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「ひじおりの灯り」取材記録1

{取材記録(6月9日、22日)|増子博子}

わたしは今年、2回目の参加になります。今まで外から「ひじおりの灯」を眺めていましたが、制作者側になってみると、温泉街の方々と制作者の方々が本当にこの灯りを大切に想っていることが伝わってきます。今年も携わらせて頂き嬉しく思います。

今回はまだよく解明されていないコロナウィルスに配慮し、(関東圏から岩手県へ引越したという事もあり)取材は出来る範囲で肘折やその周辺を歩いて行います。

ぐるりと歩いて足がぱんぱんになった時、肘折の旅館では木地玩具をマッサージの道具として使っていたという話を思い出しました。そのため、車輪の軸にはしなやかな"本萩"という材料を使っているものもあったそうです。簾などに使われる植物です。

木地玩具やこけしの材料はミズキですが、岩手県には、"ミズキは山の神がその葉から生まれた"という話があります。山形では、山の木はみんな山の神が生んだものだという話があり、ミズキは山の神が難産の末に一番最後に生み出したとあります。ミズキの肌が赤いのはこの時の出血のためだと、だから神さまにとって一番大切な木であるといいます。山の中で鮮烈な赤は目を引きます。山道を辿り、目の前が開け肘折温泉街が現れる時と同じ、とても心を掴まれます。ミズキは新芽を切ると水が滴る事からこの名前になったといいますが、温泉が湧く肘折という土地と、水をたたえる(ミズキ)樹木が重なりました。

また、早朝街を歩いている時に、温泉を街へ流す装置?を点検整備している方々と会いました。我々が温泉に入れるのは、整備して守ってくれている人々のおかげなんだなとあらためて思いました。温泉を汲み上げ赤く染まった扉とそこで働く人々、そこで作られてきた木地玩具のミズキの"赤"など色々と繋げて考えています。

もう少し取材を続けていきたいです。

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