制作が一段落し公開した後、ふと同じYostarが運営するソシャゲに目が行ったのが運のつき。そのゲームをアークナイツと言った。

 アークナイツは世界観や雰囲気が優れたゲームだし、節度を持ったゲームだった。同じYostarのやってるアズールレーンよりボインボインしていないしキャラが比較的厚着してるのが性に合った。ロドスなる製薬会社が源石病という原因不明の病気の治療を行うかわりに戦闘できる患者を感染者の暴徒の戦線に送り出す。 ごめんやっぱりそこに節度はない。あれはテラとかいうおよそ人間の生存に適さない惑星(いくら酸素と水と植物があったとしても有害な石がランダムで降ってくる惑星なんかNASAでも居住可能と呼ばないに違いない)の努力とあがきとあきらめと妥協の上で成立しているシステムであって、現代日本人の倫理感では成り立たない。ようはどん詰まりの世界なのだ。

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 だがわしはそのどん詰まりの世界にどうしようもなく惹かれてしまった。なぜだかわからないが、最初はデザインの良さに感動したことを覚えている。そしてそれは今でも感動させられる。例えばゲーム内の通貨であり、プレイヤー(ドクター)が周回や基地拡張で必死に集めることとなる龍門弊のデザインは素晴らしい。レイアウトやパーツからニュー台湾ドルが主なイメージソースと見ている。感動しすぎて画像のように密造してしまった。これで俺はスラムの王になる。UIやキャラクターのデザインもよかった。特に二アールのFRPでできた騎士甲冑のデザインの鋭さといったら筆舌に尽くしがたい。プロップの勝利がここにある。

 ところで、アークナイツのキャラクターは誰も彼も輝いている。一人一人が主役を張れそうな彼らの姿は、本来人間は自分自身が主役のドラマを生きているのだと気づかされる。たぶん恋愛ドラマの人がいるだろう。いわゆるお仕事ものの人もいる。運という隠された変数によって様々な悲劇や喜劇がもたらされ、人生はハレとケの複雑なコラージュとして織り成されていく。誰だってそうだ。そしてアークナイツの彼らの人生は多くの場合で鮮烈だ。

 プレイアブルキャラの経歴を単純に分類するといくつかの類型が見いだされるが、彼らの大抵がその前歴で苦難を経験している。そしてその苦難は鉱石病と鉱石病によって歪み、混乱した社会によって産み出されていると言える。そこから立ち上がり戦うことを選んだ人間がオペレーターなのだから、その人生は間違いなく鮮烈なものになる。苛烈と言っても良い。いわば三国志の英傑なのだ。平和な世界に英傑は生まれない。そして本当はそっちの方がずっといい社会だ。

 合成コールを得るためにイベントを周回しまくるとやがて理性が尽きる。仕方がないのでスマホの画面を消し、寂しいのでテレビを点けると、夜のニュースでは今日の感染者数を報道してその深刻さを訴えている。皮肉なことに我々の世界はどんどんアークナイツに接近している。差別が横行し、村八分が起き、誰かは職を失って、多くが外に出られず、強盗は増えた。

 アークナイツと同じようにこの世界を愛することができるのか? 大晦日にふとそう思った。風はますます強くなっている。じきに素晴らしくろくでもない英傑の時代が来る。人からもらったみかん味のグミがポケットに入っていた。その小袋は少し合成コールに似ていた。でも解説文を読む限りではきっと合成コールは爽やかな柑橘味じゃなくて、酔っぱらうほどのアルコールの匂いをしているはずだ、と考え直して、それからグミを口に放った。

 

















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