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ソロジャーナル【大正喫茶千客万来】プレイログ

※七ノヒト様作のソロジャーナル【大正喫茶千客万来】の小説風プレイログです。



【大正喫茶】一稀靖の場合【千客万来】


 大正33年。民本主義の発展そして自由主義をうたった、大正デモクラシーの影響もやっと落ち着いてきたころである。
 ここ、東京に『喫茶まんまる堂』というカフェーがある。いくぶん髪の薄くなったちょび髭の店主が経営しており、アタシはそこで働いているボーイである。名前は一稀靖。れっきとした男である。
 この店で働いてもう何年になるか。32歳にもなってモボのまねごとをしているアタシを、この店主は特に気にすることもなく置いてくれている。ありがたい話だ。
 まんまる堂にはいろんな客がくる。
 アタシのようなモボはもちろん、モガに学生さん、記者さんもいれば、文士さんもいる。実に多種多様だ。
 アタシはそんな人たちに、一時の安らぎを提供するのが仕事である。

 今日もまんまる堂は平和そのものだ。勤務前に鏡で身だしなみを整える。
 長い髪を後ろで一つに結んでいると、プチッと音を立てて髪留めがちぎれてしまった。お気に入りだったのに。
 仕方なく、予備の髪留めで急場をしのぐ。帰りに新しいものを買いに行こう。
 しかし、お気に入りの髪留めは少し頑張れば買える金額ではあるが、給料日までまだ幾日かある。それまで我慢をするのは耐えられない。あの髪留めはよくアタシに馴染んで、客からの評判もよかったのに。
 まあ、給料日まで我慢をしなくとも、万が一、客からチップでももらえれば、なんとかなるだろう。果たして今日はどうだろうか。
 などと考えを巡らせていると、さっそく客がやってきた。
 一目で高等遊民であることがわかるほど、高そうな洋服を着ている。山高帽をかぶり、外套を羽織り、手にはステッキを持っている。歳はだいたい、アタシと同い年ぐらいだろうか。なかなかハンサムな顔立ちで背も高く、いかにも女性にウケがよさそうな男である。
 紳士然とした彼を、入口から離れたあまり人目につかなさそうな席に案内した。
 外套を受け取ったとき、ふわりといい匂いが鼻孔をくすぐった。この男は香水をつけているらしい。それまで香水なんてキツイだけかと思ったが、彼から香るそれは、純粋にいい匂いなのだ。
「いい匂いですね」
 素直にそう誉めると、彼はありがとうと微笑んだ。
 彼はメニュー表をしばらく眺め、ライスカレーを注文した。
 ライスカレーはこの店の看板メニューである。店主が研究に研究を重ね、今の味に落ち着き、老若男女問わず食べることができる辛味になっている。
 むろん、アタシもこのライスカレーが好きだ。この店の味に慣れてしまっているので、他の店で食べるとすこし違うなと感じてしまう。
 そんな料理を、彼のような紳士が選んでくれると嬉しく感じてしまうのだ。
 出来上がった料理を彼にお出しすると、紳士は目をキラキラと輝かせる。
「美味そうだね」
 彼は両手をすり合わせる。匙を手に取り、どうやって食べようかと、迷っているようだ。
「キミ、これはどうやって食べたらいいんだ?」
「そうですね、匙でかき混ぜて食べる方もいらっしゃれば、ルゥにご飯を寄せて食べる方もいらっしゃいますし。お好きに食べればよろしいかと」
 ワクワクとした様子でアタシを見てくるもんだから、微笑ましい気持ちになってくる。
 彼はわかったとうなずくと、おそるおそる匙をライスカレーの真ん中に差し込み掬い上げる。
 そして、口の中に放り込むと、目を瞬かせた。
「美味い……いや、辛いな……でも美味い」
「それはよかった」
 彼のテーブルに水差しを置いて、アタシは他の客の接客に向かう。その後ろから、彼の辛いと美味いが何度も聞こえてきた。
 落ち着いた頃を見計らって、テーブルに向かうと彼は水を実に美味しそうに飲んでいた。棒ネクタイも解かれおり、一仕事終えたような雰囲気を出している。
 水差しの中はカラになっている。新しいものを用意しておいてよかった。それと交換すると、彼はハンケチで口を拭いながらありがとうとまた微笑んだ。
「いやぁ、実に美味かった。こんな美味い料理は初めてだ」
「普段はあまりお召し上がりにならないのですか?」
 純粋に疑問だったので、そう問えば彼はうなずく。
「ああ。この店のような素朴なカフェーにも入ったことがなくてね。たまたま、女学生がこの店の料理が美味いという話をしていたのを聞いたものだから、やってきたのさ。カツレツは食べたことがあるのだが、ライスカレーは初めてだ。ずっと憧れていたんだよ」
 子供のように興奮したようすで、熱く語る。そんな彼にちょっとした意地悪をしたくなった。
「カツレツを召し上がったことがあるのなら、惜しかったですね。ライスカレーにカツレツを乗せて食べるのも、この店のオススメなんですよ」
「ああっ! それは……キミ、もっと早く言ってくれ!」
 彼は紳士とはかけ離れた悲鳴を上げて、頭を抱えた。

 しばらくして、店主に呼ばれたので、すぐに向かうと先ほどの彼が実に晴れ晴れとした顔で、アタシを待っていた。
「キミ、次はライスカツカレーというものを試してみるよ」
「ぜひ。あと、チーズを乗せて食べてみるのも美味しいですよ」
「……キミは商売上手だなぁ。名前は?」
「一稀靖です」
「靖くん。いろいろとありがとう。これは少ないが取っておきたまえ」
 彼はチップをアタシに手渡した。
 チップにしてはなかなかの羽振りの良さで、髪留めを買ってもおつりがくるほどだった。
「ありがとうございます」
 頭を下げると、彼はまた紳士然とした態度のまま、店を後にした。

 仕事が終わり、彼からいただいたチップを握りしめ、馴染の店に向かう。
 いくつか吟味し、薄い紫に赤の差し色が入った髪留めを購入した。
 やや派手だと思うかもしれないが、アタシはこの2色の組み合わせが好きなのだ。運命の組み合わせといってもいい。
 早速、髪留めで髪を結いあげる。ほら、こんなにも馴染んでいる。
 チップはまだ少し余っている。なにか追加で買ってもよいが、せっかく彼が奮発してくれたのだ。また次回、欲しいものが出来たときに使おう。

 さて、次はどんなお客が喫茶まんまる堂にくるかな。

~了~

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