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U2が影響を与えた音楽①花の同期生――The Police、Simple Minds、Echo & The Bunnymen


初期U2に似ているバンドとして必ず挙げられるのが、The PoliceSimple MindsEcho & The Bunnymenの3つです。デビュー時期がほぼ同じゆえ、フォロワーというよりライバルですが、お互いに切磋琢磨して影響を与え合いました。

The Police 

スティングとアンディ・サマーズはイングランド、スチュアート・コープランドはアメリカ出身。The Policeのほうが2年先輩ですから、まずはU2が影響を与えたっというよりも、影響を受けています。ちいちいさんによるとU2は1979年にリリースされた「Run Like Hell」が収録されているPink Floydの『The Wall』とThe Policeの『Reggatta de Blanc』の影響を受けているのではないかとのことです。

2007年に再結成されて世界ツアーを行ったThe PoliceのサウンドはオリジナルよりもぐっとU2に近い。これは現代風にするために流行を読んだ結果、当時流行していたU2風のサウンドに似てしまったということではないでしょうか。

そして2014年にアンディが結成したこのバンドの新曲は、U2そっくりだったというオチ🤭

さらにスティングの息子ジョー・サムナー率いるFiction PlainもU2そっくりという意趣返し。

Simple Minds 

スコットランド出身。ウェールズのThe Alarnといい、UK圏の辺境から出てくるバンドはどこかしら似通っていますが、U2と違ってシンセを多用しているだけ、Simple Mindsのほうがより繊細な音に聞こえます。実際、初期はSimple Mindsのほうが音楽的評価は高かったそうです。どちらかというとDepeche ModeやUltravoxなどのエレポップバンドに似ている気がします。

そしてSimple Mindsのヴォーカルのジム・カーはボノと大変仲が良かった……が、これが災いしました。1983年に『War』でプチブレイクし、UKだけではなくアメリカ(USチャート12位)でも売れたU2に対し、ディスコグラフィーを見れば分かるようにSimple Mindsはアメリカではいまいち人気がありませんした(それでもカナダでは1982年のアルバム『New Gold Dream』がゴールドディスクを獲得しているので、もうひと押し)。

そこで自分たちもアメリカで成功すべく、Simple MindsはU2からリリーホワイトを紹介してもらってプロデューサーに起用し、1984年『Sparkle In The Rain』をリリース、これが初のUK1位に輝いたのですが、USチャートでは64位とまたしても振るわず。そこで今度はU2の『Under A Blood Red Sky』を手がけたジミー・アイヴォンをプロデューサーに起用して、1985年『Once Upon a Time』をリリース、これが再びUK1位に輝き、さらにUSチャートでも10位を記録してゴールドディスクを獲得。そして同年、映画『ブレックファスト・クラブ』のサントラのために歌った「Don't You (Forget About Me)」(但し、他人の曲)がUSシングルチャートで1位に輝いて、念願のアメリカでの成功を収めたのです。またこの年ライヴエイドにも参加しました――というように、まったくU2の後追いで、この過程で持ち味の繊細さを失ったSimple Mindsを苦々しく思っていたファンも少なくなかったようです。

そして極めつけが、U2が『The Joshua Tree』で大ブレイクした2年後の1989年、Simple Mindsは満を持して4年ぶりの8thアルバム『Street Fighting Years』をリリース。U2を意識したと思われる仰々しいサウンドで、また北アイルランド紛争をテーマにした「Belfast Child」、ネルソン・マンデラをテーマにした「Mandera Day」、南アのアパルトヘイトをテーマにしたピーター・ゲイブリエルの「Biko」のカバーなどの社会性溢れる曲が多数収録されていたことから、ヨシュアの二番煎じという批判を招きました。

そしてチャートアクションでも、UKチャートでは三度1位に輝いたのですが、なぜかUSチャートでは70位と惨敗を喫し、これをピークにSimple Mindsは人気・セールスともに低下していき、「過去の人」になった感があります(但し00年代半ばからやや調子を取り戻し、良作を発表し続け、ライブもホールクラスをソールドアウトにするなど、UK圏、ヨーロッパでは今なお高い人気を誇っています)。

U2を意識するあまりに自分の持ち味を失って失敗したというパターンです。ちなみにSimple Mindsは2001年に『Neon lights』というカバーアルバムを出しているのですが、そこにはU2もカバーした「Dancing Barefoot」「Neon Lights」「Rocking In The Free World」が収録されています。ルーツは同じ、でもできることが違うのなら、他人を意識せず、自分にできることをとことん追求すべき――そう、U2のように――というのがSMの失速から得られる教訓でしょうか?

Echo & The Bunnymen 

イングランドのリバプール出身。エコバニはU2と同じ1980年デビューですが、U2がエコバニの前座を務めたことがあることからも分かるとおり、若干、エコバニのほうが格上扱いで、お互いJoy Divisionがいなくなった穴を埋めるべく切磋琢磨していましたが、どうやらU2はエコバニから色々パクっていたようで、そのせいかヴォーカルのイアン・マッカロクはかなりのU2嫌いで知られ、U2を「 れんが職人のための音楽」「(ステージを上るボノを指して)奴はアンデスのヤギ」と散々にこき下ろしていました。

が、そんなエコバニもThe Doors大好きっ子にも関わらずアメリカでは売れず、1983年の『War』でプチブレイクし、アメリカでも成功したU2が羨ましい、妬ましい、口惜しい……と思ったのでしょう。1984年にリリースされた『Ocean Rain』では、当初、リリーホワイトをプロデューサーに起用してセッションをしていたのですが、結局、上手くいきませんでした。本音がどうか知りませんが、イアンは「あういうプロデューサーに頼むなんてサウンドの自殺行為だ」と言ったそうです。

が、それでもアメリカでの成功を諦めきれないエコバニは、バンドの内部がゴタゴタして崩壊寸前の中、1987年、まさにU2が『The Joshua Tree』で大ブレイクした年に『Echo & the Bunnymen』をリリース。セルフタイトルアルバムであり、キーボードに元The Doorsのレイ・マンザレクを起用していることからしてもバンドの本気ぶりが窺えますが、USチャートでは51位と過去(そして現在も)最高を記録したものの、大味なロックをやってしまったせいで、持ち味の冷徹で耽美的なサウンドが憤死。ファンや批評家の大ブーイングを浴び、その後、イアンはバンドを脱退、1993年に解散してしまいます。ここもU2を意識するあまりに自分の持ち味を失って失敗したパターンです。

その後、リアム・ギャラガーなどの支援を受けて1997年に再結成、現在にいたるまでわりとコンスタントにアルバムをリリースしていますが、いまいち緊張感に欠ける緩い作品でセールスはいまいち。今や完全に「過去の人」になりました。が、相変わらず、イアンのU2嫌いは健在のようで、散々に貶しています。

しかし、ごく最近の曲もU2に似てる……。

U2に影響を与えた音楽②


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