多面的機能と棚田

生産性の劣る棚田は、相対的に生産の場としての期待に十分に応えることができない。今風に言うとコスパが悪い。多くの労力の割りには収穫量が少なく、経済効率が低い。それにもかかわらず、多くの棚田で米の生産が続けられている。せっかく苦労して造り上げた棚田を使わないのはもったいないからだろうか?

棚田には多面的な機能があるから、耕作を続けなければならないという人がいる。もちろん現在は国の補助を得るために建前上、多面的機能のため保全活動にとりくんでいる棚田が多くある。

しかし、それは本当だろうか。たとえば、棚田が保水の役割を持っているからという理由で、コスパが悪くても耕作を続けているところがあるのだろうか。棚田の保水機能はたかだかしれている。それよりも水を保つ施設を造ったほうが、中途半端な棚田の保水機能を当てにするよりいいのではないか。洪水調節機能や土壌侵食防止機能などについても同じだ。これらの機能があるから棚田で米の生産を続けるというのはいかにも本末転倒だ。そもそも多面的機能は、米を生産するために耕作している棚田で、副次的に発現しているからこそなのではないか。そうであれば、多面的機能のために棚田で米の生産を続けているは言えそうにない。

理由は分からないがきっと、棚田で米を生産し続けること、そのものに経済効率の悪さをも超えるなんらかの価値を見いだしている人々がいるのだろう。その価値の正体はなんだろうか。一方で耕作されなくなって消えていく棚田も多くある。残る棚田と残らない棚田にはどんな価値の境界線が存在するのだろうか。


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