よくよく、沃野 菜の野
岩手から栃木に引っ越した2018年の春、一面の菜の花畑を眺めていた時の事でした。トラクターが一台やってきて、菜の花を土に混ぜ込み始めました。"花"を見ていたわたしはあまりの暴力的な光景に心底驚きましたが、これは「緑肥」と呼ばれる農法で、菜の花を水田の裏作にすることにより春は景観形成に役立ち、土にすき込んだ後は菜の花の持つ抑草効果を発揮して除草剤の量を少なく済むのだそうです。菜の花の他に蓮花や向日葵を緑肥にするところもあるそうで、畑を歩いていると、農薬が普及する以前、農家の人々が知恵を絞ってきた名残を見つける事が出来ます。宮澤賢治の「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」の中でも、カメムシ害に使う鯨の油の代用に石油を田に撒く描写があります。畑の土壌というのは今までいったい幾多のものを飲み込んできたのでしょうか。
ただぼうっと眺めていたレモンイエローの光が次々土と混ぜられていく様は魔術的ともいえる光景で、家路についてからもその衝撃が身体を巡り、どうしようもなく手を動かしはじめたのが、「よくよく、沃野」という作品の発端です。身体があの時の光景に再会したがるような、それになってみたくなる感覚を覚えています。
そのためまずは菜の花を採集してきて刺繍糸を染色しました。菜の花に似た色の綺麗な刺繍糸はあるのですが、実際に菜の花から色を移したいという思いがありました。
支持体はツァショー紙というブータンの紙を使います。この紙はダフネという沈丁花科の植物の皮や枝が使われていて、手触りは地面のようにざぐざぐとしています。ブータンのダフネを分析した久保田彰氏(石州和紙共同組合・JICA専門家)によると、「雁皮でありながら楮のような特徴も合わせ持つ不思議な原料」(注1)であるといいます。"ダフネ"とはギリシャ神話の女神の名前で、彼女がアポロンから追われた際に月桂樹の木に姿を変えたという話があります。その月桂樹とダフネの葉の形が似ていたことからその名前がつけられたそうです。ブータンでは昔、雨が降って出来た水溜りで紙をすいていたという話があり、天の恵みが地上に留まり、また還るまでの短い時間で生まれる、偶然が連れてくるような紙、という感覚を覚えました。また、枝や皮にはダフニン(daphnin)という毒があるので虫喰いに強く、経典などに使われてきたそうです。
◉ツァショー紙の製作過程
(以前ブータンの紙漉を取材されたという近藤亙志さんが写真の掲載を許可してくださいました。)
↑標高2400m以上の高さに自生するダフネを採取、剥がした表皮を水に晒す
↑表皮を煮ていく
↑煮上がった皮のごみをとる
↑溶かしながらのりを加えていく
↑紙を漉いていく
↑簾にのせた繊維が紙になる。その後簾から離し積み上げていく
↑重ねた紙に圧力をかけ、水を絞っていく
↑紙を一枚一枚板に貼り付けて乾燥させ、完成。
近藤さんの投稿記事
https://www.facebook.com/100002899865461/posts/2597722397001064/?d=n
サショー紙に描いたものを、菜の花から色を移した糸で耕すように縫っていきます。わたしにとって、この行為は菜の花が土にすき込まれる光景の追体験です。
↑
「よくよく、沃野 no.29(緑肥考)」"Fertile plain no.29 ""Green fertilization"""
2019
アクリルガッシュ、菜の花で染色した刺繍糸、サショー紙、ワトソン紙 / Acrylic gouache, Embroidery thread dyed with caoola flower, Tsharsho paper, Watoson paper.
23.5cm x 40.0cm
個人蔵
なぜ縫いはじめたのか、サショー紙なのか。答えはわたしの頭の中にはなく、いつも環境側に置かれていると感じます。自身のこだわりを一度置いておき、外側からやってくるものに順いながら制作をしています。
今回の個展では、耕されたドローイングも数点展示しています。
注1:
参考資料「ブータン-雲龍王国への扉」
著者/山本けいこ
発行日/2001年
発行所/株式会社 明石書店
p167
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