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高階杞一 春の食卓

春の食卓に向き合って
ぼくたちは
互いのさらに盛られた春の
一部始終を食べる
ときおり細い雨が降り
ときおり人が行き過ぎる
そんなありふれた景色の中で
だまって
目の前のたくさんのみどりでお腹を満たす
話すことも
話し合いたいことも
ありあまるほどあったけど
何も言わないで
ぼくたちは
それから
別れていくまでの
長い長い朝食をした
ー高階杞一「春の食卓」

この詩は、わたしのお気に入りです。
ただ自分の中で言葉として表れない、ここに書くことも難しいくらい読めば読むほど、深く腑に落ちる感覚があります。そして、心の奥がぎゅーっとなる不思議な詩です。

わたしは人との間にある「感情」みたいなものを大切にしてしまいます。
故に人との関わりは難しく感じることがあります。
「感情」は常に揺れるもので、時には制御不能になるときだってあるから。

この高階さんの「春の食卓」の、「食卓」の意味について考えてしまいます。
ある他者と向かい合って囲む食卓は、そのまま人との関わりを表しているように思えるのです。
何度も何度も読むうちに、わたしが欠けていた人との関わり方、パートナーシップのあり方を教えてくれていると感じます。

食卓という生活が、現実を、その毎日を、いつか別れていくまで。
「感情」という常に揺れ動くものと、「食卓」という繰り返し、毎日変わらず席に着き、向かい合う日々を。その両方が存在することが、人と一緒にいるということなのかなと思うのです。

揺れて変化していくことと、そこにあって変化しないもの。
矛盾しているのだけど、わたしたちは今日も誰かと「食卓」で向かい合い、紡いでいくのだと思える春の始まり。

東京は桜が開花しました。あなたは誰と「春の食卓」を囲みますか?

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