人生をかけた17歳の決断。(1/2)
ぼんだよ。
今日は、私の幼少期から大学合格までについて話そうと思う。これまで取材で何度も答えてきたけど、自分の言葉で書くのは初めて。ずっと思い通りに書けなくて溜め込んでたんだ。でも、昨日友達のnoteをみて、私も勢いで書き切ろうと決心した。今の私を作る「核」となる17年間の人生について。とっても稚拙な文章だけど、どうか温かい心で読んでもらえたら嬉しいです。
私には、2つ上の兄(ちなみに今日お誕生日はぴば!)がいる。私たちが通っていた学校は小中高一貫の進学校。そんな学校に6歳から通ってて、物心ついた時から私に見えていた社会(=学校)は「勉強至上主義」の社会だった。周りの環境はといえば、医者か公務員の子ばかり。賢い子(=お兄ちゃん)はみんな医者になることを目指してて、勉強できない私は「ぼんちゃんは、お医者さん厳しいから看護師さんか薬剤師さんだね~(笑)」なんて家族に言われていた。医療系の道に進むのが普通(当然)の環境だったし、なんの疑いもなくこの事実を受け入れてた。だから、小学校〜高校まで私の将来の夢は「看護師か薬剤師」の二択だった。
そんな私に転機が訪れた。
ちょうど周りが受験を意識し始める高2の夏。
医療系の学生団体に所属して、「課外活動(心臓突然死を減らす活動)」を始めた。参加しようと思ったのは、以前違うプログラムに参加せず、とっても後悔した経験があって、あれ以来
「やらずに後悔は、絶対にしない。」
と心に決めていたからだ。そして、学生団体に入った私は「課題解決」というものに目覚めて、まだこの世にないアイデアを出す楽しさを知った。そうなったら学校の授業なんてもう関係ない。授業は全然聞かず、寝てる時間以外はずっとアイデアを考えてた。ワクワクして寝れない日も珍しくなかった。そして、2ヶ月考えた末、自分史上最高のアイデアが降りてきた。それが「AEDi」だった。
でも、思いついたはいいんだけど、、、いざ行動をし始めたら周りに大反対されちゃった。まぁそれもそうだろう。上記でも述べたけど私の社会(=「勉強至上主義」)では、勉強でしか人を評価する「物差し」がない。だから、勉強に関係ない「課外活動」なんて家族や学校からすれば無意味なもの。
「高2にもなって何しているの?誰もぼんみたいに遊んでないでしょ?ほらまた成績下がったじゃん。」って。毎日のように担任に呼び出され、帰宅すると親に怒られ続けた。毎日悲しくて悔しくて泣いた。
なんで誰かのためになることをしているのに怒られなきゃいけないの。私は誰かを傷つけた?違うでしょ。これ私の人生だよ?誰も責任取れないくせに勝手に自分の理想を押し付けないで。私の人生は私しか責任取れない。この活動はお母さんのためにしてるんだよ?とりあえず、子供/生徒が人生かけてやってんだからもう口出ししないで。(お母さんのために活動してた理由はちょっと割愛)
とか色々思ってた。親や先生の気持ちも分かるけどそんな事考える余裕は当時の私にはなかった。課外活動しているのは私だけで、(友達はすごく応援してくれたけど)本当の意味で気持ちを理解してくれる/できる人は周り誰もいなかった。一言で言えば、すっごく「孤独」。同時に、全く勉強をせずに活動してて大丈夫なのかな?成果出なかったらどうしよう?薬学部いけなくない?と将来に漠然と「不安」も抱いていた。
でも、「やめる、手を抜く」という選択肢は私にはなかったんだ。だって、こんなにも人生で没頭できることなんてなかなかないじゃん?かつ、このアイデアが人の命を救えると信じてたから。絶対誰にどう言われようとも「結果」を残して、納得してもらうしかない、と思った。
だから、テスト期間中に実証実験したし、塾行くって言って企業訪問してたし、内緒で公欠とって学校も休んで活動したこともある。親にお金を貰おうとしたら活動するな!!!ってまた怒られるのは目に見えていたし、小学校から貯めてた8万円を全部交通費と活動費に全て充てた。それくらい私は必死だった。(ちなみに壁に穴は開けてないけど、大切だった財布を投げてぶっ壊したよ。これは、大切なものを投げるくらい本気なんだって示したかったから。)
で、ようやく半年後、(勉強至上主義)社会の底辺に居たはず私が「日本一、文部科学大臣賞」を掴み取った。嬉しかった。これで、認めてもらえるぞ。
で、この時気づいた。
私が見ていた社会は
広い社会の一面(=「勉強が評価軸」の社会)
に過ぎなかったことを。
見えていた社会の外に飛び出た私は、社会の底辺なんかじゃなかった。ただ、12年間も私立一貫校というとっても視野の狭い場所にいて、社会の1面しか知らなかっただけ。
「活動が評価軸」の社会は、勉強とは違って学ぶことがとっても楽しいし、なんなら開始半年で「日本一」にまでなれた。なんだこの天国のような世界は。もっともっとこの世界で成長してみたいし、この世界にいるオモロイ人たちとたくさん出会って見たい。
そして、私は人生の「決断」をすることになる。
薬学部 vs 慶應SFC
高3の4月まで志していた薬学部。
日本一をとってもなお、志していた薬学部。
薬学部入って課外活動を続けよう。
とりあえず資格持っておいたほうがいいし。
将来親も支えられるだろう。
高3まで勉強していなかったから
今から地方の国公立薬学部目指そうか。
いや、私立じゃなきゃ無理かな?
まー、国公立でも私立でも私は普通の薬剤師にはなりたくないな。
薬局で調剤とか「私」である必要はないもん。
「私」だからできることをしたいし
薬剤師になるならその世界で成果を残したいけど
京大阪大の薬学部には勝てなくない?
てか、薬学部にこだわってた理由ってなんだろ?
具体的に薬学部に入ってやりたいことは?
SFC行った時にやりたいことの方が明確じゃない?
でも、これまで薬学部を目指して頑張ってきた
今更進路帰るのはとっても怖い。
なんて思ってたらもう高3の4月になってた。
そんな時お世話になってる教育系のお仕事している人たち(SFCの人もいた)と梅田でお茶する機会があって、↑の気持ちを全部彼らに伝えてみた。そしたら
「ぼんちゃん、(当時目指していた熊本大学)薬学部に行くのとっても素敵だと思う。でも、そのAEDiを実現させたり、何よりぼんちゃんのその能力を開花させるには東京の方が絶対いいと思う。地方だったら、こんな言い方アレだけど本当にぼんちゃんが勿体無い。ぼんちゃんとSFCって親和性高いと思うし、SFCに行ったらぼんちゃんみたいな人がたくさんいるよ?!」
とアドバイスをもらった。今まで、都心に行きたい欲って全然なかったし、都心に行くことよりどうにかして国公立薬学部に行くことの方が何千倍って私にとって価値あるものだった。でも、AEDiを進めるために「ヒトモノカネ」が揃っている都心が良いっていうのは確かにそうだと、気づいた(遅)
この頃はもう、薬学部よりAEDiを実現させる方がプライオリティ高かった気がする。悩みに悩んだ末に
「今」しかできないことをしよう。
って考えに至ったのと、普通に偏差値足りなさ過ぎて国公立なんてもう無理だったwwww薬学部は4年後に行っても遅くはない。AEDiは「今」しかできない。
だから、私は慶應義塾大学総合政策学部(SFC)を受験することに決めた。
で、決めてからも問題は沢山あった。
まず、①親を説得させて、②調査書を書いてもらう担任を説得させる。
①親(お母さん)
「私、薬学部やなくて慶應のSFCってとこにAO入試で行くことにした」
「え、AO入試とかコネだよ。慶應なんて芸能人とかコネがある人しか受からないよ(エビデンスどこww)大丈夫?無理じゃない?」
「いや、それは大丈夫。私、SFCの教授から文部科学大臣賞もらってるし。日本1取ったんだよ、そんじゃそこらの活動してる人には負けない。絶対に受かるからお願いだから受けさせて。絶対に受かるから。」
「んー、合格10月にでるなら受けるのはいいけど。もし10月に落ちたら、看護学部行くか高卒で市役所行って公務員になってね。それを絶対に約束するならいいよ。」
「わかったいいよ。私は絶対SFC受かる自信あるから、落ちたら親の言うようにする。」
という感じで親の説得には成功した。
思った以上にすんなり話が進んで驚いた。笑
そして、こちら、ラスボスの「担任」だ。
こちらはかなり厄介だった。
「先生、私、薬学部やめて慶應SFCにAO入試で行くことにしました」
「え?なに?慶應?無理無理w慶應だよ?薬学より難しいの分かってる?てか、なんで真っ当な一般受験しないの?誰も卑怯な手を使ってないよね。卑怯な受験するなよw」
「(は?)」
「私は絶対慶應受かるので受けます。何が卑怯か分かりませんが、私は慶應を受験します。」
「はぁ。。ちょっとまぁ受けたいのはわかったから、またお母さんとも話してみるわ」
って言う感じだった。「卑怯」って言われたのがめちゃくちゃ悔しくて暗くなった帰り道1人で泣きながら帰った。(やば、思い出したら涙出てきた。お風呂入って続きかこ。)
何が「卑怯」だよ。私は何1つ卑怯なことした覚えはない。真っ当な受験してるよ。推薦でもなけりゃ、ただ自分の活動で実力勝負をするんだよ。自分が言ったその言葉を忘れるなよ。私は絶対SFC合格してみせるから。待っとけ。
そして、帰宅した時には、もう担任から親に電話が入ってた。
「娘さんが、慶應受けるとかびっくりするような事言ってるんですが、お母さん知ってますか?」
って。でも、その時には既にお母さんを説得してたから、私の味方をしてくれたみたい。
「先生、よく考えてください。あの子が今から勉強して国公立薬学部に受かる確率と、日本一とったのを活用して慶應受かる確率どっちが高いと思いますか?今の壊滅的な成績ですよ、看護も無理だと思うんです。だから、あれだけ活動に反対してきましたが、今回ばかりは慶應受けることに私(母)は協力したいと思います。よろしくお願いします。」
って、言ってくれた。で、ラスボス担任は仕方なく調査書かいてくれることになった。色々嫌味は言われたけど、調査書かいてさえくれれば何を言われようがもうどーでもいい。
そして、受験すると決めて3週間以内に理事長に推薦書も書いてもらわなきゃ出願間に合わなかったりと、バタバタして大変だった笑
でも、受験準備はとっても楽しかった。
私の夢やSFCへの愛を語った志望理由書2000文字+何を書いてもいいA4 2枚分の自由記述+自分の自慢ポイントのみがつめこまれたパワポ135枚(枚数制限なし)
どれもこれも全部自由に書いてよかったから物凄く楽しかった。日常では正解を求められる生活なのに、SFCの受験は正解がなくて如何に周りよりオモロイことするかが求められてたから。
そして、1次書類選考突破。最終の2次面接がやってきた。
教授3人と25分間の質疑応答。
質問が鋭すぎてビックリしたけど、自分の活動への愛とSFCへの愛は全部語り尽くした。教授もちゃんと愛を受け取ってくれた感じがしたし、やり切った。受かる自信しかなかった。
で、忘れもしない。
合否発表2017/10/2 11:00:00
10:59:50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.
11:00:00 ポチッ!
🌸合格🌸
誰にも理解されなくて孤独だった
1年前の自分を思い出して泣いた。
こんな馬鹿なことしてるの学内で
お前1人だけだと言われ続けた私が
学内の誰よりも早く合格掴み取ったことが
嬉しくてたまらなかった。
家族や学校への感謝より、高校2年生だった私を最初から最後まで応援してくれた市役所、消防署、企業の人達への感謝の方が大きかった。彼らがいたから、自分の道を信じて、乗り越えられたんだと思うとまた涙が溢れた。
これが私の幼少期から受験に至るまで人生。
さっき、思い出すだけて涙が出てきたのにはびっくりしちゃった。それくらい当時の私はしんどかったんだろうなぁと。自分で言うのもなんだけど、ほんとによく乗り越えられたなって思う笑
この「自分で自分の道を切り開いた経験」が今の私の自信に繋がっている。
これからも、乗り越えられない壁も沢山あると思う。それでも精一杯ぶち当たっていきたい。
私はそういう「自分の人生」を歩んでいきたい。
めちゃくちゃ長いのに読んでくれてありがとう♡
(5029文字)
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