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そこの受験生、ちょっと待った。

こんにちは、BONNEです。時が経つのは早いもので、ついこの前小学校に入学したはずが、いつの間にかもう受験生になるところまで迫ってきてしまいました。(さすがに言い過ぎ。)

さて、急に何やねんこの題名って感じですが、そうです。今回は受験についてつらつらと書き連ねてやろうと思います。まだ自分の受験プロセスは100のうち10も進んでいないのに。(ba◯◯ nu◯berの歌の題名をもじりたかっただけ)

別に大学に行く意義が何だとか、どんな大学がいいとか、そういう話をじっくりしたいのではありません。ただの心構え、というか姿勢の話です。ほぼ自分のためのマインドセットです。自分がこの1年で進み悩んだ時に問いかけたい問いでも並べていきたいと思います。よって、誰に向かって話しかけようとしているのかよくわからない文体になるかとは思いますが、お気になさらず。

大事なことなのでもう一度言います。まだそもそも受験の「じ」の字も経験していないような人間が書く文章です。これは自分への戒めでもあります。この青二才が何を語ってるんだ偉そうに、受験なんてそんな気負うもんじゃないだろう、ぐらいの気持ちで軽く読み飛ばしいただけると幸いです。

入学が目標になってない?

受験というのは、言葉の意味だけで捉えれば、(高校生の場合、というか今の立場上これは基本的に大学の話です)大学の入学試験を受けることです。今や教育機関への入学が決まるまでのホールプロセスを"受験"と呼んでいます。

長い人生の目で見てみると、ほんの一瞬の話です。そのちょっとの間、目先の課題に向かって努力すれば、合格通知を受け取った瞬間、その後4年間の暫定的な居場所、または自分の信用を確保することができます。

自分をブランディングするという意味でネームバリューのある大学に行こうとするのも別に構わないと思います。ただそれが自分にとってベターな選択なのか?ということです。多分、恐らく、生きていく上で、自分のキャリアを築き上げる時にブランディングは必要不可欠です。ただ、生き様はどうにでもなるんじゃないかなという思いを朧げに抱いています。要するに、大学で人生そんな左右されないっていうことです。結局は自分が大学で得られるリソースをフル活用できるかどうか、自分次第なのではないでしょうか。

つまり、目下の受験に囚われて合格することが半ば当然のようにゴールになってしまっている人が多いのではないでしょうか。せっかく入学したところで、これといって特に何もせず、ただ目の前の課題をこなすだけの日々を4年間過ごしたところで、自分にとって何の報労にもなりません。よく、「大学に入学した後のことを想像してモチベーションを高めましょう!」とか言われますが、あれはある意味根本として至要なことで、肝心なのは大学に入学した後に何をするのか、何をしたいのか今のうちにはっきりとさせておくということだと思います。

大学は目標でもゴールでも通過点でも何でもありません、ただの手段なのではないでしょうか?

そもそも何故"大学"にいく必要があるの?

大学は手段でしかありません。何か自分がやりたいことに大学というプロセスが必要ないのであれば、大学に行く必要は全くありません。
義務教育は中学で終わり、プラスαの学習のような自然な流れで高校へ。ここまでは親に完全に依存した状態で進んできました。ただここから先は少し訳が違うのではないでしょうか?選挙権も得て、近いうちに成人を迎え、いくら学費や生活費を払ってもらっていても、親の被扶養者からも外れることになります。
インターネットの普及が進み、コミュニティの融合、そして開放化が進んできた世の中において、ただ学んだり学習するための手段は学校に通う以外にも、溢れています。そんな中で教育機関としての学校に進学する意義を捉え忘れてはいないのでしょうか。

いつの間にか進学するのが当たり前という風潮に流されていませんか?

恐らく多くの人は小中高のどれよりも高い学費を大学で支払うことになります。いったいどれだけの人が、それだけのお金をかける価値を自分の中で見出せているのでしょうか。

受験は本当にただ辛いものなのか?

これに関しては今の私に回答を出すことはできません。笑

ただ、受験を通して学べることもあるのではないかと思うのです。
言い換えてしまえば、受験勉強は学びになり得るし、受験期間というものは自分が一心不乱に取り組んでいる姿を見れば誰もが全力で応援してくれるものです。私は学生である間は誰もが自己中心的に行動しても許される期間で、行動に絶対的な付加価値や社会還元が求められていないものだと思っているので、言動全てに社会的責任が発生するわけではありません。ですが、大学生くらいの年齢になれば、社会人との橋渡し的な期間に入ってしまうので、そうとはいきません。この受験期間というのはその優遇を最大限に利用できる最後のチャンスなのではないかと密かに思うのです。

もし、状況に投げやりになっているなら、一度休んで俯瞰的に見てみるのもありかなと思います。受験期の投げやりな姿勢はどちらかというと「結果を突きつけられることを恐れている」状態に近いと勝手に感じているので、もう一度原点に立ち返って、「なぜ自分は今頑張らなければならないのか?」考えてみてもいいのではないでしょうか。

自分が努力する姿勢を保てば周囲の人間は応援してくれるに違いありません。困った時には助けになってくれるでしょうし、それに頼ることだってできます。しかし、彼らにできるのは応援だけです。自分を動かすのは最終的に自分なのですから、自分を捨てることだけはやめてほしいと思います。

そもそも何でこんなものを書いたかというと、受験は自分をブランディングする最初の機会だと独断と偏見で思っているからです。大学は日本国内でもたくさんありますし、世界を見渡せば数え切れないほどの高等教育機関が存在します。また、入試の方法にも一般、AO、推薦など受験にも今やいろいろな方法があります。どれを選ぶのかは自分の良さが最もよく出る方法でいいと思います。それも自分を一番理想の位置で売り出す方法の一つです。大学側のニーズに合わせて自分を売り出すのも、ありのままの自分をさらけ出してそこから大学を決めるのも、それらも全て人それぞれの主観の問題なので誰にも口出しをすることはできません。偏差値で決めるだとか、やりたいことができるかどうかで選ぶだとか、学費、留学etc...学校選びの基準も、自分が納得しているのなら、何でもいいと思います。

(というか、元々自分はブランディングすることに抵抗がある方ですし、むしろしたくない人間なのですが、これが現実&乗り越えるべき荒波だと捉えることにしています。)

受験で大事なのはその根本を見失わないことだと思います。だんだん目的意識だけが先走りしてしまって、根底にあったはずのものを忘れてしまっている人が多いのではないでしょうか。すでに自分の身の回りにいる受験生はそれに陥ってしまっている人がいるように感じます。ただ機械的に進学する方法ばかりを考えて、そこから先数十年と続く自分のキャリア、人生について考えることを放棄してしまっては、これからの数年間のクオリティに大きく差が現れてしまうのではないでしょうか。(クオリティが高ければいいとかそういった議論はなしで、)


さて、これを機に、受験期間において、受験に対する自己哲学を持ってみませんか?(というお誘い…)

No matter how much it hurts now, someday you will look back and realize your struggles changed your life for the better.

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