カブシキ!-歌舞四姫- #3(完結)


彼女たちは踊っていた。

彼女はかつて、とある大企業のOLだった。どこにでもいる、本当に普通のOLだった。特にキャリアを持っているわけでもなければ、とりわけ秀でた能力を持っているわけでもなかった。ただ、彼女は努力家であり、現実家であった。どんな仕事も真面目にこなしてきたし、これからもそうするつもりだった。だから彼女は、アイドルになんてなる予定はなかった。あの日、親友から声をかけられていなければ。

彼女はかつて、経済学部の学生だった。コミュ障気味で、いつも本ばかり読んでいるような大学生だった。けれども、友達の数こそ少ないが、それなりに楽しい大学生活を送っていた。そんな生活をしていたので、将来は普通に就職するつもりだったし、もちろんアイドルになる事なんて微塵も考えていなかった。就活で大失敗して一人で泣いていたあの時、先輩からメッセージが届いていなければ。

彼女は子供のころから、アイドルになりたかった。小さい頃に連れて行ってもらったとあるアイドルのライブで、彼女は心を奪われた。いつかあんなステージに立ちたい、その思いで、アイドルの世界に身を投じた。髪をツインテールにして、中学に入っても、高校に入っても、毎日練習を重ねた。しかし、アイドルグループが乱立するこの時代、トップアイドルを目指す事は容易ではなかった。ひょっとすると、いつか彼女はスポットライトを諦めていたかもしれない。たった一本のライブ動画が、「株主」の目に留まっていなければ。

彼女たちは踊っていた。3人が、1つのアイドルグループとして。それぞれの想いがぶつかり合う事で、場には特別な空気が醸成されていた。例えるならそれは、中世イタリアの港町とでも言おうか。本来ならば決して出会う事の無かった人々が、「市場」、ただそれだけを媒介して、刹那の取引を繰り返す。ヒトが、モノが、カネが動く。そんな独特で異様な活気が、場を支配していた。

「カブシキ!-歌舞四姫- 中間決算【速報版】」。このライブは、3人の圧倒的な空気感がリアリティを持って、後世まで語り継がれていくことになる。


**

「はぁ~っ、お疲れ~」
ライブが終わって早々、3人の中で1番背の高い彼女が、衣装のまま楽屋の畳に倒れこむ。
彼女の名前は井澄みずほ。創立時から歌舞四姫のリーダー、いわば代表取締役として、このグループを率いている。
「もう、みずほちゃん、いくらお客さんがいないからってそんな…」
そう言うメガネの彼女も、座椅子に座って魂が抜けたような状態だ。
彼女は野村新佐。ニーサの愛称で株主たちから親しまれている。彼女もまた、グループ創立時からのメンバーの1人だ。
「冷静に考えて青果市場でライブしようとか言う発想、マジわけ分かんなー…」
こたつの上で丸くなり、3人目がそう呟いた。
彼女は大葉貴音。3人の中では1番若い、ツインテールが良く似合っている高校生だ。

「…貴音。そこ、暑くないの?」
「別に…電源ついているわけでも無いし…」

バタコン、と勢い良く楽屋の扉が開かれた。
「たっ、大変ですう!」
パタパタパタ…と栗色の紙をなびかせ、20代前半ほどの女性が部屋に入ってくる。
彼女の名前は河瀬。現在、歌舞四姫のマネージャーを務めている。
「あらカワちゃん、どうしたの?」
「はぁ、はぁ…こ、これ見てください!わ、私はプロデューサー呼んできますので!」
パタパタパタ…と、入ってきた時と同じように、慌ただしく出て行った河瀬が残していった書類を、みずほが読み上げる。
「なになに?えーっと、『大手外資系投資ファンド、株式アイドルにTOB宣言』…」
「ハァッ⁉てぃ、TOBですってぇ⁉」


TOB、正式名称はTake Over Bid、日本語訳は株式公開買い付け。その会社の株を、一定期間のうちに一定価格で買い取ることを公告して取得する方法の事である。日本では主に企業の経営権を得る事、つまり企業買収を目的として行われることが多い。

「てぃっ、てぃてぃっ、TOBって、友好的TOBとか敵対的TOBとか評価されるアレよね?アレなのよね?」
「ええ。それとこれは、どう見ても敵対的TOBね。」
「えっ、えーっ!何よそれ!アタシたち、買収されちゃうって事なの?」
「落ち着きなさいよ。まだこれからどうなるかは分からないんだから。」
「アンタはどうしてそんなに落ち着いていられるのよ!」
「前にもあったからね、こんなこと。」
「やっぱ株式アイドルって狂ってるわ!」
「こういう苦難の時期を乗り越えて、アイドルって強くなるものじゃないの。」
「アタシの知ってるアイドルと違う!」
「…みずほちゃん…でもこのファンド、前回と違うところ…。」
「んー、そうみたいね。山ちゃんの仇は取れなさそう。」
「山ちゃんってTOBの犠牲になったのかよ!仲間を買収で失ってんじゃん!」
「見てください…市場価格の30パーセント増しの価格で公開買い付けをしています…。」
「あらまぁ、冗談みたいに潤沢な資金力。うちの株主なら流されちゃうかも。」
「信じられないほど忠誠心の低い株主だな!」
「あら貴音、知らないの?私たちの株主の6割は投機目的で株式保有してるのよ。」
「サイッテーだなおい。しかも6割全部取られたら完全に議決権掌握されちゃうじゃん!アタシたちどうなっちゃうのよ!」

バタン、と扉が開き、ツカツカとスーツ姿の女性が入ってきた。彼女は兜メグル。歌舞四姫のプロデューサーにしてCEO、そして創業者(マザーズ)の一人である。
「落ち着きなさい。株式アイドルを運営する以上、当然に想定されていた事態よ。」
「プロデューサー!そうはいっても…」
「大丈夫よ、貴音。兜メグルプロデューサー様はこれでも、『兜町のトリカブト』って呼ばれるくらいの敏腕スカベンジャーだったんだから。」
「す、スカ?」
「…みずほ、それは私の事を褒めたいのかしら、貶したいのかしら。」
「…メグル先輩、これからどうなさるんですか?」
「ニーサちゃんは先輩を立ててくれて優しいわねえ…。コホン、とりあえず。既に20%の株式を取得されている以上、現在はかなり不利な状況よ。このままでは株主総会で議案を否決される可能性が出てくるし、議決権も取られてしまう…最悪は規定数以上の株式を取得されて、上場廃止。これじゃ、株式アイドルの意味が無いわ。」
「あ、気にするところそこなんスね、プロデューサー…。」
「私たちが取れる方法はいくつかあるけど…、今は一刻も早く『白馬の騎士』を探す必要があるわね。」

白馬の騎士。企業買収を仕掛けられた会社が採れる、対抗手段の一つである。信頼できる企業や団体に、発行した新株を引き受けてもらったり、対抗して公開買い付けを行ってもらったりする。こうする事で買収を仕掛けた側の持ち株比率を減らし、結果として買収を失敗に終わらせる…。会社の危機に颯爽と現れ、会社を救ってくれるこの「信頼できる企業や団体」を、白馬の騎士に見立ててこう呼ぶのである。

「白馬の騎士ねえ…メグル、心当たりあんの?それ。」
「無いわけじゃないわ。テレビ局とか、芸能プロダクションとか。」
「株式アイドルとはいえアイドルなんだから、独立系じゃなくなるのはまずいんじゃないの?一局との独占契約は色々と面倒よ。」
「背に腹は代えられないんじゃないかと思うけど…」
場が沈黙しかけたその時、パタパタと騒がしい足音が聞こえた。
「にゅ、ニュースにファンドの親玉が出てます!」
実は昨年度の株主総会で選任されたばかりのマネージャーである河瀬。前回のTOBを知らないためにとにかく慌てているそんな河瀬は、部屋に飛び込むや否や、テレビの電源を付けた。


**
「…での公開買い付けに至った次第でございます。」
映し出された画面には、初老の男と「ロブズ・パートナー・ジャパン代表」の文字。どうやら、記者からの質問に答える形での会見を行っているようだ。
「日本アイドル新聞、前田です。今回は敵対的TOBではなく、利益目的での買収では断じてないとの事でした。それではやはり、歌舞四姫のアイドル活動を理由とした投資である、ということなのでしょうか。」
「その通りです。歌舞四姫はマーケティング上重要な意味を持つのみならず、その技術力も非常に優れたアイドルグループであり、大変な人気がある事はご存知の通りでしょう。しかし現在の経営陣は無能だ。あまりにも意欲的な変化に乏しい。これでは彼女たちの才能を飼い殺している。私だったらそうはしない。」
「…それは…代表には何か、特別なアイデアがある、ということですか?」
「もちろんだ…。彼をここへ。」
耳打ちされた黒服の男が、パーテーションの裏から長身の男を連れて来た。
「彼は本戸 濠男…。彼を新メンバーとして、歌舞四姫に加入させる。なお、愛称はフォリオだ。」
それまで静かだった会場が一斉にざわめく。
「歌舞四姫は名前通りの4人に戻る。非常にエキサイティングな挑戦だと思うよ。そして、新たなステージに進む歌舞四姫は、世界を掴み取れると確信している。」
会場のざわめきは止まらない。本社に緊急電を打つ者、ただ狼狽える者、様々だ。
「せっかくなので、フォリオから一言もらっておこう。フォリオ、さあ。」
フォリオはゆっくりとマイクを手に取り、電源を入れる。この瞬間、会場にいる者、ネット中継を見ている者、そして楽屋でテレビにかじりついている者、その全てが、彼の一挙手一投足に視線を注いでいた。世界から注目を集める中、彼はその端正な唇を動かし、言葉を紡ぐ。







「こんばんは~☆ホントフォリオで=す♪(キラッ」




世界は、静寂に包まれた。


**
「…………」
「…………」
「ええと、白馬の騎士みたいな人が、あちらから来てしまいましたね。」とニーサ。
「あのファンドのおじさん、どっかで会った気がするんだよね。」とみずほ。
「ダッサ…愛称フォリオってダッサ…」とひたすら呟く貴音。
三者三様の言葉で、会見に対する感想を述べていた。
「ええっとまあ、さっきの防衛策の話に戻すんだけどさ…良い?メグル?」
「え?ああ、良いわよ…で、白馬の騎士探しでしたっけ。」
「私、思うんだけどさ…やっぱり、本当の白馬の騎士ってファンだと思うんだよね。」
「みずほ…忘れたの?うちの株主は…」
「違う違う。そりゃもちろん、投機目的で私たちの株持ってる人はたくさんいるけど…。でも、私たちのアイドルとしての価値を認めて、私たちをアイドルとして応援するために、私たちの株を持っている人たちがいるわけじゃない?ならきっと、私たちを救ってくれるのは、私たちのファン、なんじゃないかな。」
「みずほ…」
「私も…みずほちゃんに賛成です。私たちはアイドルです。ファンの皆さんのおかげで、私たちはアイドルとして活動できるんです。」
「アタシもそう思う。ま、アタシはそもそも株主のためにアイドルしてるつもりなんて毛頭ないんだけど。」
「貴音、忠実義務違反」
「だーっ、もう!」
「…みずほ、ニーサ、貴音…あなたたちの気持ちは分かった。…でも、どうするつもりなの?」
「あら、決まってるじゃない。新株発行すればいいのよ。そしたら後は、株主の皆さんにお任せ。」
「アンタ…それでどうにかなるわけ?」
「仕方ないじゃない、私たち株式アイドルなんだから。」


**
数日後、新曲として「あなたにグリーン・メール」、「Bitter Bidder」の2曲が同時発売された。ミュージックビデオ再生回数、サブスクリプション再生回数など、あらゆるランキングのワンツーを独占したが、特筆すべきは株券付きCDの売り上げだった。久しぶりの新曲発表、もとい、新株発行だったこともあり、セールスは異次元の記録を達成した。当然、ファンド側もCD買い占めによる株式取得を目論んだが、これらの取り組みは訓練されたファンとCDショップの緊密な連携により未然に阻止された。
これと同時に、派閥争いにより分断されていた忠実な株主らの間で協定が結ばれ、投機目的で流通している株を買い集めようという動きが生じた。
以上2点が重なった結果、歌舞四姫株は連日ストップ高を繰り返し、空前の高値を記録、ついにはファンド側が提示した買い付け金額すら超える事態となった。はじめは抵抗を見せていたファンドも、この非常識な金融戦争には手も足も出なくなり、結局は撤退を宣言するに至った。

後に「3か月戦争」と呼ばれる一連の騒動は、アイドル史はおろか経済学の教科書にまで載る事となる。


**
「『歌舞四姫、大幅減資を宣言』、だってさ。ほら、最終的にアイドルの魅力を上げるためには自社株買いが必要なのよ。」
「アンタねぇ…際限なしに公募増資してんだから、こうなる事は目に見えてたじゃないの。アタ̪シ、なんで歌舞四姫が行政から怒られないのか、不思議でたまんないわよ。」
「まあまあ…今回の一件で、株主の皆さんも仲良くなりましたし…良いじゃないですか。」

ファンドの撤退宣言から数日後。外は雪がちらつきそうな雰囲気だが、楽屋の中はいつも快適だ。その部屋で、みずほは新聞を、ニーサは臨時総会議事録を、貴音は振り付け動画を見ていた。

「株主が仲良くつってもねえ。今まで派閥ごとにあんな犬猿の仲だった株主たちが、仲良くできるとは思えないんだけど。」
「あらそれ、一番の狂犬派閥を連れ込んできた貴音の言うセリフ?」
「うっさい。」
「確かに、古い株主さんたちと、貴音ちゃんを呼んできた新しい株主さんたちの間に対立はありましたが…今はもう、過去の事です。これからはみんな、歌舞四姫の株主さんですから…。」
「…。」
「だーかーらっ。貴音のファンはみんな歌舞四姫のファンだし、歌舞四姫のファンはみんな貴音のファンって事よ。自信持ちなさい」
「ちょ、バッ……分かってるわよ、そんなん。大体アタシ、自分に自信を失ったことなんてないから。」
「中々いい心意気じゃないの。…じゃ、世界獲りに行こっか!」
「そうですね…行きましょう、貴音ちゃん。」
「…全く、しょうがないわね。………行くわ。」


ダンスも株価も激しい動き、歌舞四姫。
彼女たちは株主の期待を一身に背負い、いよいよ世界へと挑む…のだが、それはまた、別のお話。


「カブシキ!-歌舞四姫-」完

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