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愛染法を修法される行者様へ

私から愛染法をお受けになった方にも、
他の大阿様から受けられた方にも、
共通して申し上げたいことがございます。

それは私が受法した際に伝えられたこと、
またそれを修法実践していく上で、
私自身が未熟ながらも感じたことを加えて、
お伝えしたいと感じている、
補足のようなものとお考え下さい。

ちなみに、私が已達の皆さん向けに
お授けしている愛染法は、
金剛界三十七尊に付く愛染法と、
金剛薩埵の十七尊に付く愛染法、
以上二つの法をワンセットにしています。
三十七尊の愛染法は息災、増益、
敬愛、調伏の四種に就くとはいえ、
愛染法の特徴は敬愛にあることも確かで、
その敬愛に特化した十七尊についても、
概略くらいは知っておいて欲しい、
という願いによる私の意楽であります。

また、より熱心な方には、
秘法である如法愛染法もお伝えしています。

さて、愛染法行者であることを、
前面に出されている方や、
愛染明王を本尊とされている方など、
縁結びなどの敬愛祈願を依頼される、
という事例もあるのではないかと思います。
そうした、「現場」について、
心得ておきたいことを、
些か申し述べたいと記事に致しました。

まず、愛染明王という名前にある、
愛というものが何であるのか、
今一度冷静に、仏教用語として考え、
現代語の感覚を排してみる必要があります。
普段の会話において愛といえば、LOVE。
それも、一般人の会話の文脈では、
大抵が異性や同性との恋愛ベースの話に
用いられている言葉です。

しかしながら仏教においては、
例えば「渇愛」という言葉のように、
「強い執着」という意味があり、
対象が人や物に限らず、
自らの状態への執着など、
不特定の対象への執着のことを指します。
愛欲、という言葉も同じくです。
現代人はその定義を共有できておらず、
愛染明王と聞くとつい、
恋愛成就の神様、みたいに考えてしまう、
そんな傾向があります。
弓矢を持っていることも、
つい西洋のキューピッドのイメージと重なり、
愛染明王をキューピッドとして、
この恋を成就させよう、と考える人も、
数多くおられるかと思います。

ところがお授けする際にお伝えした、
愛染明王の密号には、
冷水を浴びせられた思いをした、
そんな方もいらっしゃるでしょう。
「離愛金剛」
執着を肯定して悟りに変えてくれるのでは?
そう疑問に思った方もおられるでしょう。
ことに十七尊の敬愛祈願をどう捉えるのか、
迷う方も多かろうと思います。

そこで、まず敬愛とは何か、
ということを押さえておきましょう。
よく天部の効能として使う言葉に、
衆人愛敬、というものがあります。
他の人から愛され、敬われる、
ということですが、
敬愛の根本、敬愛法の自行としての成就は、
まさに衆人愛敬を得られる人であること。
そのような自分になることです。

願主の懇請によって修する時も、
行者即願主の観念の下に修するだけで、
願主が衆人愛敬を得るような人となる、
それが敬愛祈祷の根本です。

これを願主側、行者側が何も変わらずして、
振り向いてくれない対象者を振り向かせる、
それでは呪いをかけているのと同じであると、
敬愛法の伝授の折に伝えられております。

エネルギーの問題として考えてみると、
四種法の特徴がわかりやすいかもしれません。
息災や増益は、言わずとも明らかなように、
対象に対してプラスのエネルギーを与える、
という特徴があります。
しかし、敬愛や調伏はその反対です。
その祈願を他者に向ける時、
相手にマイナスのエネルギーを与えたり、
相手のプラスのエネルギーを奪ったりします。
その路線の敬愛は、
いわば相手の気持ち、愛情というものを、
こちらに奪うような形になるわけで、
だから四種をさらに纏めるにあたって、
敬愛が調伏に纏められることになるわけです。

以上のことから、私事ながら、
最も心を奪われた相手に対してさえ、
十七尊の次第に出てくる敬愛法の秘儀、
一肘観を用いて祈願したことはありません。
また他の行者に依頼したこともありません。
それが愛染行者としての私の誇りです。

さて、しばしば頼まれるであろう、
祈願内容について、
経験より得た教訓をお伝え致します。
その祈願内容とはずばり、
復縁祈祷です。
結論から申しますと、受けてはいけません。
受けるような体で上手く別の形に導く、
というスキルをお持ちの方でしたら、
あえて反対は申しませんが、
文字通りの受任はお勧めできません。

少し禅問答じみた話ではありますが、
その依頼者が復縁祈祷を依頼してきた、
理由となる別離の原因は、
我々に復縁祈祷を依頼するような人格にある、
ということがほとんどです。
フラれたからと言って復縁祈祷などせず、
前向きに生きる性格であれば、
フラれる確率自体が激減するはずです。

少し具体的に、復縁祈祷を依頼する人に、
共通する特徴を考えてみましょう。
まず、共通するキーワードは、
「堂々巡りの執着」です。
要するに、自分が何かを改めるということを、
一切拒絶しつつ、相手を変えよう、
という考えの持ち主なのです。
この手の人にどんな導きを提示しても、
すぐに同じ理屈に戻って来てしまいます。
なぜ復縁祈祷などを頼むのか、といえば、
自己反省の余地を一切排除するため、
と言っても過言ではありません。

また、生臭い話ではありますが、
この人達は肝心の祈祷料を用意してません。
なんとかします、と彼らは言うのですが、
そもそも自分を変える気はない人達、
まずなんとかなったためしはありません。
それなのにグズグズと堂々巡りの話で、
こちらの時間や労力を平気で奪います。
典型的な自己中心の思考です。
長話を謝するのは、自分が疲れた時。
それまでは何時間でも粘着します。

そして、その人の欲望を突き詰めていくと、
結局のところしたいことは、
復縁よりはむしろ復讐に近い。
中にはハッキリと復讐が望みだ、
そう言った同性愛者もいました。
無理矢理に陵辱して捨ててやりたいと。
こんなドロドロで重たい欲望に、
突き動かされて復縁祈祷を
依頼してくるわけです。

このような事例がほとんどで、
私は復縁祈祷を受けることはやめました。
話くらいは聞きますが、
お金もなしにこんな欲をぶつけてこられても、
どうしてやりようもありません。
正直なところ、こんな依頼主の欲望に対して、
調伏の祈祷をする方が良いかもしれません。

以上、実際の現場についての、
経験と知識を述べさせていただきました。

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