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The Alarm【ウェールズのU2】

  • 活動期間:1981年~1991年、2004年~

  • 出身地:リル、ウェールズ

  • メンバー(結成時):Mike Peters(V&G)、Dave Sharp(G)、Eddie MacDonald(B)、Nigel Twist(Dr)

ウェールズのU2……と言ったら、バンドのファンに殴られてしまいそうですが、そう形容しようがないほど、The Alarmは常にU2と比較され続けたバンドでした。両者の間には様々な共通点がありますが、最大の違いは、The Alarmの音楽の根底には相次ぐ炭鉱の閉山で衰退しつつあった故郷ウェールズへの愛情と郷愁に満ちていたことです。

ヴォーカルのマイクは1959年2月25日生まれでボノの一つ年上。バンドのメンバーはU2と同じく皆幼馴染です。1977年ピストルズに感化されたマイクはドラマーのナイジェルと一緒にThe Toiletsというバンドを結成。後にデイヴとエディが合流してバンド名をSeventeenとしました。由来はピストルズの同名曲から。ちなみにマイクが影響を受けたミュージシャンは他にボブ・ディラン、ウディ・ガスリー、ロバート・ジョンソン、The Beatles、The Rolling Stones、The Whoなどだそうです。

バンドは地元リルでギグを繰り返し、インディーズレーベルからシングルを二枚リリースしました。なかなかメロディアスな佳曲です。パワーポップ・ファンの間でも人気が高いそうですね。 デビュー前は退屈なパンクソングしか作れなかったU2とはえらい違い(笑)。

その後バンドは「Alarm - Alarm」に改名。が、BBCの名物DJジョン・ピールが彼らをDuran DuranやTalk Talkと一緒くたにしているのを耳にして、堪らずThe Alarmに変更し、この名前に落ち着きました。そしてバンドは活動の拠点をロンドンに移します。そして自主レーベルからリリースしたシングル曲やライヴが評判を呼び、1981年、R.E.M.も在籍していたI.R.S.レコードと契約しました。さらにまだデビューしたばかりだったU2にも気に入られ、その前座を務めました。他に The Beat、The Boomtown Rats、The Jam、Stiff Little Fingersなどの前座も務めたようです。こちらは1982年、ボノがThe Alarmのステージに立って、一緒に歌っているところの音源です。

Declaration
1984年 UK6位 US50位
満をじしてのデビューアルバム。U2の前座を務めたのが功を奏してか、のっけからUSチャートに入るという快挙を成し遂げました。これはU2の『Boy』『October』を上回るチャートアクションです。R.E.M.同様アメリカのカレッジラジオから人気に火が点いたようです。

UK17位 US106位
60年代のグラスゴーのストリートギャングについて歌っている歌だそうです。
Youtubeのコメント欄がなかなか熱いです。

Mike Peters > Bono

Fuck You Too(注:You TooはU2のこと)

アラームはU2のように富と名声のために自分たちを売らなかった。常にファンと音楽に大して誠実であり続けた。

アクトン以降U2は商業主義に走った。アラームはなんと言ったらいいか「Unplugged」なバンドだよ。

おいおい。まさか20年経っても、みんながU2とアラームを比較しているとは思わなかったぜ。

1985年 UK18位 US39位
前作同様ライヴ録音のようなラフな仕上がり。

このLAのライヴでは2万6千人を動員し、当時、ビデオ発売されました。

ちなみに私はリアルタイムでは知らないのですが、どうやら辻仁成さんのエコーズはThe Alarmの影響を強く受けていたようですね。U2好きで知られる辻さんですが、U2ぽくなろうとして、U2よりも若干ダサ目のThe Alarmになってしまったのかもしれません。

U2のアメリカツアーの前座に抜擢されたり、プリテンダーズとツアーを廻ったりして、それなりに活躍していた。日本のバンドでも影響を受けたっぽい感じとしては、エコーズとか・・・(違うかな?)。高橋研(中村あゆみなどのプロデューサー)のソロアルバムで、アラームの”SPIRIT OF '76”という曲とそっくりなのがあって、「えっ、こんなところで!?」とびっくりしたこともある。

アラーム宣言~THE ALARM~ 

当時やっぱり好きだった日本のバンド、エコーズがこのThe Alarmの影響を受けまくっていて、「お、パクッたな」と思える曲だけでなく、ちょっとカウボーイ入ったファッションもそのままだったのも今思うと微笑ましいですね。

The Alarm 『Declaration』

日比谷の野音で何かのコンサートの時に、デビューして間もないエコーズを初めて見たんですが、誰が考えた演出か、メンバーが中心に集まってポーズを取り、ギターをジャカジャカ鳴らしながら、1曲目のイントロを朗々と歌い、そのままアップテンポになって曲に入って行くというものでした……実はこのパターン、アラームの初期のコンサートでのやり方をそのまま真似たもので、メンバー4人の立ち位置も、ギターのジャカジャカも同じで、おまけに服装もかなり近いものでした……そのコンサートの時、4人が中心に集まって、ギターのジャカジャカが始まると、客席のどこかから「いよっ!アラーム!」のかけ声がかかったのには、大笑いしてしまいました。

(続)アラーム『68 Guns』

Rain in the Sunshine
1987年 UK23位 US77位
やっとレコーディングのコツを掴んだらしく、過去作に比べて、アルバムとしての魅力が上がっています。アルバムリリース後はボブ・ディランのツアーの前座を務めました。

結果から言えばこのアルバム、セールス的には、彼らが発表したオリジナルアルバム5枚の内二番目に売れなかったアルバムなので、代表作とは言えないアルバムなんですがそれでも僕はアラームの5枚のオリジナルアルバムの中でこの【Eye of the hurricane】が一番好きです。 何故ならこのアルバムがアラームの《らしさ》が一番出ているように思えるから。彼らの《らしさ》とはいったい何か…? それは…『田舎くささ』や『ダサさ』です。これが彼らの持ち味であり、魅力です。彼らは、エレクトリックなものより、アコースティックな土臭いロックが本当に上手い。それがフォークロックみたくならないのは、80年代という時代のせいもあるかと思いますが、アラームが当時最も得意としていたアコギに時代遅れの《ニューウェーブ》な感じを織り混ぜた今では皆無に等しいサウンドアプローチ。それは彼らの提唱している『ELECTRIC FOLKLORE』なるもので、この時代の、そしてアラームだけのものです。

No.41 【THE ALARM】

UK18位 US71位
ちなみにLastfmで一番再生回数が多いのはこの曲ですね。

Change
1989年 UK13位 US75位
デビュー当初からThe Clash、U2、ブルース・スプリングスティーンのコピーバンドと見做されることに悩んできたThe Alarmですが、ここにきて遂に独自のスタイルを確立。その際、彼らが拠って立ったのは故郷ウェールズでした。トニー・ヴィスコンティをプロデューサーに迎え、衰退した故郷に「変化が必要だ」と呼びかけたこのアルバムはセールス的にも成功しましたが、それとは別に高い評価を受け、全編ウェールズ語で歌い直した『Newid』というアルバムもリリースしました。

1984-85年のグレート・ストライキの敗北と、大規模な炭鉱閉鎖による南ウェールズの急速な衰退を目の当たりにしたジ・アラームが、ニューウェイブのビートに載せてこの地に向けて放ったメッセージは「変化」であった。アルバムのほぼ全体を通して聴かれるのはこのニューウェイブの音であり、ウェールズらしさというものは感じられない。だがアルバム・ジャケットの透かし窓からのぞくのは、まぎれもない南ウェールズの炭鉱とそこに佇む彼らの姿である。彼らはここに立ち、南ウェールズより生まれたウェールズの伝統文化である合唱団を従え、「大きな変化が必要だ」と、ウェールズへ熱いメッセージを連呼する。

ジ・アラーム(The Alarm) 歌/英語 & ウェールズ語

Raw
1990年 UK33位 US161位
前作とは打って変わって物凄くアメリカ寄りの作品。どうやらギタリストのデイヴがアメリカンロック志向になったらしく、彼がヴォーカルを取る曲が3曲も入っています。さらに彼は自分のバンドを結成する準備に入っていたようで、バンド内の亀裂が明らかに。が、アルバムの内容は最高です。

が、1991年、マイクは突然ステージ上でバンドの解散を宣言します。解散の背景にはデイヴとの確執。それともしかしたら自分たちの音楽が時代遅れになったので、The Alarmの名前を汚す前に幕引きを図ったということかもしれません。このへんアクトンで大胆に変化したU2とは対照的。

80年代に活躍したニュー・ウェイヴ・バンドのジ・アラームは、同時代に活躍し、現在も活躍しつづけるアイルランド生まれのバンド、U2と常に比較される運命にあった。故国にむけた社会性のあるメッセージと、不良のファッションは彼らの共通点だったが、時が経つにつれて、その視線の方向の違いが、彼らを互いに遠ざける結果となった。――白旗を掲げ、「あの『血の日曜日』はもう忘れよう」と民衆に説きながら、U2はアメリカへと渡った。そして、次第にその音楽性までも時代とテクノロジーに合わせて、変化させた。それに対して、ジ・アラームはウェールズの国旗を掲げ、頑なに自分たちの音楽を守った。アメリカに進出しながらも故国に戻り、失われつつあるウェールズ語への悲しみを歌った。このふたつの違いのために、80年代の産業ロックの終焉を目の前にして、一方は世界的なバンドとしての名声を維持し、もう片方はバンドの解散を選んだ。

ジ・アラーム(The Alarm) 歌/英語 & ウェールズ語

バンド解散後マイクはソロに転じますが、白血病に罹って闘病生活を余儀なくされます。が、それも1996年頃に克服。以後、精力的に活動し、ソロアルバムを3枚リリース。いずれも力作です。それ以外にもライヴ盤、アコギによるセルフカバー盤など腐る程アルバムをリリースしています。

そして2000年に旧作のデラックス・エディションをリリースしたのを機に、元 Stiff Little FingersのSteve Grantley や元The Sisters of MercyのCraig Adamsら実力派ミュージシャンらを伴って新生The Alarmを結成しました。

In the Poppy Fields
2004年 UK107位
奇しくもU2の原子爆弾がリリースされた年にリリースされた復活作。あちらは原点回帰と言われていましたが、もっさりしたサウンド・プロジェクトが一部で大不評を買ったのも事実(あ、当方U2の大ファンです)。が、こちらはパンクサウンドと言ってもいいくらいの若々しい音を奏でています。恐らくセールスは原子爆弾の100分の1もないでしょうが、紛うことなき大傑作。

60年代の中頃にデビューしたTHE WHOが、「I CAN’T EXPLAIN」を演奏したら、オーディエンスが「俺達の唄をもっと唄ってくれ!」と叫んだというエピソードがあるが、オーディエンスにとってバンドの持つ誠実な姿勢はUKでは70年代後半からTHE CLASHに引き継がれ、ロック不毛の時代と言われ産業ロックなる言葉が氾濫していた80年代はTHE ALARMやU2が、90年代はTHE LEVELLERSやMANIC STREET PREACHERSに受け継がれ、それは「SPIRIT OF‘76」と双璧をなす代表曲「SIXTY EIGHT GUNS」をTHE CLASHの名曲「TOMMY GUN」のイントロで締め括っている事と、何よりもオーディエンスの歓声が雄弁に物語っている。そしてTHE ALARMは帰ってきた。

THE ALARM「LIVE IN THE POPPY FIELDS」

UK28位
13年ぶりのシングルがUKチャート入り。これは結構快挙ではないでしょうか? UK圏内での人気は根強いものがあるようですね。ところでこの曲はヒットするまでに紆余曲折があったようです。

また一度再発したものの、白血病を克服したマイクは、癌撲滅を目的とするNPOを主催し、その活動の一環として、2007年にはエベレストのベースキャンプでライヴを敢行。さらにペルーのアンデス山脈のどこかの山でもライヴヲ敢行したそうです。元気そうで何より。

2009年にはThe MescalerosやSimple MindsのメンバーとLos Mondo BongoというThe Clashのコピーバンドを組み、UKと北米を回るツアーを敢行しました。そしてこの年には、自身が主催している癌撲滅のNPOのキャンペーンの一環で、富士山登頂目的で来日し、都内で密かにシークレットライヴを開きました。その模様がこのトピに記されています。

今でも彼らのことを好きな日本のファンはたくさんいるだろう。 残念ながら21年という月日はジ・アラームのことを忘れさせるには十分な時間だ。でも私はせめてもの恩返しで スタート地点から21年を経て小さなラジオから彼のことを伝えられたらと思う。マイクは歌い続け私はどうにかヨレヨレで走りながら音楽も続けている。 彼は病気を克服し立っている。そうして再会できることになりそうだなんて勝手に「私の中に時々起こるロックンロールの奇跡」なのだよ。

20歳の原点。~THE ALARMとの再会か?~Sprit Of 89②

2012年にはThe Alarmの軌跡を描いた「Vinyl」という映画が公開されました(日本未公開)。サントラには新曲も収録されているらしいです。

2013年
自殺したスチュアート・アダムソンの代役で盟友Big Countryのヴォーカリストを務め、アルバムを制作しました。BC名義としては実に14年ぶりのアルバムです。ちなみに元Simple MindsのベーシストDerek Forbesも参加しています。日本のアマゾンのレビューは辛辣なものが多いですが、UKでは概ね好意的に迎えられたようで、UKツアーは全箇所ソールドアウトだったそうです。ここにライヴの様子が描かれています。

2014年、「Declaration」リリース三十周年を記念してU2のメンバーからマイクに祝福のメッセージ。

そしてこの年の夏、マイクのソロ公演ながら、四半世紀ぶりの正式来日公演が決定しました。こちら来日直前インタビュー。またGOMES THE HITMANの山田稔明さんが、ライブレポを寄せてらっしゃいます。

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