自分はそんなに立派な人間ではない

誰でも自分はかわいい。
私も自分はかわいい。
当たり前な話だ。
みんな自分がかわいい。

自分がかわいいから、自分をお化粧する。
美容の話ではない。
心のお化粧の話だ。

自分はこういう人間だ。
かわいい。
やんちゃ。
ポジティブ。
キレ者。
実は大物だ、などなど。

確かにある一面ではそうなのかもしれない。
たぶん、そうありたいと思っているのだ。

ところで、私は最近、ある発見をした。
他人は自分のことをよく見ているなあという発見。
「あの人はこういう人」という印象はだいたい当たっている。怖いぐらいに。

「自分はそんな人間ではない」と反論する方、それは違う。
他人の印象は自分をよく言い当てている。

話はお化粧に戻る。
人は言葉や概念で自分を武装する。
いろんな形で言葉や概念を表現する。
でも、これが命取りだ。
言葉は言葉であり、概念は概念に過ぎない。
本当の自分など表現できないばかりか、言葉や概念は一人歩きする。
一人歩きした言葉や概念を人は信じたい、信じ込む。

これが人間の苦しみの原点だ。

本来の自分と、言葉や概念のギャップで、人は落胆したり、抵抗したり、自己嫌悪する。
こんなはずではない、自分はこんなところで終わる人間ではない。人は私を理解していない・・・。
そんなことはないのだ。人はよく見ている。

言葉や概念という自己イメージと、自分自身の溝の問題は深刻である。
人間の苦しみの九割はここから生じると言っても良い。

だから。

自分の現実を受け入れることが、心の安定に直結するのだ。
世間では「ありのままでいい」とよく言うが、
言葉がすり切れて陳腐化しているから、滑っていくが、
実は本当に大切なことなのだ。

そのまんまの自分を受け入れ、許してあげること。
言葉や概念の表出にあくせくしないこと。
それができれば、人生の平安に一歩近づけるはずだ。

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