原点に戻る。
小笠原諸島・父島から戻り、明日で早2週間経過。
たった2週間前のことなのに、遠~い昔のことの様に思える。。。( ゚Д゚)
それは、自分が、小笠原旅行という【非日常】から、自分の【日常】を受け入れだしたからだろう。
確かに、仕事をはじめて、これだけ長期で休むのは、M/H社が倒産して以来だと思う。まあ、倒産した際にも、ロタ島にはダイビングに行ったが、ここまで長期滞在したことはなかった。
WHYか?
G社には、3年間在籍したので、心身に溜まったドス黒いモノが抜けるまで、それ位の期間を要した(笑) (7月31日で籍が抜けるので、それが待ち遠しい。)
原点は?
小笠原の自然に囲まれて思ったのは、自分がこの人材紹介業に流れてきた【原点】はどこだったのだろうと。。
大学卒業して、新卒から13年間、下水道専門の出版社で働き、編集以外の内勤をしていた。私が就職したときは、バブルはとっくに弾け、所謂、最初の【就職氷河期】の時代だった。教職に就きたいという漠然とした思いがあり、試験に臨もうと思っていた処、急展開があり、この下水道専門の出版社に就職。まだFAXが活躍していた時代だったが、メール・インターネットが普及しだし、雑誌・書籍の売上が右肩下がりになり、転職を決意。
その頃は、既にダイビングを始めており、”初対面の人と話すことに抵抗はない。”ということに、気付き、それならば、”人と関わる仕事も出来るのでは??”と思い、この業界にきた。
余談ですが、初めての転職でお世話になった人材紹介会社のエージェントには、猛反対されました(笑)
その人は、同じ出版業界に私を転職させたがっており、出版業界しか、推薦してくれませんでした。
業を煮やした私は、自分で、動き出し、就職先を決めたワケです。
今思えば、同じ業界に就職した方が年俸が良く、その人の売り上げになるからと、この業界に来てから、その人の熱心さのカラクリがわかりましたがね(笑)
因みに、医療業界を選んだのは、医療事務、ホームヘルパー等、こちらの事情がわかる資格を持っていたから。
限界を知る。
さて、自分で望んで、この医療業界エージェントになった私ですが、G社に来てあらためて、紹介会社の限界を知ることになる。
やはり、大手紹介会社は、医療機関の信頼を勝ち取っており、小さい会社はいくら人材がいても、相手にして貰えない。G社もそう。
上記理由があり、結局、求職者本人の希望よりも、自分たちを相手にしてくれる医療機関を薦め、それが気に入らない求職者に対しては、「離れていっても仕方がない。」と宣う。
紹介業って、そうではない。
求職者の希望を聞き、活躍できる医療機関をピックアップし、最後は求職者が決断する。
求職者も、医療機関も、そして、紹介会社も、WINーWINーWINの関係。
これは、今まで所属きた会社では明白だったこと。
しかしながら、ここは違った。一見、求職者に寄り添う様に見え、医療機関に寄り添う様に見えながら、実は、自分たちが主。
この納得いかない思いが常にあり、”エージェント業ってこんなか?””自分は果たして人と関わりあいたいのか?”と常に自問自答してきた。
で、今、G社を離れ思うのは、”人と関わりあいながら、医療業界で働く人が、心地よい環境で働けるお手伝いをしたい!”
まあ、M/Hで教えて貰った、原点を思い出すことが出来たワケです( ̄ー ̄)。
原点に戻ることが出来る会社。
8月3日から新しい会社で働くことになりました。医療業界に携わることが出来る会社です。
紹介業がメインではなくなりますが、今までご縁を頂いた方々に関して、転職相談は対応することが可能です。(紹介業の免許は社長が取得してくれました。)
此方の社長とは何回も話し合いを持ち、WINーWINーWINの方向性も共有できています。
以前の会社よりも、深く医療業界に携わっていけると、ワクワクしております。
どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます。
医療系人材紹介エージェント。日々、医師や看護師さんとお目にかかり、思うことや、自分がお邪魔して、こちらに人材を紹介したいな~と思う、医療機関さんが募集している人材情報を掲載していきます。あとは、自分の趣味のダイビングのことも書いて参ります。医療系で海好きの人と繋がりたいです。