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よくよく、沃野 リアスの蝶

日本の昆虫写真家、海野和男氏の「蝶の道」という写真集の中に、一匹の蝶が水を飲みながら排尿をしている瞬間を捉えたものがあります。これはポンピング(pumping)といい主に雄の行動で、体温を下げたい時の行動なのだそうです。吸ったものが身体をそのまま抜けて流れ出ていく時、蝶はどんな感覚にいるのでしょうか。写真に捕らえられた蝶の大地と繋がるようなその姿に惹かれ、今までは触っただけで弱りそうで苦手に思っていた存在に、力強さを感じるようになりました。

蝶は昔からひとの魂に見立てられてきました。風に吹かれて明滅するように舞う姿がそう思わせるのでしょうか。「蝶の民俗」の中で今井彰氏は、「蝶は猿や犬といった身近な生き物と違い、擬人化しにくい」と書いています。確かに、蝶は虫達の中でもくっきりした意思の様なものがわかり難く、また身体にしても私たちとはかけ離れています。それ故、魂という捉え所のないものの移しとなり得たのかもしれません。

人間の魂がふっとした時に抜け出てしまう、という感覚はいまだに根強いようで、わたしの祖父や父もくしゃみをした後、「チキショ、コノヤロ。」と唱えます。これは、くしゃみをすると魂が抜けてしまうと信じられていた時代、おまじないとして唱えてられていた、「嚔(くさめ)」の名残だそうです。なんだかとても愛おしく思います。昔の人は今よりももっと魂と遊ぶ生活をしていたのかもしれません。

今回個展に出品している「リアスの蝶」とは、わたしの個人的なおまじない的作品です。東北を貫く脊梁山脈を谷折りにして羽ばたく蝶。震災でダメージを受けた太平洋側沿岸部と日本海側沿岸部が蝶の羽ばたきを模して重なりあい、中和されて傷を癒していくイメージです。蝶の翅の縁は、岩手県から福島県にかけて、福井県は若狭湾のリアス海岸線を模しています。このところ歩いてまわっているリアス海岸線を蝶の翅に見立てています。


「リアスの蝶のためのドローイング 」
2020

日本には古くから巨人(デイダラボッチ )や小人(一寸法師など)が語られてきました。特に巨人、デイダラボッチは地形の成り立ちによく関わっていて、わたしが住んでいた栃木県には、デイダラボッチが山形の出羽三山から土を運んでくる途中、転んだり休んだりした跡に湖や山が出来たという話が伝えられています。偶然かもしれませんが、秋田の南から山形、栃木までグリーンタフという緑泥岩の地層で繋がっていたりします。昔の人々は山の上などから広い大地を眺め歩く中、豊かな起伏、複雑な地形に何か大きな存在の力を見ていたのかもしれません。
上のドローイングは、日本海と太平洋に両手両足を浸し、その温度差を体感してみたいと思ったことや、リアスの蝶を思いながらコラージュしたものです。

今回個展に出品した蝶達は、流動する大地や大気、わたしたちの命の儚さやかけがえなさなど色々言う事は出来ますが、実際わたしもわからないでいます。まだまだ舞う練習中です。

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