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2019年9月
起立性調節障害という病気が
ハッキリと
「起きない」
という症状として、現れました。
この時の私は、
とにかく
そらの身体に何が起こってるのか知りたくて
たまりませんでした。
それがわかったら「治る」と思っていました。

なので、
「大阪に専門の病院がある」
という小児科医さんの言葉に
希望の光を見たんです。
「行くと決めたなら早く予約を取ろう。
だいたい3ヶ月待ちだから。」
「3ヶ月!?」

多少は待たなければいけないと思いましたが、
まさか3ヶ月だなんて…
今は9月、3ヶ月後には12月です。
2学期が終わります。
「そんなに人気の病院なんですか?」
小児科医さんに聞くと、
「全国から起立性調節障害の子たちが
その先生を頼って来るからね。
それに…なかなか卒業できないから
空きができずに、どんどん診察枠が
埋まっていくんだよ。」
との事でした。

「なかなか卒業できない」

それは
「多くの子は簡単に治らない」
という意味だったんだと思います。
けれども、この時の私はそこまで思い至りませんでした。
その病院に行って、検査を受けて、
原因が分かれば
「治る」
と思って、その病院に行くことが
楽しみな気持ちも湧き上がっていました。

小児科医さんが、
病院名を書いたメモを渡してくれました。
「この先生に任せたら大丈夫だから。」
信頼する小児科医さんのその言葉は
とても私には力強く感じたのでした。

(ここへ行けば…!!)

主人にも
「専門の病院が大阪にあるんだって!!
行こう!!」
と言い、
そらの気持ちを確認し、すぐに予約しました。
取れた予約はやっぱり3ヶ月後の
12月半ばでした。

その日から暇さえあればキャンセルのチェックです。
常にスマホとにらめっこをしていたある日…
1ヶ月後の10月半ばにキャンセルが出ました!
早く早く早く!!
予約し直さなければ!!
焦る気持ちで指先が震えます。
こうして、なんとか1ヶ月後に予約変更できたのでした。
3ヶ月後と1ヶ月後では全然違います。

10月半ばの診察日までに、
私は専門医さんの著書を3冊読みました。
そらは脳波検査や、苦手な血液検査をがんばって、他の病気の可能性を消していきました。

そらは学校に行ける日が少なくなっていきました。
けれど、私も主人も、
そらを無理矢理起こしたり、
学校に行くことを望んだりはしませんでした。
小さい頃から元気いっぱいで、好奇心旺盛で、
なんでも楽しそうにしていたそらが、
ある日は腹痛、
ある日は頭痛、
ある日は吐き気、
ある日はめまい、
ある日は倦怠感…、
と、毎日なにかの不調でしんどそうにしていることに、
ただショックを受けていました。
「学校に行きたいのに…」
と布団の中で目を閉じたまま呟く姿に、
「学校をサボりたいから仮病だ」なんて
微塵も思いませんでした。
親として何かできることはないかと、
その時のスマホの検索履歴は
「起立性調節障害」ばかりでした。

そんなある日の夜中、
1人でいたとき、ネットの論文に
「起立性調節障害は母親の関わりのせい」
と書かれているのを見てしまいました。
サーーーッと血の気が引いていくのが分かりました。
(私の育てかたのせいで、
気持ちがしんどくなって、
そらは起立性調節障害になったん…?
私のせいで…?)
涙が溢れてきて止まりませんでした。
私自身にヒステリックなところがあるので、
それが悪かったのか…、
あの時の、あれは?
これは?どのやり方が?
全てが?ダメだったの?
もっと?もっと何をしたら良かった?

朝、
そらもうみもりくも…
子どもたちがみんなまだ眠っている時間に、
起きてきた主人に、
「私のせいでそらは起立性調節障害に
なったんかもしれん。」
そう言って印刷した論文を渡しました。
泣く私を、主人は抱きしめて、
「これいつの論文か見たか?
20年も前のやつやんか。
今はもっといろんなことが分かってるやろ。
絶対、お前のせいと違うよ」
と受け止めてくれたのでした。

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