周囲と自分の溝みたいなもの。

コロナが始まる前から5年間、
同じところにパートで勤めていて、
どんどん社会が変化していって、
今とても疲れていることに、今更ながら気づいた。

お店は私が勤めた当初よりずっと大きくなって人気になった。
時給は少しずつ上がった。
けど、気づいたら毎年のように最低賃金が上がっているので、
周囲と殆ど、変わらなかった…。

そうこうするうちにネット通販の業務がみるみる増えて、
それでも通常業務が減らない状況がずっと続いてきた。

目の前の通販業務は山積みなのに後ろを振り返ると、
そこには店内業務が…。
終わらなくて謝って退勤することも出てきて、
怒られることは全くなかったけれど。
時間通りに上がれないことも重なったりしつつ、
とにかく懸命に仕事をこなした。

スタッフの人数は増えたけれど、
新しく立ち上げたHPで売り上げを上げる。とのことで、
アクセス数を伸ばすための人員がどんどん確保され、
お店の接客業務も、やっぱり頑張らないといけなかった。

新しい人が入ってくるたびに仕事で組むことになり、
それが繰り返されるとどんどん疲弊していく中、
いない日のことまで自分の責任になったり、
休み明けに注意されることも出てきた。

もう限界だった。
仕事に行くたびに心が締め付けられ、
いつものお客さんに対しても心の奥底から感謝できないような
モヤモヤした気持ちが溜まるようになっていった。

そもそも、
コロナ渦の中、うちの人は在宅。
うちの子は短縮授業。
それでも?それだから、仕事にたくさんでていた。
3年半は掛け持ちもしていて、
そのときは休めない週もあって、
いろいろ事情が重なり一つはやめ、
(この前久しぶりに連絡が来た)
そのあとは専属だったけど、
お店の移転となれば週5回出勤したり。

でも、パートなので出勤回数が増えても、
一人前にお給料をもらえるとということは全くなく、
得なことはなかったように思う。

正直…どんどん損をしていたと思う。
うちのひとの会社の状況やメンタルや、
子どもの学校での様々な変化や感染状況とか、
社畜と家畜が重なって(言い方よくない)更にあり得ない状況に。
先月から仕事を減らしてもらって、今は家の片付けをしている。

それで、久しぶりに人と話をする機会が増えた。
いや、意識的にそういう時間を作っている。
普段は、疲れるといけないからそういうのを避けているけれど、
たまには、今みんながどんなことを思っているのか。
ちゃんと聞かなければな。って思うのだ。

そうか。
これもやっぱり。
普通というと語弊があるけれど、
こう一般的な家庭(…今あるのかな、そんなの)より
かなり高収入な層で起こった出来事みたい。

お金に余裕がある家庭の子どもは、これからの社会に適応するために、
そういう勉強(ワークショップや講座など)をしているらしい。

そいえば、学校でなんか変なプリントもらってきたことあった。
私は呑気だし、お金は増やしてはいけない。
働いた人が損をするから。ってずっと思っていて、
だから、そういうのに反対していて目にも入ってなかったけど。
なんとなく。
そういうことが大切。ってみんな考えるようになってきたみたいで、
正直、もう誰とも付き合えんかもしれん…。ってくらい溝を感じている。
孤独だなぁ。

ビット金でいい暮らしをしている人もいるみたい。
働くのが馬鹿馬鹿しくなる。と、ある職人さんが言っていた。
おにぎり一個売ってだよ(最近流行っているよね)。
一体いくら儲けを出すか考えてごらん。
馬鹿らしいよね。働く時代は終わった。って言っていた。

とりあえず、懸命に働く時代は終わったと思う。
けど、働く人が損をする状況は絶対に生み出されてはいけない。
働く人がちゃんと報われる社会にしないと、
みんな食べるものが何もなくなって、何もできなくなる。
働くことは命を繋ぐことだし、誰かを幸せにすることだ。

お金は増えない。
増えてもそれは嘘だ。
どうやったらわかってもらえるのか、
そこさえもわからなくなってきた。

やっぱり資本主義一辺倒は恐ろしい。
人よりお金や物のほうが大切になってしまうし、
今この国はそうなってるよね。

でも、ここまで書いて、私間違ってるのかなぁ。
変なこと言ってるのかなぁ。
って思ってしまう。

それくらいここ数年で社会も価値観も変わったのかもしれない。